ダメな大人の見本的な人生
91:正論
受付から異動受付から異動受付から異動。
朝からソファを背もたれにして、一人で家にいる休日。インターフォンが鳴った。
画面には実柚里が映っている。一体何の用事だろうと思ったが、すぐにハルが自分の好きなクリエイターだったという事を隠していたことについてだろうと察しがついた。
美来は鍵を開けて実柚里と目を合わせた。彼女はただ真っ直ぐな目で美来を見ていた。思わずひるみそうになるくらい、真っ直ぐに。
「ハルならいないよ」
「ハルさんじゃない、美来さんに話があってきたの」
一体何の用事だろうか。
見当が付かなくなった美来は話が長くなる事を考えて実柚里を家の中に入れようかと思ったが、家の中にはハルの物もある。
衣織と付き合っているのだとしても、実柚里がまだハルの事を吹っ切れていないのなら傷になるのではないか。そんなことを考えていると、実柚里は最初から家の中に入るつもりなどないみたいですぐに口を開いた。
「美来さん、ハルさんの事本当に好き?」
まるでドラマのワンシーンみたいに実柚里は問いかける。
まさか自分が青春ドラマのライバルキャラからヒロインへのセリフみたいな言葉を言われる日が来るとは思わなかった。どう考えたってこんなダメなヒロインの話なんて流行らないだろう。
「好きだよ」
美来はそれに端的に答えた。
付き合うって、そういう事よ。好きじゃない事はありえないでしょ。そんな余裕を混ぜて。個人的には実柚里とハルを応援したいのだ。しかしここはお互い様だ。実柚里の事も突き放さなければ、それはハルを裏切る事になってしまう。
「じゃあどうして、相手がしんどいって思っている事をさせて平気な顔していられるの?」
実柚里の静かな圧に美来は押し黙った。
実柚里が何を言おうとしているのか、手に取る様にわかるからだ。ハルは今働いている。自分と付き合っているから。働かない事を選んで、自分の会社を手放したのに。
「会社を立ち上げるって、どれだけ大変か知ってる? 寝る間も惜しんで働くんだよ。自分が立ち上げた会社だよ。自分の人生って言っても過言じゃない。それを自分から手放すって……それがどれだけ辛い事なのか、美来さんにわかる!?」
悲痛な声だと、他人事のようにそう思った。まるでドラマをテレビ越しに見ているみたいに。
実柚里は今にも泣きそうな顔をしている。実柚里という子は、ハルの為にそこまで想像して考える事ができる。
「よっぽどのことがあったんだろうって、私でもわかるよ。だからハルさん、今の働かない生活を選んだんじゃん。凄いと思うよ。誰にも迷惑かけないように、ちゃんと一人で生きてる。でも誰かと一緒に暮らしたら、働かないといけなくなる。きっとハルさんはうまくやると思うよ。だけどそれはハルさんが本当にしたい事じゃないじゃん」
実柚里の言う事は、全部正論。何一つ返す言葉が見つからないくらい。
「美来さんとハルさん、あってないよ」
それはよく分かってる。真正面から言われても、心に傷一つつかない周知の事実だからだ。何より、実柚里がハルの為に本気で怒っている事が伝わって、反論しようという気にすらならなかった。
「だってハルさんも美来さんも、自分の事しか考えてないんだもん。似た者同士だよ」
実柚里の中ではよほどハルも美来も似た者同士らしい。少し笑う実柚里は、それでもやっぱり悲しそうだった。
「だけど二人の違う所は、ハルさんは一人で耐える事ができて、美来さんにはそれができない。美来さんは誰かに幸せにしてもらう事しか考えてないじゃん」
その言葉が、本質。
胸を抉られるくらい間違いのない、ど真ん中を突いた事実だと思った。
「……ちがうよ。自分で探して、幸せになるんだよ。ハルさんは衣織じゃない。衣織みたいに優しい気づかいなんてできないよ。だからハルさんは絶対、美来さんに幸せだって思う瞬間をあげられない。だから絶対にあわない、」
「勝手な事いってんじゃねーよ」
実柚里の言葉を遮ったのは、ハルの声。
声の方へと視線を移すと、ハルはいつの間にかすぐ近くにいた。
実柚里は目を見開いて視線を彷徨わせた後、すぐに俯いて決まりが悪そうな顔をした。
「それ、美来じゃなくて俺に言えばよくね? お前、そんな姑息なヤツだったっけ」
ハルの言葉の響きは、いつもよりずっと冷たい。実柚里の事を思っていると知っている美来でも、本当に幻滅しているのではないかと思うくらいに。
ハルからは、容赦なく実柚里を突き放す気でいるのが伝わる。
ハルは凄い。実柚里の事が好きなのに、突き放す為ならこれくらい平気な顔でできるんだから。
だけど見えない部分では深く傷ついている事も、もう知っていた。
「おい、さっさと連れて帰れよ」
「わかってるよ」
振り向いてそういうハルの言葉にすぐに返事をしたのは、衣織だった。
「帰ろ、実柚里」
久しぶりに見る衣織は相変わらず格好良くて。
胸が締め付けられる様な気持ちになったのは懐かしさと、それからいつも衣織が自分に向けていたみたいな顔で、実柚里の名前を呼んだから。
実柚里はほんの少し眉間に皺を寄せると、速足で衣織の側に向かう。それを視線で辿れば、二人は隣を歩いて帰って行った。
一度も目が合わなかった。
この期に及んでそんな事を考えている自分に心底嫌気がさす。
二人が付き合っているというのは、演技ではないのだろうか。でも演技ならきっとあの二人はキスしたりなんてしないだろう。それなら、本当に好きで付き合っているのか。しかし実柚里はきっとハルがまだ好きで。それとも、傷口をなめ合っている間にそういう関係になったのか。まるで、大人みたいに。
二人の関係が分からない。わからなくてもいい事だとわかっているのに、どうしても考えが過ってしまう。
「入るぞ」
ハルにそう促されて我に返った美来は、「うん」と短く返事をして部屋の中に入った。
ハルはすぐにキッチンに立ってコーヒーを入れる。そして二人分のマグカップを持ってローテーブルにマグカップを置くとソファーに座った。
「ありがとう」
「んー」
テキトーな返事をするハルと部屋の暖かさとコーヒーでほんの少しだけ冷静な気持ちを取り戻す。
そしてぽつりと浮かんだ感想が、正論だったな、だった。
「で、何があった?」
「どこから聞いてたの?」
「最後の方。美来が幸せにしてもらう事しか考えてないとかなんとか」
美来は先ほどの話をハルに話して聞かせた。
実柚里がハルの為に怒っていたという事も、しっかりと伝えた。しっかりと伝えていて思った。きっと自分は本当はハルと実柚里に付き合ってほしいのだ。二人の事を応援したい。二人はとてもあっていると思うから。
そして話しながら気持ちを整理して思った。もしかすると実柚里は、少しくらいは自分の為にも怒ってくれたのではないかと。
話し終えた後の沈黙の後、美来はもう一度口を開いた。
「正論だよね」
「ま、俺達はあってはないよな」
そう言って二人でしらけた笑いを浮かべる。
「あ~もう……ややこしいし! 受付は外されるし!」
「受付から外された話、まだ言ってんのかよ」
呆れるハルをよそに、美来はソファーの背もたれに首を預けて天井を仰いだ。
「……酒」
「アル中じゃねーか」
そういってハルは笑った。
「飲もうぜ、酒。奢ってやるよ」
「もう奢ってもらわなくていい。ろくなことにならないから」
「は? お前マジで嫌い」
睨むハルを鼻で笑った。
『美来さんは誰かに幸せにしてもらう事しか考えてない』
実柚里から現実を突き付けられなければ、しばらくこうやって楽しい事に気持ちを傾けていられた、かもしれないのに。
朝からソファを背もたれにして、一人で家にいる休日。インターフォンが鳴った。
画面には実柚里が映っている。一体何の用事だろうと思ったが、すぐにハルが自分の好きなクリエイターだったという事を隠していたことについてだろうと察しがついた。
美来は鍵を開けて実柚里と目を合わせた。彼女はただ真っ直ぐな目で美来を見ていた。思わずひるみそうになるくらい、真っ直ぐに。
「ハルならいないよ」
「ハルさんじゃない、美来さんに話があってきたの」
一体何の用事だろうか。
見当が付かなくなった美来は話が長くなる事を考えて実柚里を家の中に入れようかと思ったが、家の中にはハルの物もある。
衣織と付き合っているのだとしても、実柚里がまだハルの事を吹っ切れていないのなら傷になるのではないか。そんなことを考えていると、実柚里は最初から家の中に入るつもりなどないみたいですぐに口を開いた。
「美来さん、ハルさんの事本当に好き?」
まるでドラマのワンシーンみたいに実柚里は問いかける。
まさか自分が青春ドラマのライバルキャラからヒロインへのセリフみたいな言葉を言われる日が来るとは思わなかった。どう考えたってこんなダメなヒロインの話なんて流行らないだろう。
「好きだよ」
美来はそれに端的に答えた。
付き合うって、そういう事よ。好きじゃない事はありえないでしょ。そんな余裕を混ぜて。個人的には実柚里とハルを応援したいのだ。しかしここはお互い様だ。実柚里の事も突き放さなければ、それはハルを裏切る事になってしまう。
「じゃあどうして、相手がしんどいって思っている事をさせて平気な顔していられるの?」
実柚里の静かな圧に美来は押し黙った。
実柚里が何を言おうとしているのか、手に取る様にわかるからだ。ハルは今働いている。自分と付き合っているから。働かない事を選んで、自分の会社を手放したのに。
「会社を立ち上げるって、どれだけ大変か知ってる? 寝る間も惜しんで働くんだよ。自分が立ち上げた会社だよ。自分の人生って言っても過言じゃない。それを自分から手放すって……それがどれだけ辛い事なのか、美来さんにわかる!?」
悲痛な声だと、他人事のようにそう思った。まるでドラマをテレビ越しに見ているみたいに。
実柚里は今にも泣きそうな顔をしている。実柚里という子は、ハルの為にそこまで想像して考える事ができる。
「よっぽどのことがあったんだろうって、私でもわかるよ。だからハルさん、今の働かない生活を選んだんじゃん。凄いと思うよ。誰にも迷惑かけないように、ちゃんと一人で生きてる。でも誰かと一緒に暮らしたら、働かないといけなくなる。きっとハルさんはうまくやると思うよ。だけどそれはハルさんが本当にしたい事じゃないじゃん」
実柚里の言う事は、全部正論。何一つ返す言葉が見つからないくらい。
「美来さんとハルさん、あってないよ」
それはよく分かってる。真正面から言われても、心に傷一つつかない周知の事実だからだ。何より、実柚里がハルの為に本気で怒っている事が伝わって、反論しようという気にすらならなかった。
「だってハルさんも美来さんも、自分の事しか考えてないんだもん。似た者同士だよ」
実柚里の中ではよほどハルも美来も似た者同士らしい。少し笑う実柚里は、それでもやっぱり悲しそうだった。
「だけど二人の違う所は、ハルさんは一人で耐える事ができて、美来さんにはそれができない。美来さんは誰かに幸せにしてもらう事しか考えてないじゃん」
その言葉が、本質。
胸を抉られるくらい間違いのない、ど真ん中を突いた事実だと思った。
「……ちがうよ。自分で探して、幸せになるんだよ。ハルさんは衣織じゃない。衣織みたいに優しい気づかいなんてできないよ。だからハルさんは絶対、美来さんに幸せだって思う瞬間をあげられない。だから絶対にあわない、」
「勝手な事いってんじゃねーよ」
実柚里の言葉を遮ったのは、ハルの声。
声の方へと視線を移すと、ハルはいつの間にかすぐ近くにいた。
実柚里は目を見開いて視線を彷徨わせた後、すぐに俯いて決まりが悪そうな顔をした。
「それ、美来じゃなくて俺に言えばよくね? お前、そんな姑息なヤツだったっけ」
ハルの言葉の響きは、いつもよりずっと冷たい。実柚里の事を思っていると知っている美来でも、本当に幻滅しているのではないかと思うくらいに。
ハルからは、容赦なく実柚里を突き放す気でいるのが伝わる。
ハルは凄い。実柚里の事が好きなのに、突き放す為ならこれくらい平気な顔でできるんだから。
だけど見えない部分では深く傷ついている事も、もう知っていた。
「おい、さっさと連れて帰れよ」
「わかってるよ」
振り向いてそういうハルの言葉にすぐに返事をしたのは、衣織だった。
「帰ろ、実柚里」
久しぶりに見る衣織は相変わらず格好良くて。
胸が締め付けられる様な気持ちになったのは懐かしさと、それからいつも衣織が自分に向けていたみたいな顔で、実柚里の名前を呼んだから。
実柚里はほんの少し眉間に皺を寄せると、速足で衣織の側に向かう。それを視線で辿れば、二人は隣を歩いて帰って行った。
一度も目が合わなかった。
この期に及んでそんな事を考えている自分に心底嫌気がさす。
二人が付き合っているというのは、演技ではないのだろうか。でも演技ならきっとあの二人はキスしたりなんてしないだろう。それなら、本当に好きで付き合っているのか。しかし実柚里はきっとハルがまだ好きで。それとも、傷口をなめ合っている間にそういう関係になったのか。まるで、大人みたいに。
二人の関係が分からない。わからなくてもいい事だとわかっているのに、どうしても考えが過ってしまう。
「入るぞ」
ハルにそう促されて我に返った美来は、「うん」と短く返事をして部屋の中に入った。
ハルはすぐにキッチンに立ってコーヒーを入れる。そして二人分のマグカップを持ってローテーブルにマグカップを置くとソファーに座った。
「ありがとう」
「んー」
テキトーな返事をするハルと部屋の暖かさとコーヒーでほんの少しだけ冷静な気持ちを取り戻す。
そしてぽつりと浮かんだ感想が、正論だったな、だった。
「で、何があった?」
「どこから聞いてたの?」
「最後の方。美来が幸せにしてもらう事しか考えてないとかなんとか」
美来は先ほどの話をハルに話して聞かせた。
実柚里がハルの為に怒っていたという事も、しっかりと伝えた。しっかりと伝えていて思った。きっと自分は本当はハルと実柚里に付き合ってほしいのだ。二人の事を応援したい。二人はとてもあっていると思うから。
そして話しながら気持ちを整理して思った。もしかすると実柚里は、少しくらいは自分の為にも怒ってくれたのではないかと。
話し終えた後の沈黙の後、美来はもう一度口を開いた。
「正論だよね」
「ま、俺達はあってはないよな」
そう言って二人でしらけた笑いを浮かべる。
「あ~もう……ややこしいし! 受付は外されるし!」
「受付から外された話、まだ言ってんのかよ」
呆れるハルをよそに、美来はソファーの背もたれに首を預けて天井を仰いだ。
「……酒」
「アル中じゃねーか」
そういってハルは笑った。
「飲もうぜ、酒。奢ってやるよ」
「もう奢ってもらわなくていい。ろくなことにならないから」
「は? お前マジで嫌い」
睨むハルを鼻で笑った。
『美来さんは誰かに幸せにしてもらう事しか考えてない』
実柚里から現実を突き付けられなければ、しばらくこうやって楽しい事に気持ちを傾けていられた、かもしれないのに。