ダメな大人の見本的な人生

86:世間は狭い

「はいどうぞ」
「おお、うまそう」

 本望ではない同棲を開始させ、久しぶりの失恋というものに心を痛めている社会不適合者二人は、正月特番が映るテレビを前に雑煮を食べていた。

 おせちを作るなんて面倒なことは最初から頭になかった。だが正月だし、一応二人だし、さすがに何かやるかと思っためんどくさがり屋の美来が最大限の譲歩をして自分の中で決まったのが雑煮だった。
 ハルはソファーに。美来はソファーを背もたれにしてローテーブルとの間の床に座って雑煮を食べ進める。二人でいる空間の無言にも慣れてしまった。

 美来がテレビを見ながらぼそりと呟いた。

「……こうしてるとなんか熟年夫婦みたい」

 その声が自分の耳に届いて、ちょっと哀れな気持ちになって、それからくすぶる気持ちが心の底から湧いてきた。

「どうせ同棲するなら、もっとドキドキしたいしときめきたい」

 言っている途中から自分で自分の事を、年末年始の休みが嬉しすぎて頭がおかしくなってしまったのではないかと思った。

「勝手に探せよ。ドキドキとトキメキ」

 無茶言うなよ。
 そこまで言うならせめてドキドキとときめきの素材になれるくらいの存在ではあれよ。と思いながらも、この男のどんな瞬間を切り取ったってドキドキともときめきとも無縁であることは最初からわかっていた事なので、美来は勝負に勝って試合に負けたと思う事にして口をつぐんだ。

 テレビでは旬のタレントが着物を着て楽しそうにクイズに答えている。
 しかしタレントという職業は、個人へ向けた数えきれないほどの攻撃、つまり誹謗中傷に耐えているのだ。その上年末から仕事のさなかに〝明けましておめでとうございます〟と笑顔でテンションを上げているのだ。
 そう考えると自分の仕事なんて可愛いものかもしれない。と、素直にテレビをテレビとして楽しめないという現象に陥っていた。

 年末年始、考える事と言えば衣織と実柚里の事ばかりだった。
 二人はどうして付き合う事になったのだろう。もしかするとこちらに気を寄せているという事自体が嘘だったとか。

 罰ゲームとか、ドッキリとか。
 しかし衣織の自分に対するこれまでの態度が罰ゲームやドッキリだというなら、演技力が大爆発しすぎだ。さすがにそこまではしないだろう。それなら、どうして付き合うことになったのか。あの子ども二人が付き合うフリはまだしも、キスまでするとは思えない。
 ずっと頭の中に考えても仕方のない事がよぎって、何かをしていてもすぐに意識がそれる。

 年末年始の貴重な休みは、テレビ特番と雑煮と衣織と実柚里で過ぎていき、あっという間に今年の初出勤の日になった。相変わらず若い子は可愛いし、自分のこれまでの人生の浅はかさを再認識する場所だという事を再確認。自分の計画性の無さを突き付けられるこの場所が、改めて本当に嫌いだと思う。

【スナック寄って帰るから】

 今年初出勤の日の昼過ぎ。仕事の隙を見て一応ハルに連絡を入れる。
 延命処置がしたい。とりあえず、明日を頑張るくらいの気力は欲しい。ハルに連絡を入れてからほんの少し気が楽になって、残りの仕事をした。

 しかし、仕事が終わってスマートフォンを見ても、ハルからの連絡はなかった。
 もしかすると気付いていないのかも。そう思った美来は電話をかけたが、繋がらなかった。もしかして気付いていないのか。パチンコとか音がうるさい所にいて気付いていないのかも。
 もしそうならと思うと結構本気で腹が立って、同時に能天気なあの男を本気で羨ましいと思った。

 今度は衣織と実柚里の事にハルまで追加されて、早く酒が飲みたいと思った。

「いらっしゃい」

 いつもなら染みる美妙子の声を軽く聞き流して、カウンターに座る見慣れた背中を睨みつけた。

「いた」

 美来がそう言うとハルはゆっくりと振り返った。

「美来かよ」

 ハルがあまりにもテキトーな口調で言うから、なんだかまるで家に帰ってきたみたいな安心感。こんなヤツでも一緒に住んでいたら〝居場所〟みたいに認識するんだなと考えてから、仕事で張っていた緊張的なものが緩むのを感じた。
 人が瀕死の状態で仕事をしている間にパチンコに興じていなかっただけマシじゃないか。そう思って美来はふっと息を抜いて笑うと、ハルの方へと歩いた。

「スマホくらい見なよー。三澄春登~」

 美来の言葉にハルは正面を向いたままダルそうに口を開いた。

「だーからお前、俺のフルネーム、」
「〝三澄春登〟……?」

 後ろから聞こえた聞きなれた第三者の声にとっさに振り向いたのは、美来の手がカウンターに触れる頃。
 ハルとのいつも通りのテキトーなやり取りに口をはさんだのは、今しがたスナックに入ってきた実柚里だった。

「……ハルさんのフルネーム、三澄春登って言うの……?」

 実柚里と時間が被ってしまったことにも勿論驚いたが、それよりも実柚里の驚愕した様子だけが浮いていて。
 ハルは美来の隣でカウンターに腕を付いて、額に手を当てて頭を抱えていた。

 ハルのフルネームがどうしたというのだろう。美来はハルと実柚里が共通する何かを知っていて、自分だけが知らないという事を無意識に近い所で認識していた。

「あれ、美来さんじゃないですか」

 声が聞こえて顔を上げると、そこには過去に一度だけデートをした田上純也がいた。

「奇遇ですね、こんなところで」

 田上はあの頃と変わらない笑顔を見せる。
 どうして田上がここに。

「えっ、お前ら知り合い?」

 今度はハルが目を見開いて、美来と田上の二人をまじまじと見つめた。
 それはこちらのセリフだ。ハルと田上は知り合いなのか。

「以前にちょっと。……ね?」

 田上は少し丁寧にハルに言った後で、同意を取るように美来を見た。

 しかし美来は整理しなければいけない事が多すぎて、気の利いた返事一つできず、やっとのことで頷いた。

「田上純也………さん」

 実柚里は間一髪のところで敬称をつける理性を保った様子で言う。しかし美来の中の謎はまだ深まるばかりだった。どうして実柚里は、田上のことを知っているのか。
 もう訳が分からなくて、美来は誰かが口を開いて現状を説明してくれる事とそれを理解する事に神経を尖らせていた。

「……覆面アルファ」

 〝覆面アルファ〟それで思い出したのは、実柚里が以前見せてくれた動画。

 〝覆面アルファ(二代目!!)〟という文字。登録者が100万人を越えていて、バチバチに鍛えていそうな男性が、きちっとスーツを着こなし、赤い覆面をかぶり、人差し指を立てている写真。

 ビジネス系の発信をしている、実柚里の大好きなクリエイター。
 実柚里とのギャップを思い知らされた人だから、よく覚えている。
 プロレスみたいな恰好をしているけどスーツを着こなしていて。

「田上さんが、覆面アルファー……?」

 確かにあの写真と重ねればそんな感じがする。実柚里のあの時の興奮の仕方から大ファンのはずだが、実柚里には喜びという感情は浮かんでこないらしい。

「三澄春登……」

 実柚里はもう一度ハルのフルネームを呼ぶ。

「〝テオラ〟の元社長と同じ名前」

 実柚里はぼそりと呟いて。

「ハルさん、初代覆面アルファなの……?」

 『ここに書いてあるんだけどね! ほら、ここ。この人は二代目でね~! 初代がいるんだけどその人がもう最高で~! 今は赤の覆面なんだけど~』

 確かに実柚里は覆面アルファを語るとき、そんなことを言っていた。いつの間に冷静さを取り戻したのか、ハルはいつもの無表情で顔を逸らして酒を飲んでいた。
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