ダメな大人の見本的な人生
07:和解と決意
仕事終わり、スマホの通知音が鳴る。
【今日、いく?】
初期設定のアイコンの、覚えのない連絡先からのチャット。
名前を見る前の一瞬で、それが衣織からの連絡で、かつ今日スナックに行くか。という内容だと理解した時点でどうかしてしまっていると思った。
名前は〝衣織〟。
やっぱりという納得とため息を吐く金曜日。
いったいいつ、連絡先を交換したんだ? いや、交換なんてしていないはずだ。
どんな方法を使ったか知らないが、本人に許可を取らない方法で連絡先を手に入れたに違いない。
顔がよくてかつ若くなければ、きっと衣織は数回刑務所に入っていると思う。
ストーカー生活、約二週間。
おかしくなっていっているのだと思う。
恐ろしい事に、衣織がいる生活に慣れていた。
害はないし、何ならそこら辺のストーカーより頭のネジが外れていそうな衣織がいるおかげで助かっている面もあるのではとさえ思っている。
誰か正気に戻させてくれ、と思いながらも結局、害はないしいいや。になっている。
いや、いい訳あるか。
結婚を前提とした彼氏ができかけたのに、邪魔されたのを忘れたか。
やばい、やばい! やばい!! 時間がない。
あの子を引き離さないと。でもどうしたら……。そう思いながら、何もしない、何もできない。
そしてまざまざと自分の情けなさを見せつけられる気がする。
顔が好きと言われても、顔以外にあげられるものなんて何も持っていない。
そしてその顔は、これからどんどん崩れていく。
遊んでいる余裕すらない。
その考えが、自分をほんの少し、嫌いにさせる。
「何の溜息?」
衣織に何の返事もしないまま、スナックみさへとやってきた。
薄く笑いながら、美妙子はカウンター越しに美来にそう問いかけた。
「結婚できないな~って」
「臆病になっちゃうのよねー。どうしても」
美妙子はそういって美来に酒の入ったグラスを出した。
「私、この歳まで何してたんだっけーって思うんだ」
「どうして?」
美妙子はそういうと、氷入りのビールグラスに口をつけた。
「振り返ってみると何もないの。明らかな顔採用で会社入ってさ、これで将来安泰だって思ってた。後はいい人に巡り合って、結婚してっていうのが理想だったんだけど……」
「その理想は、叶いそうにない?」
「うん。……寄ってくる男は顔ばっか」
結婚とか将来の話をしているのに、ぼそりと呟いて一番に頭に浮かんだのは、衣織の顔だった。
「褒めてくれてるんだと思う。『お綺麗ですね』って」
「最高の褒め言葉じゃないの」
「うん、そう。私も嬉しい。……でもね、なんか最近プレッシャーなんだ。顔なんてどうせ、劣化するのに。……会社には顔の可愛い若い子が、どんどん入ってくるんだよ。何もしてこなかったから、実力もない。おまけに結婚も踏み出せないって……」
詰みじゃん、という言葉は、さすがに自分が可哀想すぎて言えなかった。
美来はカウンターにゴツっと額を預けた。
「美来ちゃんは、どんな人がいいの?」
タイミングを見計らった様に、ドアの鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
今入ってきたのは、究極の顔面至上主義者、衣織に違いない。
来たな。全ての悩みの元凶!!
なんで連絡先を知っているのか、小一時間詰めてやるからな。と美来は怒りを交えて気合を入れて上半身を起こした。
しかし、店に入っていたのは衣織ではなかった。
カウンターの美来の三つ隣に座ったのは、厚底に短いスカート、〝どうやって衣織を落としたのか〟と詰め寄ってきたあの女の子だった。
美来は目を見開いてその子を見ていたが、女の子は少し俯いたまま、何も喋らない。
まだ何か用があるのだろうかともやもやした気持ちを抱えたが、この距離だし自分に話をしに来たわけではないだろうと思った美来は自分の手元に視線を戻した。
そして、もう数える事をやめて、何箱目かわからなくなったタバコに火をつける。
「クランベリージュースでいい?」
美妙子は、女の子にそう問いかけた。
こくりと頷く女の子に以前のような迫力はなく、どこかおびえているようにも見える。
スマホを触って、女の子から意識を逸らした。
結婚しましたとか、子どもが生まれましたとか。
足並みそろえたみたいに、そんな話ばっかり。
幸せそう。そんな感想が、胸を締め付けている。
そうやってみんなにアピールしないと気が済まない?
そんな事を思って、いかんいかん、だったら見なきゃいいんだ、と捻くれた考えを正すよう努めた。
女の子に飲み物を出し終えた美妙子は、カウンターを離れてテーブル席に座るお客さんの所へ移動する。
美来は短くなったタバコを、灰皿に押し付けた。
「この前は……!」
急に声を張る女の子に、美来はスマホ片手に新しいタバコに火をつけようとしていた手を止めて、女の子を見た。
最初と同じように俯いて、それ以上に緊張した面持ちでいた。
「言い過ぎたと思ってる。反省してる。……ごめん、なさい」
謝り慣れていないのだろう。言葉を区切って女の子はそういう。少し恥ずかしそうな、苦しそうな、泣きそうな顔をして。
このくらいの年齢は自分の考えが全てで、振り返る事なんてしなかった気がする。
美来は口に咥えているタバコを指で挟むと、口元から離した。
「名前、なんて言うんだっけ?」
「……実柚里」
ぼそりとそう呟いた。
「私もごめんね、実柚里ちゃん。大人げなく言い返したりして」
実柚里は目を見開いて美来の話を聞いていたが、すぐに首を振った。
「私も、ごめん。ババアとか言ったりして。嫌がるってわかってて、言ったから」
確かにそれはかなり傷ついたなという事を思い出し美来は困った笑顔を作った。
「謝ってくれて気が楽になった。ありがとう、実柚里ちゃん」
そう言うと実柚里はぱっと顔が明るくなった。
この年で自分の行いを反省できるなんて立派な子じゃないか。
美来はタバコを口に咥えて、今度こそ火をつけた。
細く煙を吐き出す。
今どきの子はしっかりしてるな。自分も他人から見ると案外しっかりしていたのだろうか。
そんなことを考えながらタバコを吸い終わった後、支払いを済ませてスナックを出た。
同性でかつ若い実柚里がいる状態で、そんな話をする気にはなれない。
結婚や将来の事について、もやもやする気持ちはきっと消えないだろう。
しかし、スナックに入った時よりも気分がいいのは確かだった。
連絡を入れたくせに、衣織は今日こなかったな。と考えて、どうして衣織の事を考えているんだと自分にツッコミを入れた。
焦って衣織への恋愛感情を疑ってみる。
しかし、答えはNOだった。
心の底から安心する。
あと自分が5歳若ければ、18歳の男の子との恋愛もなんだかんだ娯楽として楽しんでいただろう。
しかし、そんな時間はない。
引き離すのは無理だとしても、せめて〝一定の距離を置く〟。
そう肝に銘じた。
それにしても気分がいい。
きっと衣織への対応を決断したからではなくて、実柚里と仲直りできたからだ。
別に知り合いでもないのだし喧嘩をしていた訳でもないが。
ふわりと吹いた風が髪を払ってタバコの匂いを届ける。
せっかくいい気分にだったのに、少し暗い気持ちを誘発した。
〝いつまでこんなことをやってるんだ?〟と誰かに言われているみたいに。
「美来さーん」
「うわあ!!」
アパートまであと少しという所で急に後ろからかかってきた体重に、前のめりになってみっともない声を出す。
「衣織くん!?」
「うん、そう。びっくりしたー?」
衣織は無邪気に問いかける。そして美来を支えながら離れた。
【今日、いく?】
初期設定のアイコンの、覚えのない連絡先からのチャット。
名前を見る前の一瞬で、それが衣織からの連絡で、かつ今日スナックに行くか。という内容だと理解した時点でどうかしてしまっていると思った。
名前は〝衣織〟。
やっぱりという納得とため息を吐く金曜日。
いったいいつ、連絡先を交換したんだ? いや、交換なんてしていないはずだ。
どんな方法を使ったか知らないが、本人に許可を取らない方法で連絡先を手に入れたに違いない。
顔がよくてかつ若くなければ、きっと衣織は数回刑務所に入っていると思う。
ストーカー生活、約二週間。
おかしくなっていっているのだと思う。
恐ろしい事に、衣織がいる生活に慣れていた。
害はないし、何ならそこら辺のストーカーより頭のネジが外れていそうな衣織がいるおかげで助かっている面もあるのではとさえ思っている。
誰か正気に戻させてくれ、と思いながらも結局、害はないしいいや。になっている。
いや、いい訳あるか。
結婚を前提とした彼氏ができかけたのに、邪魔されたのを忘れたか。
やばい、やばい! やばい!! 時間がない。
あの子を引き離さないと。でもどうしたら……。そう思いながら、何もしない、何もできない。
そしてまざまざと自分の情けなさを見せつけられる気がする。
顔が好きと言われても、顔以外にあげられるものなんて何も持っていない。
そしてその顔は、これからどんどん崩れていく。
遊んでいる余裕すらない。
その考えが、自分をほんの少し、嫌いにさせる。
「何の溜息?」
衣織に何の返事もしないまま、スナックみさへとやってきた。
薄く笑いながら、美妙子はカウンター越しに美来にそう問いかけた。
「結婚できないな~って」
「臆病になっちゃうのよねー。どうしても」
美妙子はそういって美来に酒の入ったグラスを出した。
「私、この歳まで何してたんだっけーって思うんだ」
「どうして?」
美妙子はそういうと、氷入りのビールグラスに口をつけた。
「振り返ってみると何もないの。明らかな顔採用で会社入ってさ、これで将来安泰だって思ってた。後はいい人に巡り合って、結婚してっていうのが理想だったんだけど……」
「その理想は、叶いそうにない?」
「うん。……寄ってくる男は顔ばっか」
結婚とか将来の話をしているのに、ぼそりと呟いて一番に頭に浮かんだのは、衣織の顔だった。
「褒めてくれてるんだと思う。『お綺麗ですね』って」
「最高の褒め言葉じゃないの」
「うん、そう。私も嬉しい。……でもね、なんか最近プレッシャーなんだ。顔なんてどうせ、劣化するのに。……会社には顔の可愛い若い子が、どんどん入ってくるんだよ。何もしてこなかったから、実力もない。おまけに結婚も踏み出せないって……」
詰みじゃん、という言葉は、さすがに自分が可哀想すぎて言えなかった。
美来はカウンターにゴツっと額を預けた。
「美来ちゃんは、どんな人がいいの?」
タイミングを見計らった様に、ドアの鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
今入ってきたのは、究極の顔面至上主義者、衣織に違いない。
来たな。全ての悩みの元凶!!
なんで連絡先を知っているのか、小一時間詰めてやるからな。と美来は怒りを交えて気合を入れて上半身を起こした。
しかし、店に入っていたのは衣織ではなかった。
カウンターの美来の三つ隣に座ったのは、厚底に短いスカート、〝どうやって衣織を落としたのか〟と詰め寄ってきたあの女の子だった。
美来は目を見開いてその子を見ていたが、女の子は少し俯いたまま、何も喋らない。
まだ何か用があるのだろうかともやもやした気持ちを抱えたが、この距離だし自分に話をしに来たわけではないだろうと思った美来は自分の手元に視線を戻した。
そして、もう数える事をやめて、何箱目かわからなくなったタバコに火をつける。
「クランベリージュースでいい?」
美妙子は、女の子にそう問いかけた。
こくりと頷く女の子に以前のような迫力はなく、どこかおびえているようにも見える。
スマホを触って、女の子から意識を逸らした。
結婚しましたとか、子どもが生まれましたとか。
足並みそろえたみたいに、そんな話ばっかり。
幸せそう。そんな感想が、胸を締め付けている。
そうやってみんなにアピールしないと気が済まない?
そんな事を思って、いかんいかん、だったら見なきゃいいんだ、と捻くれた考えを正すよう努めた。
女の子に飲み物を出し終えた美妙子は、カウンターを離れてテーブル席に座るお客さんの所へ移動する。
美来は短くなったタバコを、灰皿に押し付けた。
「この前は……!」
急に声を張る女の子に、美来はスマホ片手に新しいタバコに火をつけようとしていた手を止めて、女の子を見た。
最初と同じように俯いて、それ以上に緊張した面持ちでいた。
「言い過ぎたと思ってる。反省してる。……ごめん、なさい」
謝り慣れていないのだろう。言葉を区切って女の子はそういう。少し恥ずかしそうな、苦しそうな、泣きそうな顔をして。
このくらいの年齢は自分の考えが全てで、振り返る事なんてしなかった気がする。
美来は口に咥えているタバコを指で挟むと、口元から離した。
「名前、なんて言うんだっけ?」
「……実柚里」
ぼそりとそう呟いた。
「私もごめんね、実柚里ちゃん。大人げなく言い返したりして」
実柚里は目を見開いて美来の話を聞いていたが、すぐに首を振った。
「私も、ごめん。ババアとか言ったりして。嫌がるってわかってて、言ったから」
確かにそれはかなり傷ついたなという事を思い出し美来は困った笑顔を作った。
「謝ってくれて気が楽になった。ありがとう、実柚里ちゃん」
そう言うと実柚里はぱっと顔が明るくなった。
この年で自分の行いを反省できるなんて立派な子じゃないか。
美来はタバコを口に咥えて、今度こそ火をつけた。
細く煙を吐き出す。
今どきの子はしっかりしてるな。自分も他人から見ると案外しっかりしていたのだろうか。
そんなことを考えながらタバコを吸い終わった後、支払いを済ませてスナックを出た。
同性でかつ若い実柚里がいる状態で、そんな話をする気にはなれない。
結婚や将来の事について、もやもやする気持ちはきっと消えないだろう。
しかし、スナックに入った時よりも気分がいいのは確かだった。
連絡を入れたくせに、衣織は今日こなかったな。と考えて、どうして衣織の事を考えているんだと自分にツッコミを入れた。
焦って衣織への恋愛感情を疑ってみる。
しかし、答えはNOだった。
心の底から安心する。
あと自分が5歳若ければ、18歳の男の子との恋愛もなんだかんだ娯楽として楽しんでいただろう。
しかし、そんな時間はない。
引き離すのは無理だとしても、せめて〝一定の距離を置く〟。
そう肝に銘じた。
それにしても気分がいい。
きっと衣織への対応を決断したからではなくて、実柚里と仲直りできたからだ。
別に知り合いでもないのだし喧嘩をしていた訳でもないが。
ふわりと吹いた風が髪を払ってタバコの匂いを届ける。
せっかくいい気分にだったのに、少し暗い気持ちを誘発した。
〝いつまでこんなことをやってるんだ?〟と誰かに言われているみたいに。
「美来さーん」
「うわあ!!」
アパートまであと少しという所で急に後ろからかかってきた体重に、前のめりになってみっともない声を出す。
「衣織くん!?」
「うん、そう。びっくりしたー?」
衣織は無邪気に問いかける。そして美来を支えながら離れた。