ダメな大人の見本的な人生
79:ふたりのダメな大人
覚醒に向かう瞬間、よく寝たなという実感があった。心地の良い伸びでもしたい。そんな朝。
目を開けてから、時間という時間が止まった。
見慣れない天井。安っぽいシーツ。太陽光を一切入れないという気概を感じる部屋。夜の熱気をそのまま持ち越したことによって生じる淀みを感じる空気。ささやかなものが混じり合った、独特な雰囲気。
すぐにここがいわゆるラブホと呼ばれる場所だという事を理解する。
はたから見れば冷静に見える内側では飛び上がる事すら出来ないほどの大パニック。ゆっくりと隣に視線を移すと、上半身を起こした裸のハルが頭を抱えていた。
脳みそはどうしてしまったというのだろう。ハルを見た瞬間に、大パニックが一瞬にして凪にかわって、何も考えられなくなった。
だからゆっくりとこちらを向くハルに寝たふりすら出来ないまま、彼の視線を真正面から受け入れるしかなかった。
ハルとしばらく見つめ合う。
以心伝心というのはこういう事を言うのだろう。
わざわざ言葉にしてもらわなくても、あますことなく伝わってくる。
なぜなら全く同じことを思っていると断言できるからだ。
〝やっちゃった〟だ。
「おはよう」
美来はとりあえず朝と言えばコレ、という差し障りのない挨拶をする。
「……おはよ」
自分の隣で裸で横たわる女に向かって一言呟いたことで、ハルは本能レベルでおそらくもうどうにもならない状況を認識したのだと思う。ハルはベッドに背中から沈み込んで目を閉じた。
少しの間様子を見ていたが、ハルは動かない。美来は途端に焦った。
夢の世界にでも旅立とうというのだろうか。そうはさせるか。現実逃避なんかさせてたまるか。この状況に静かに焦っているのが自分だけだと思うなよ。現実逃避するなら一緒に連れて行けよという思いを隠しきれなくなった美来は、何の気もない風を装って口を開く。
「一応聞くけど」
「んー」
意外にもハルからの返事はすぐに返ってくる。
どうやら自分だけ夢の世界へ逃避しようとしている訳ではないらしい。少し安堵した美来は、肩の力を抜いてからもう一度口を開いた。
「何考えてたの?」
「……やっちゃったわーって」
ドンピシャすぎて金か何かを賭けておけばよかったと心から思った。
そして、二人で裸でベッドに横になっている完全にアウトの状態でもそんなことを思う自分は、本当にどこまでもダメな大人なのだと認識して虚しくなる。
「昨日の事、覚えてる?」
美来がそう問いかけた瞬間、ハルは気だるそうな表情を一瞬で引っ込めて身を起こし、眉間にしわを寄せて美来を見た。
「は? お前覚えてねーの? 思い出せ。今すぐ」
ハルがことの顛末を全て詳細に覚えているのだろうという事は、彼の反応を見ていて理解できた。そして自分だけが全てを覚えているのは我慢ならないのだろう。
ハルはおそらく先ほど美来がハルに現実逃避をさせまいとしていた時の様に、自分と同じところまで引きずりおろしてやろうと考えているに違いない。
似たものどうしすぎて考えている事が手に取る様にわかるのがちょっと嫌だ。
「ちゃんと覚えてるよ」
「……覚えてんのかよ」
しかし美来が覚えていると言えば、ハルは少し気まずい反応をするのだ。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはハルだった。
「あーあの、あれな。美来が言い出したんだよな。『お互いの家は生々しくてイヤだ』って」
美来はキスをした後の事を頭の中で再生しながら、口を開いた。
「……そうだったね。イヤだって言ったんだよね。私はね」
「だよな。で美来が『とりあえずスロット最初の千円で当ててすぐやめればホテル代は稼げる』って言いだしたんだよな?」
「そうそう。で、『色気がない』って言ってハルは笑ってて。私に『どこの店がいい?』って聞いたんだったよね?」
「そうだったな。で、お前が勝手に近くの店を調べ始めたんだよな」
「てっきりアンタが行きたいんだとおもったからさー。だってその後、この近くならこのパチ屋が出るって言ってたしー」
「お前もノリノリで『じゃあ行こう』って言って先に歩いて行ってたからさー。てっきりお前が行きたいんだと思ってー」
一糸まとわぬ姿の大人二人がベッドの上で言葉を尽くして探りあった後、無言になる。
そしてとうとう、どう考えても短気な二人の堪忍袋の緒が切れた。
「はっきり言いなさいよ。私のせいだって言いたいの?」
「別にそうは言ってねーだろ。お前こそ、全部俺のせいって言いたいわけ?」
自分で自分のした行動の責任を取って初めて大人という。
しかし万物には必ず例外というものが存在していて、大人にもダメな大人が存在している。
責任を取るなんてプライドに触れる事ができないタイプの人間の事だ。
ダメな大人二人が言葉を尽くして繰り広げる醜い責任の押し付け合いは、間接的な方法から直接的な方法へと方向転換されていた。
「そんなに言うなら最初から断ればよかったんじゃない?」
「こっちのセリフだわ! だいたい、お前が俺の膝に乗ってくるからだろ? 大体の男はやる気になんだよ。ヤられてもしかたねーの」
「アンタがダルくなってベンチに座るからでしょ? 立ってればよかったじゃん。そしたらこんなことにならなかったんだから!!」
「そもそもな! お前が風浴びるとか言い出さなかったら」
「そんな事言うなら、ハルが奢ってやるとからしくない事言いださなかったら」
埒が明かないとはこのことだ。
そろそろ話が〝出会わなければよかった〟と安いラブソングの歌詞に到着しようとした頃、二人はようやく冷静になった。
付き合っているという状況でもないのに、どうしてエネルギーを消費して不必要に感情を爆発させて喧嘩なんてしなければならないのかと思い至ったからだ。
急に面倒になって変なところで冷静になるところだけはしっかりと大人だ。
「……もうやめよう、この醜い争い。ハルのせいだけどね」
「だな。キリがねーし。俺は悪くないけどな」
お互い最後に一発ずつ打ち合って、一旦どちらに非があるのかという話は打ち止めとなった。
実際に互いの言う通りなのだ。
スロットを打ちに行って1,000円を突っ込んで当てられればホテル代になると品のかけらもない事を言い出したのは美来で、それに乗ったのはハル。
酔っていて正気ではなかったのでその時の詳細な感情をよく覚えていない美来だったが、ノリノリでパチンコ屋に入ったはいいがおそらく二人とも1,000円入れたくらいで当たるとは思ってもいなかった。
一応ハルが設定はどうのこうのと言いながら台を選んではいたが。
しかし、どうしてこういうときに限って運というのはついてくるのだろう。
時間ギリギリで選んだ台で戦略勝ちをして、それから二人でホテルに入ったという流れだ。
どうせダメな大人は1,000円で当たらなければ2,000円、3,000円と突っ込むのだ。二人とも本当にすっからかんになったらホテルになんて来なかったかもしれないのに。
テーブルの上には二人で飲み散らかした缶。それにつまみ。
そう。大人というのは、大人×酒というのは、これが怖いのだ。
酒のテンションで行動をするとこういう事になる。
お互い裸でベッドの中にいるのだからもういろいろと手遅れだし、何ならどんな一晩を過ごしたのかまで明確に覚えているのだが、何もかも酔っていたからできる事であって。
酔いが醒めれば二年も隣で酒を飲んでいただけの相手と致した後、どんな顔をしていればいいのかわからない。
自分でした行動で首が回らなくなる。
これをダメな大人という。
「……ホテルの朝がこんなに気まずい事ある?」
「俺も今それ言おうと思ってたとこ」
無言。無音。
ホテルの防音というのは素晴らしいと思う。
「……なんて言えばいいかわからないけど」
雨でも雷でも動物の鳴き声でもいいからテキトーにバックミュージックを流しておいてくれたら口を開くことはなかったと思う。
完全な無音に耐えかねた美来はとりあえず沈黙を埋めようという気合だけで口を開いていた。
「よかったよ。普通に」
そして一番気まずくなる一言を言ってしまう羽目になる。
評論家かよ。勘弁してよと、自分で言っておいて、本当に心底後悔した。
「……今、全っ然いらねーんだよなあ、感想」
ぼそりというハルに、美来は自分で種をまいておいてイラっとした。
お前が何も喋らないから沈黙埋めてやろうとしてんだよ。こんな状況でも褒めてやったんだからありがたく受け取れよ。と言いかけたが、また喧嘩になる事だけは確実だったので、大人になって必死に言葉を飲み込んだ。
目を開けてから、時間という時間が止まった。
見慣れない天井。安っぽいシーツ。太陽光を一切入れないという気概を感じる部屋。夜の熱気をそのまま持ち越したことによって生じる淀みを感じる空気。ささやかなものが混じり合った、独特な雰囲気。
すぐにここがいわゆるラブホと呼ばれる場所だという事を理解する。
はたから見れば冷静に見える内側では飛び上がる事すら出来ないほどの大パニック。ゆっくりと隣に視線を移すと、上半身を起こした裸のハルが頭を抱えていた。
脳みそはどうしてしまったというのだろう。ハルを見た瞬間に、大パニックが一瞬にして凪にかわって、何も考えられなくなった。
だからゆっくりとこちらを向くハルに寝たふりすら出来ないまま、彼の視線を真正面から受け入れるしかなかった。
ハルとしばらく見つめ合う。
以心伝心というのはこういう事を言うのだろう。
わざわざ言葉にしてもらわなくても、あますことなく伝わってくる。
なぜなら全く同じことを思っていると断言できるからだ。
〝やっちゃった〟だ。
「おはよう」
美来はとりあえず朝と言えばコレ、という差し障りのない挨拶をする。
「……おはよ」
自分の隣で裸で横たわる女に向かって一言呟いたことで、ハルは本能レベルでおそらくもうどうにもならない状況を認識したのだと思う。ハルはベッドに背中から沈み込んで目を閉じた。
少しの間様子を見ていたが、ハルは動かない。美来は途端に焦った。
夢の世界にでも旅立とうというのだろうか。そうはさせるか。現実逃避なんかさせてたまるか。この状況に静かに焦っているのが自分だけだと思うなよ。現実逃避するなら一緒に連れて行けよという思いを隠しきれなくなった美来は、何の気もない風を装って口を開く。
「一応聞くけど」
「んー」
意外にもハルからの返事はすぐに返ってくる。
どうやら自分だけ夢の世界へ逃避しようとしている訳ではないらしい。少し安堵した美来は、肩の力を抜いてからもう一度口を開いた。
「何考えてたの?」
「……やっちゃったわーって」
ドンピシャすぎて金か何かを賭けておけばよかったと心から思った。
そして、二人で裸でベッドに横になっている完全にアウトの状態でもそんなことを思う自分は、本当にどこまでもダメな大人なのだと認識して虚しくなる。
「昨日の事、覚えてる?」
美来がそう問いかけた瞬間、ハルは気だるそうな表情を一瞬で引っ込めて身を起こし、眉間にしわを寄せて美来を見た。
「は? お前覚えてねーの? 思い出せ。今すぐ」
ハルがことの顛末を全て詳細に覚えているのだろうという事は、彼の反応を見ていて理解できた。そして自分だけが全てを覚えているのは我慢ならないのだろう。
ハルはおそらく先ほど美来がハルに現実逃避をさせまいとしていた時の様に、自分と同じところまで引きずりおろしてやろうと考えているに違いない。
似たものどうしすぎて考えている事が手に取る様にわかるのがちょっと嫌だ。
「ちゃんと覚えてるよ」
「……覚えてんのかよ」
しかし美来が覚えていると言えば、ハルは少し気まずい反応をするのだ。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはハルだった。
「あーあの、あれな。美来が言い出したんだよな。『お互いの家は生々しくてイヤだ』って」
美来はキスをした後の事を頭の中で再生しながら、口を開いた。
「……そうだったね。イヤだって言ったんだよね。私はね」
「だよな。で美来が『とりあえずスロット最初の千円で当ててすぐやめればホテル代は稼げる』って言いだしたんだよな?」
「そうそう。で、『色気がない』って言ってハルは笑ってて。私に『どこの店がいい?』って聞いたんだったよね?」
「そうだったな。で、お前が勝手に近くの店を調べ始めたんだよな」
「てっきりアンタが行きたいんだとおもったからさー。だってその後、この近くならこのパチ屋が出るって言ってたしー」
「お前もノリノリで『じゃあ行こう』って言って先に歩いて行ってたからさー。てっきりお前が行きたいんだと思ってー」
一糸まとわぬ姿の大人二人がベッドの上で言葉を尽くして探りあった後、無言になる。
そしてとうとう、どう考えても短気な二人の堪忍袋の緒が切れた。
「はっきり言いなさいよ。私のせいだって言いたいの?」
「別にそうは言ってねーだろ。お前こそ、全部俺のせいって言いたいわけ?」
自分で自分のした行動の責任を取って初めて大人という。
しかし万物には必ず例外というものが存在していて、大人にもダメな大人が存在している。
責任を取るなんてプライドに触れる事ができないタイプの人間の事だ。
ダメな大人二人が言葉を尽くして繰り広げる醜い責任の押し付け合いは、間接的な方法から直接的な方法へと方向転換されていた。
「そんなに言うなら最初から断ればよかったんじゃない?」
「こっちのセリフだわ! だいたい、お前が俺の膝に乗ってくるからだろ? 大体の男はやる気になんだよ。ヤられてもしかたねーの」
「アンタがダルくなってベンチに座るからでしょ? 立ってればよかったじゃん。そしたらこんなことにならなかったんだから!!」
「そもそもな! お前が風浴びるとか言い出さなかったら」
「そんな事言うなら、ハルが奢ってやるとからしくない事言いださなかったら」
埒が明かないとはこのことだ。
そろそろ話が〝出会わなければよかった〟と安いラブソングの歌詞に到着しようとした頃、二人はようやく冷静になった。
付き合っているという状況でもないのに、どうしてエネルギーを消費して不必要に感情を爆発させて喧嘩なんてしなければならないのかと思い至ったからだ。
急に面倒になって変なところで冷静になるところだけはしっかりと大人だ。
「……もうやめよう、この醜い争い。ハルのせいだけどね」
「だな。キリがねーし。俺は悪くないけどな」
お互い最後に一発ずつ打ち合って、一旦どちらに非があるのかという話は打ち止めとなった。
実際に互いの言う通りなのだ。
スロットを打ちに行って1,000円を突っ込んで当てられればホテル代になると品のかけらもない事を言い出したのは美来で、それに乗ったのはハル。
酔っていて正気ではなかったのでその時の詳細な感情をよく覚えていない美来だったが、ノリノリでパチンコ屋に入ったはいいがおそらく二人とも1,000円入れたくらいで当たるとは思ってもいなかった。
一応ハルが設定はどうのこうのと言いながら台を選んではいたが。
しかし、どうしてこういうときに限って運というのはついてくるのだろう。
時間ギリギリで選んだ台で戦略勝ちをして、それから二人でホテルに入ったという流れだ。
どうせダメな大人は1,000円で当たらなければ2,000円、3,000円と突っ込むのだ。二人とも本当にすっからかんになったらホテルになんて来なかったかもしれないのに。
テーブルの上には二人で飲み散らかした缶。それにつまみ。
そう。大人というのは、大人×酒というのは、これが怖いのだ。
酒のテンションで行動をするとこういう事になる。
お互い裸でベッドの中にいるのだからもういろいろと手遅れだし、何ならどんな一晩を過ごしたのかまで明確に覚えているのだが、何もかも酔っていたからできる事であって。
酔いが醒めれば二年も隣で酒を飲んでいただけの相手と致した後、どんな顔をしていればいいのかわからない。
自分でした行動で首が回らなくなる。
これをダメな大人という。
「……ホテルの朝がこんなに気まずい事ある?」
「俺も今それ言おうと思ってたとこ」
無言。無音。
ホテルの防音というのは素晴らしいと思う。
「……なんて言えばいいかわからないけど」
雨でも雷でも動物の鳴き声でもいいからテキトーにバックミュージックを流しておいてくれたら口を開くことはなかったと思う。
完全な無音に耐えかねた美来はとりあえず沈黙を埋めようという気合だけで口を開いていた。
「よかったよ。普通に」
そして一番気まずくなる一言を言ってしまう羽目になる。
評論家かよ。勘弁してよと、自分で言っておいて、本当に心底後悔した。
「……今、全っ然いらねーんだよなあ、感想」
ぼそりというハルに、美来は自分で種をまいておいてイラっとした。
お前が何も喋らないから沈黙埋めてやろうとしてんだよ。こんな状況でも褒めてやったんだからありがたく受け取れよ。と言いかけたが、また喧嘩になる事だけは確実だったので、大人になって必死に言葉を飲み込んだ。