ダメな大人の見本的な人生
83:同棲開始
ハルと付き合うという決断をした日から約二週間後。
二人は望みもしない同棲生活を開始させようとしていた。
ハルの家は壁が薄くてボロいと本人が言っていたので、場所は美来の家と決まっていた。
「おー、いいところ。ちゃんと働いてんなー」
リビングを見回すハル。これから同棲を始めようというのに、この男は何の荷物も持ってきていない。
「まさかこんなことになるとはね」
つくづく自分に嫌気がさして、美来は恨み言を呟く。
ハルと二人で話した結果、何より最優先なのは二人に吹っ切らせることだという結論に至った。
こうやって同棲でもしていれば、斉藤あたりがぽろりと衣織か実柚里に漏らしてくれるに違いない。そしてきっと二人はダメな大人二人に幻滅する事だろう。
どんな考えを持っていたら共通の知り合いと付き合えるのか、なんて節操がないヤツなんだと思って幻滅するに違いない。
もう今回は手加減できない。一気に突き放して、可能性すら芽吹かせないようにしなければ。
それはハルも同意見で、珍しく意見があった二人はなるべく早く同棲まで持って行こうという事になったのだった。
どこかで清算しなければならない事だったのだ。
それにしても、30までには結婚したいと思っていたのにそのタイミングで清算しなければならないところ辺りは本当に神様というのは性格が悪いと思うが、思い返してみれば何もかもが自分のせいなので文句の一つも言葉に出ない。
美来はキッチンからカウンター越しにハルのいるリビングを眺めた。
ハルがいると、何だが圧迫感がある。もしかすると、出会ってから二年間招き入れるつもりのなかった男が家にいる事にまだ慣れていないからだろうか。
「ここ俺の特等席な」
ハルはそういってリビングの中でどう考えても一番いいポジション。ソファーを陣取った。
美来はリビングからそんなハルを眺めていて、本当にこんな男との同棲生活がうまくいくのだろうかと不安に思う。
「同棲するからには仕事はどうにかするんでしょうね」
「考え中」
美来は大きなため息を吐いた。しかしこのハルという男は案外義理堅い人間なので、お金とかそういう面に関してはなんだかんだ何とかするのだろうという妙な安心感がある。
しかし、その根拠のない安心感に委ねていてはいけない。ちゃんと見張っておかなければ、この男はすぐにその日暮らしの根無し草のような生活をするだろう。
もしかすると本当におんぶにだっこの状態になるのでは。そう思うと、この男と付き合って同棲しようという考えになった事が、いやそもそも身体を重ねてしまったあの夜が。いやむしろ、出会ってしまったことが間違いだったのかもしれない。
「なんか腹減ったわ」
そしてハルは頭を抱える美来の隣を通って冷蔵庫の前に移動すると、何の遠慮もなく冷蔵庫を開けた。
「あのさあ……もう少し遠慮とかできないの?」
「俺の家でもあんのに遠慮とかしてどうすんの?」
そうだけど、そうじゃないだろ。というまとまりのない気持ちを言語化する程の能力を、残念ながら美来は持ち合わせていなかった。
確かにもう自分の家と呼ぶ場所になってしまうのだ。それなのにずっと遠慮していろというもの可哀想な話で。
だから完全なジレンマなのだが、最初くらいは。初手の初手くらいは遠慮というものを発揮しても罰は当たらないのではないだろうか。
美来はもう一度、心底深いため息を吐く。裂けるタイプのチーズを取り出して食べ始めたハルは、チーズを口にくわえたままインスタントコーヒーを見つけ出して、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。
「美来も飲むよな?」
そしてまるで日常の当たり前の一ページみたいに、当たり前に問いかける。
「うん……飲む」
ハルがそこまで気が利くヤツだと思っていなかった美来は若干感動した。
ハル。お前はそんなことができるやつだったのか。私は知らなかった。まあ、これくらい気が利くなら好きにさせてやってもいいか。
そう思ったのもつかの間、ハルはマグカップを二つ準備する。
「ああ!! それ……!!」
そのうちの一つはいつも灰皿替わりに使っているマグカップ。
最近は洗いもせずに使っていたので灰まみれになっていたが、ハルが今日来ることで若干の見栄を張りたいが為に、綺麗に洗って伏せて置いた元カレから貰って再利用され始めたいつものマグカップだった。
「それ、灰皿!!」
ハルは既にインスタントコーヒーを入れたマグカップにお湯を注いでいた。
「灰皿?」
「ちょっと!!」
「だから何だよ」
美来の大声に、ハルはめんどくさそうに返事をした。
「灰皿だって言ってんじゃん。聞こえなかったの?」
「返事したんだから聞こえてねー訳ねーだろ」
ハルは何の感情も出さないテキトーな様子で返事をした。
「そっちのマグカップは灰皿として使ってるの!」
「だったらもっとわかりやすく言えよ」
「言ったでしょ! 灰皿、って!」
「誰が洗って伏せてあるマグカップを灰皿だと思うんだよ」
「大体、アンタがなんでもかんでも勝手にやるから」
「じゃあもう、ルームツアーでもやって納得するまで説明しろよ」
二人は至近距離でにらみ合った後、ゆっくりと息を吐いた。
衣織ならこんな時、適切な対応をしてくれるのだろうなと考えながら。そしておそらくハルも、実柚里ならこんな時うまく対応してくれるのだろうと思っているのだ。
本当に報われない。そして、ダメな大人同士は同棲の相性が最悪らしい。
もともと付き合ってもうまくいかない事は確実だったのだから当然だが。
「やめよ。仲良くコーヒー飲もう」
「仲良くはしなくてよくね」
「別に仲良くでもいいでしょ。いちいちツッコまないでよ……でね、これは灰皿として使ってるの。だから何か飲むときには使わないで」
「りょーかい」
こうやって話し合えばハルは分かるヤツだ。
そう感心したのもつかの間、ハルは灰皿コーヒーを放置してもう一つのマグカップを、つまり自分の分だけを持ってソファーに移動した。
どうやらもう彼の中で〝美来にコーヒーを入れてやる〟という任は解かれたらしい。
こんな時、衣織だったら……と頭の中に浮かんで、考える事をやめた。きっと自分がそれを思うとき、ハルも実柚里の事を考えている。
お互い傷になるだけだ。
美来は自分のいつも使っているマグカップに、いつも通りの手順でコーヒーを入れた。
美来はその後、ハルの隣に移動する。
若干無理やりハルの隣に座る。大して広くもないソファーに大人二人でギューギューに座る様子は、冬だというのに暑苦しい。
そして二人ともソファーに足を上げる、という行儀の悪さを発揮していて、それを譲りたくないが為に無言の押し問答を繰り広げていた。
「そういえばさ、美来。パソコン持ってる?」
クローゼットの奥深くに何年も使っていないノートパソコンが置いてある。
ネットショッピングするのに大きな画面がいいと思って買ったはいいが面倒になってほとんど使っていないものだ。
「あるけど」
「見せてほしいんだけど」
美来はめんどくさいと思いながらも、ローテーブルにコーヒーをおいて立ち上がった。
それからクローゼットをあさって、案外簡単に見つかったノートパソコンをハルの背中側から手渡した。
「使えるかわかんないよ?」
「これ、使ってんの?」
「使ってない」
「じゃあ、いじっていい?」
「別にいいけど」
そういって美来は、もともと自分が座っていた場所にあるハルの足を乱暴に床に叩き落とす。気を抜いていたのか。ハルは足を床に打ち付けて「いった!!」という声を上げていた。
何一つ気にすることなく隣に腰を下ろすと、ハルは美来の膝の上に片足を伸ばした。腹が立った美来はもう一度突き落としてやろうとするが、ハルが足に力を入れた為動かすこともできなければ、立ち上がることができない。
無言の激闘を繰り広げた結果、美来は疲れて力を抜き、遠い目で天井を見上げた。
先が思いやられる。
二人は望みもしない同棲生活を開始させようとしていた。
ハルの家は壁が薄くてボロいと本人が言っていたので、場所は美来の家と決まっていた。
「おー、いいところ。ちゃんと働いてんなー」
リビングを見回すハル。これから同棲を始めようというのに、この男は何の荷物も持ってきていない。
「まさかこんなことになるとはね」
つくづく自分に嫌気がさして、美来は恨み言を呟く。
ハルと二人で話した結果、何より最優先なのは二人に吹っ切らせることだという結論に至った。
こうやって同棲でもしていれば、斉藤あたりがぽろりと衣織か実柚里に漏らしてくれるに違いない。そしてきっと二人はダメな大人二人に幻滅する事だろう。
どんな考えを持っていたら共通の知り合いと付き合えるのか、なんて節操がないヤツなんだと思って幻滅するに違いない。
もう今回は手加減できない。一気に突き放して、可能性すら芽吹かせないようにしなければ。
それはハルも同意見で、珍しく意見があった二人はなるべく早く同棲まで持って行こうという事になったのだった。
どこかで清算しなければならない事だったのだ。
それにしても、30までには結婚したいと思っていたのにそのタイミングで清算しなければならないところ辺りは本当に神様というのは性格が悪いと思うが、思い返してみれば何もかもが自分のせいなので文句の一つも言葉に出ない。
美来はキッチンからカウンター越しにハルのいるリビングを眺めた。
ハルがいると、何だが圧迫感がある。もしかすると、出会ってから二年間招き入れるつもりのなかった男が家にいる事にまだ慣れていないからだろうか。
「ここ俺の特等席な」
ハルはそういってリビングの中でどう考えても一番いいポジション。ソファーを陣取った。
美来はリビングからそんなハルを眺めていて、本当にこんな男との同棲生活がうまくいくのだろうかと不安に思う。
「同棲するからには仕事はどうにかするんでしょうね」
「考え中」
美来は大きなため息を吐いた。しかしこのハルという男は案外義理堅い人間なので、お金とかそういう面に関してはなんだかんだ何とかするのだろうという妙な安心感がある。
しかし、その根拠のない安心感に委ねていてはいけない。ちゃんと見張っておかなければ、この男はすぐにその日暮らしの根無し草のような生活をするだろう。
もしかすると本当におんぶにだっこの状態になるのでは。そう思うと、この男と付き合って同棲しようという考えになった事が、いやそもそも身体を重ねてしまったあの夜が。いやむしろ、出会ってしまったことが間違いだったのかもしれない。
「なんか腹減ったわ」
そしてハルは頭を抱える美来の隣を通って冷蔵庫の前に移動すると、何の遠慮もなく冷蔵庫を開けた。
「あのさあ……もう少し遠慮とかできないの?」
「俺の家でもあんのに遠慮とかしてどうすんの?」
そうだけど、そうじゃないだろ。というまとまりのない気持ちを言語化する程の能力を、残念ながら美来は持ち合わせていなかった。
確かにもう自分の家と呼ぶ場所になってしまうのだ。それなのにずっと遠慮していろというもの可哀想な話で。
だから完全なジレンマなのだが、最初くらいは。初手の初手くらいは遠慮というものを発揮しても罰は当たらないのではないだろうか。
美来はもう一度、心底深いため息を吐く。裂けるタイプのチーズを取り出して食べ始めたハルは、チーズを口にくわえたままインスタントコーヒーを見つけ出して、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。
「美来も飲むよな?」
そしてまるで日常の当たり前の一ページみたいに、当たり前に問いかける。
「うん……飲む」
ハルがそこまで気が利くヤツだと思っていなかった美来は若干感動した。
ハル。お前はそんなことができるやつだったのか。私は知らなかった。まあ、これくらい気が利くなら好きにさせてやってもいいか。
そう思ったのもつかの間、ハルはマグカップを二つ準備する。
「ああ!! それ……!!」
そのうちの一つはいつも灰皿替わりに使っているマグカップ。
最近は洗いもせずに使っていたので灰まみれになっていたが、ハルが今日来ることで若干の見栄を張りたいが為に、綺麗に洗って伏せて置いた元カレから貰って再利用され始めたいつものマグカップだった。
「それ、灰皿!!」
ハルは既にインスタントコーヒーを入れたマグカップにお湯を注いでいた。
「灰皿?」
「ちょっと!!」
「だから何だよ」
美来の大声に、ハルはめんどくさそうに返事をした。
「灰皿だって言ってんじゃん。聞こえなかったの?」
「返事したんだから聞こえてねー訳ねーだろ」
ハルは何の感情も出さないテキトーな様子で返事をした。
「そっちのマグカップは灰皿として使ってるの!」
「だったらもっとわかりやすく言えよ」
「言ったでしょ! 灰皿、って!」
「誰が洗って伏せてあるマグカップを灰皿だと思うんだよ」
「大体、アンタがなんでもかんでも勝手にやるから」
「じゃあもう、ルームツアーでもやって納得するまで説明しろよ」
二人は至近距離でにらみ合った後、ゆっくりと息を吐いた。
衣織ならこんな時、適切な対応をしてくれるのだろうなと考えながら。そしておそらくハルも、実柚里ならこんな時うまく対応してくれるのだろうと思っているのだ。
本当に報われない。そして、ダメな大人同士は同棲の相性が最悪らしい。
もともと付き合ってもうまくいかない事は確実だったのだから当然だが。
「やめよ。仲良くコーヒー飲もう」
「仲良くはしなくてよくね」
「別に仲良くでもいいでしょ。いちいちツッコまないでよ……でね、これは灰皿として使ってるの。だから何か飲むときには使わないで」
「りょーかい」
こうやって話し合えばハルは分かるヤツだ。
そう感心したのもつかの間、ハルは灰皿コーヒーを放置してもう一つのマグカップを、つまり自分の分だけを持ってソファーに移動した。
どうやらもう彼の中で〝美来にコーヒーを入れてやる〟という任は解かれたらしい。
こんな時、衣織だったら……と頭の中に浮かんで、考える事をやめた。きっと自分がそれを思うとき、ハルも実柚里の事を考えている。
お互い傷になるだけだ。
美来は自分のいつも使っているマグカップに、いつも通りの手順でコーヒーを入れた。
美来はその後、ハルの隣に移動する。
若干無理やりハルの隣に座る。大して広くもないソファーに大人二人でギューギューに座る様子は、冬だというのに暑苦しい。
そして二人ともソファーに足を上げる、という行儀の悪さを発揮していて、それを譲りたくないが為に無言の押し問答を繰り広げていた。
「そういえばさ、美来。パソコン持ってる?」
クローゼットの奥深くに何年も使っていないノートパソコンが置いてある。
ネットショッピングするのに大きな画面がいいと思って買ったはいいが面倒になってほとんど使っていないものだ。
「あるけど」
「見せてほしいんだけど」
美来はめんどくさいと思いながらも、ローテーブルにコーヒーをおいて立ち上がった。
それからクローゼットをあさって、案外簡単に見つかったノートパソコンをハルの背中側から手渡した。
「使えるかわかんないよ?」
「これ、使ってんの?」
「使ってない」
「じゃあ、いじっていい?」
「別にいいけど」
そういって美来は、もともと自分が座っていた場所にあるハルの足を乱暴に床に叩き落とす。気を抜いていたのか。ハルは足を床に打ち付けて「いった!!」という声を上げていた。
何一つ気にすることなく隣に腰を下ろすと、ハルは美来の膝の上に片足を伸ばした。腹が立った美来はもう一度突き落としてやろうとするが、ハルが足に力を入れた為動かすこともできなければ、立ち上がることができない。
無言の激闘を繰り広げた結果、美来は疲れて力を抜き、遠い目で天井を見上げた。
先が思いやられる。