ダメな大人の見本的な人生
95:ストーカー的発想
「心配してたよ」
「誰が?」
衣織は少し黙ってから、口を開いた。
「……ハルさんだよ」
「ああ、ハル……」
そうだ。確か、途中で電話を切ったんだ。しかし心配しているは大げさではないだろうか。
「ハルが、私を心配してたの?」
「そうだよ」
あの男が他人を心配するなんてありえない気がするし、もし本当なら少し見てみたい気もする。
そしてなぜか衣織は不機嫌らしい。〝そうだよ〟の声がそっけない。
もしかすると衣織はダメな大人に心底あきれているとか。そんなことを考えるが、酒に酔った頭はまともに焦る事すらしなかった。
「どうして私、衣織くんと一緒にいるんだっけ……」
「探したから」
衣織はまたそっけなく言って、それから美来がまだ酔ってぼんやりとしていて返事が返ってこない事を察した様で、また口を開く。
「ハルさんに言われたんだよ。美来さんの事知らないかって。話聞いたら、〝飲んで帰る〟って言われてそのまま電話が繋がらないって」
「ハルが……」
もしかするとハルは自分と同じことを考えたのではないかと思った。
ハルが会社の社長で自分の会社を手放したと知った次の日。朝、家にいないハルは自殺してしまったのではないかと思った。
それと同じことをハルは考えたのかもしれない。
もしそうなら、酷く心配をかけてしまったという事になる。
「……ちゃんと謝らないとね」
「美来さんの中で俺ってどこまでお人よしな男なの?」
「お人よしって?」
「俺がこのままハルさんの所に返すって思う?」
「私の事を心配して探してくれた衣織くんは、そんな事しないよ」
美来の言葉を聞いた衣織は、大きなため息を吐き捨てた。
「今なんじ?」
「もう1時過ぎたよ」
「……実柚里ちゃん、怒らない?」
「怒らないよ。大体、付き合ってるふりだし」
「それなのに、キスするの」
「するよ」
衣織は当然でしょ、と言いたげな様子で、呆れを混ぜて美来に言う。
「当たり前じゃん。それでハルさんと別れてくれるなら、キスでもセックスでも、何でもやるよ」
実柚里に思った事と同じことを思う。
子どもって案外、子どもじゃないんだ。本当に欲しいもの為ならリミッターを外して行動ができる。二人と関わって子どもの凄さを身をもって知ったはずだったのに。
「まあ、動画でキスした後に実柚里はお酒で口洗ってたけど」
美来は二人がキスしている動画を思い出した。
動画を取り終わった後、実柚里が酒で口を洗う様子を想像すると面白くて。美来は噴出して笑った。
「全然付き合うフリできてないじゃん」
「笑いごとじゃないよ。キスした後口洗われたのとか初めてすぎて普通にショックだった」
ふてくされたように言う衣織が、素直に可愛いと思った。時々見せるこんな姿は、子どもらしくてかわいいと思うのに。
「もう自分で歩ける。ありがとう」
美来がそう言うと、衣織は美来を下ろした。しかし足をつけた美来は、足元がおぼつかなくなってふらりと動く。それを見た衣織はとっさに腕を引いて、逆の手で美来を引き寄せた。
「歩けてないよ」
「……大丈夫。ちょっとびっくりしただけ、久しぶりに歩いたから」
酔っぱらい独特の言い回しをしながら、美来はしっかりと地面に足をつけてから歩き出した。
衣織は美来の手を握っている。美来が解こうとしても、衣織は手を握ったままでいた。
「美来さんってさ、結構図々しいよね」
「図々しい?」
「俺の感情を勝手に決めようとするから。俺が葵さんの側にいた方が幸せだって思ってる」
「……それは大人の世界では〝謙虚〟って言うんだよ」
「子どもの世界では〝ありがた迷惑〟って言うんだよ」
衣織はこれについてはどうしても論破したいのか、はっきりとした口調でそう言い切る。
衣織の気持ちもわかる。きっと自分が衣織の立場だったら、同じことを思うと思うから。
「でも結局、私が怖いんだよ」
美来は自分を騙すようにして明るい声を出す。
「怖いって?」
「衣織くんは顔が好きって言ってくれるけど、劣化するんだよ。衣織くんはこれから成長して考え方が変わって、一緒にいるとはならないかもしれないじゃん。そうなったら私、もう手遅れだもん。そんなしょーもないことで、傷つきたくないじゃん」
無言で手を繋いで歩く。
酔っているからか、気まずさはない。やはり酒は無敵だ。しかし無敵モードは永遠に続かず、酔いが醒めた後、感情は倍々になって返ってくるのだが。
「お前マジで……」
最近聞きなれたハルの声に、呆れと安堵が混じっている。
道の真ん中に立っているハルは、息を吐き切った後、衣織に視線を向けた。
「……ありがとな、衣織。探してくれて」
「別に」
衣織は吐き捨てるように冷たくそういう。
「ハル……ごめん」
「とりあえず帰るぞ」
そう言って美来の方へと手を伸ばすハルだったが、衣織が美来の腕を引いたことでハルの手は宙を彷徨った。
「……アンタ嫌いだ」
衣織ははっきりとした口調でハルに向かって言う。ハルは衣織をまっすぐに見た後、腕を下ろしていつもの気を抜いた表情をした。
「美来さんに手、出したから」
「大人の世界ではそういうのは〝お互い様〟って言うんだよ。どっちが手を出したとか出されたとか、ガキみたいなことは言わねーの」
「しかもあのテオラの元社長なんでしょ」
「……なんでお前が知ってんだよ」
「葵さんに聞いたから」
「葵さん……? 副島葵か?」
「そうだよ」
「……お前、葵と繋がってんのかよ」
ハルはあまりに自分の周りの人間が経営者時代の人間と知り合いだという事に思う所があるのか、呆れた様な口調でそう言った。
「どうやってあんなデカい会社作ったの?」
「自分のやりたい事と世間がやりたい事を一致させる様に頑張った」
衣織は珍しく、少し焦っている様にも見えた。
「まあせいぜい頑張れよー、後輩」
明らかに上からそういうハルに、衣織はむすっとした顔でハルを睨んだ。
美来はというと、酔いが引き切らない中の眠気の中でぼんやりとしていた。二人の話は、ほとんど右から左へ聞き流していた。
「でさ、そろそろ〝俺の彼女〟の手、離せよ」
ハルはあえて衣織を挑発するような言葉を選んで言う。
「〝俺の彼女〟とか……。気持ちもない癖に彼氏面すんな」
衣織はハルの事を鼻で笑って言う。
「仕方ねーじゃん。彼女なんだもん。お前には実柚里がいんだろ? ……美来」
名前を呼ばれてハルを見れば、ハルは手招きをしていた。
美来がハルの所に移動しようとすると、衣織は美来の手を引いた。
衣織は美来の顎をほとんど鷲掴みにして自分の方へと引き寄せると、何の遠慮もなく美来の唇を割って舌をねじ込んだ。
苦しさが脳みその機能を下げた酒と相まって、脳みそから酸素を奪う。だからさらに、何も考えられなくなって。
もしかすると自分の手元を離れるくらいなら死ねとすら思っているのではないかと、頭をかすめるくらい。
ハルは美来の頭を鷲掴みにすると、衣織から引き離した。
「……いたい」
「まだ俺の彼女な」
美来の言葉なんて無視して、ハルは衣織に向かって少しいら立った様子で言う。
「少なくとも俺は、美来さんの顔面を好きって気持ちだけでハルさんに勝てるよ」
ぼんやりとしている美来の腕を掴み直したハルは、美来をまっすぐに立たせた。
「美来さん好きな気持ちは絶対俺の方が上だから。もう俺が彼氏じゃん」
「それストーカーの発想だからな。お前、将来マジで気をつけろよ」
「美来さん捕まえたら、俺の人生勝ち確だもん。だからさっさと別れて美来さん返して。アンタじゃ絶対、美来さん幸せにできないから」
「……お前まだ諦めてねーのかよ」
衣織の様子にハルは呆れた様子で言った。
ハルに冷たい視線を向けていた衣織は、少し寂しそうな、複雑な顔をして美来を見た。
「……美来さん、おやすみ」
「……俺にも言えよ」
「一生寝てろよ」
吐き捨てて来た道を戻る衣織を見送ったハルは、掴んでいる美来の腕を自分の肩に回して歩き出した。
「お前のストーカー、マジで倫理観どうなってんだよ。ヤバすぎだろ」
ハルは呆れた様子で言って、それから笑った。
「別れねーと寝取られそうなんだけど。どーする?」
美来はうとうととしながら、しかしあまりにもハルが危機感を煽るから、眠るに眠れずに一歩一歩家までの足を動かした。
「誰が?」
衣織は少し黙ってから、口を開いた。
「……ハルさんだよ」
「ああ、ハル……」
そうだ。確か、途中で電話を切ったんだ。しかし心配しているは大げさではないだろうか。
「ハルが、私を心配してたの?」
「そうだよ」
あの男が他人を心配するなんてありえない気がするし、もし本当なら少し見てみたい気もする。
そしてなぜか衣織は不機嫌らしい。〝そうだよ〟の声がそっけない。
もしかすると衣織はダメな大人に心底あきれているとか。そんなことを考えるが、酒に酔った頭はまともに焦る事すらしなかった。
「どうして私、衣織くんと一緒にいるんだっけ……」
「探したから」
衣織はまたそっけなく言って、それから美来がまだ酔ってぼんやりとしていて返事が返ってこない事を察した様で、また口を開く。
「ハルさんに言われたんだよ。美来さんの事知らないかって。話聞いたら、〝飲んで帰る〟って言われてそのまま電話が繋がらないって」
「ハルが……」
もしかするとハルは自分と同じことを考えたのではないかと思った。
ハルが会社の社長で自分の会社を手放したと知った次の日。朝、家にいないハルは自殺してしまったのではないかと思った。
それと同じことをハルは考えたのかもしれない。
もしそうなら、酷く心配をかけてしまったという事になる。
「……ちゃんと謝らないとね」
「美来さんの中で俺ってどこまでお人よしな男なの?」
「お人よしって?」
「俺がこのままハルさんの所に返すって思う?」
「私の事を心配して探してくれた衣織くんは、そんな事しないよ」
美来の言葉を聞いた衣織は、大きなため息を吐き捨てた。
「今なんじ?」
「もう1時過ぎたよ」
「……実柚里ちゃん、怒らない?」
「怒らないよ。大体、付き合ってるふりだし」
「それなのに、キスするの」
「するよ」
衣織は当然でしょ、と言いたげな様子で、呆れを混ぜて美来に言う。
「当たり前じゃん。それでハルさんと別れてくれるなら、キスでもセックスでも、何でもやるよ」
実柚里に思った事と同じことを思う。
子どもって案外、子どもじゃないんだ。本当に欲しいもの為ならリミッターを外して行動ができる。二人と関わって子どもの凄さを身をもって知ったはずだったのに。
「まあ、動画でキスした後に実柚里はお酒で口洗ってたけど」
美来は二人がキスしている動画を思い出した。
動画を取り終わった後、実柚里が酒で口を洗う様子を想像すると面白くて。美来は噴出して笑った。
「全然付き合うフリできてないじゃん」
「笑いごとじゃないよ。キスした後口洗われたのとか初めてすぎて普通にショックだった」
ふてくされたように言う衣織が、素直に可愛いと思った。時々見せるこんな姿は、子どもらしくてかわいいと思うのに。
「もう自分で歩ける。ありがとう」
美来がそう言うと、衣織は美来を下ろした。しかし足をつけた美来は、足元がおぼつかなくなってふらりと動く。それを見た衣織はとっさに腕を引いて、逆の手で美来を引き寄せた。
「歩けてないよ」
「……大丈夫。ちょっとびっくりしただけ、久しぶりに歩いたから」
酔っぱらい独特の言い回しをしながら、美来はしっかりと地面に足をつけてから歩き出した。
衣織は美来の手を握っている。美来が解こうとしても、衣織は手を握ったままでいた。
「美来さんってさ、結構図々しいよね」
「図々しい?」
「俺の感情を勝手に決めようとするから。俺が葵さんの側にいた方が幸せだって思ってる」
「……それは大人の世界では〝謙虚〟って言うんだよ」
「子どもの世界では〝ありがた迷惑〟って言うんだよ」
衣織はこれについてはどうしても論破したいのか、はっきりとした口調でそう言い切る。
衣織の気持ちもわかる。きっと自分が衣織の立場だったら、同じことを思うと思うから。
「でも結局、私が怖いんだよ」
美来は自分を騙すようにして明るい声を出す。
「怖いって?」
「衣織くんは顔が好きって言ってくれるけど、劣化するんだよ。衣織くんはこれから成長して考え方が変わって、一緒にいるとはならないかもしれないじゃん。そうなったら私、もう手遅れだもん。そんなしょーもないことで、傷つきたくないじゃん」
無言で手を繋いで歩く。
酔っているからか、気まずさはない。やはり酒は無敵だ。しかし無敵モードは永遠に続かず、酔いが醒めた後、感情は倍々になって返ってくるのだが。
「お前マジで……」
最近聞きなれたハルの声に、呆れと安堵が混じっている。
道の真ん中に立っているハルは、息を吐き切った後、衣織に視線を向けた。
「……ありがとな、衣織。探してくれて」
「別に」
衣織は吐き捨てるように冷たくそういう。
「ハル……ごめん」
「とりあえず帰るぞ」
そう言って美来の方へと手を伸ばすハルだったが、衣織が美来の腕を引いたことでハルの手は宙を彷徨った。
「……アンタ嫌いだ」
衣織ははっきりとした口調でハルに向かって言う。ハルは衣織をまっすぐに見た後、腕を下ろしていつもの気を抜いた表情をした。
「美来さんに手、出したから」
「大人の世界ではそういうのは〝お互い様〟って言うんだよ。どっちが手を出したとか出されたとか、ガキみたいなことは言わねーの」
「しかもあのテオラの元社長なんでしょ」
「……なんでお前が知ってんだよ」
「葵さんに聞いたから」
「葵さん……? 副島葵か?」
「そうだよ」
「……お前、葵と繋がってんのかよ」
ハルはあまりに自分の周りの人間が経営者時代の人間と知り合いだという事に思う所があるのか、呆れた様な口調でそう言った。
「どうやってあんなデカい会社作ったの?」
「自分のやりたい事と世間がやりたい事を一致させる様に頑張った」
衣織は珍しく、少し焦っている様にも見えた。
「まあせいぜい頑張れよー、後輩」
明らかに上からそういうハルに、衣織はむすっとした顔でハルを睨んだ。
美来はというと、酔いが引き切らない中の眠気の中でぼんやりとしていた。二人の話は、ほとんど右から左へ聞き流していた。
「でさ、そろそろ〝俺の彼女〟の手、離せよ」
ハルはあえて衣織を挑発するような言葉を選んで言う。
「〝俺の彼女〟とか……。気持ちもない癖に彼氏面すんな」
衣織はハルの事を鼻で笑って言う。
「仕方ねーじゃん。彼女なんだもん。お前には実柚里がいんだろ? ……美来」
名前を呼ばれてハルを見れば、ハルは手招きをしていた。
美来がハルの所に移動しようとすると、衣織は美来の手を引いた。
衣織は美来の顎をほとんど鷲掴みにして自分の方へと引き寄せると、何の遠慮もなく美来の唇を割って舌をねじ込んだ。
苦しさが脳みその機能を下げた酒と相まって、脳みそから酸素を奪う。だからさらに、何も考えられなくなって。
もしかすると自分の手元を離れるくらいなら死ねとすら思っているのではないかと、頭をかすめるくらい。
ハルは美来の頭を鷲掴みにすると、衣織から引き離した。
「……いたい」
「まだ俺の彼女な」
美来の言葉なんて無視して、ハルは衣織に向かって少しいら立った様子で言う。
「少なくとも俺は、美来さんの顔面を好きって気持ちだけでハルさんに勝てるよ」
ぼんやりとしている美来の腕を掴み直したハルは、美来をまっすぐに立たせた。
「美来さん好きな気持ちは絶対俺の方が上だから。もう俺が彼氏じゃん」
「それストーカーの発想だからな。お前、将来マジで気をつけろよ」
「美来さん捕まえたら、俺の人生勝ち確だもん。だからさっさと別れて美来さん返して。アンタじゃ絶対、美来さん幸せにできないから」
「……お前まだ諦めてねーのかよ」
衣織の様子にハルは呆れた様子で言った。
ハルに冷たい視線を向けていた衣織は、少し寂しそうな、複雑な顔をして美来を見た。
「……美来さん、おやすみ」
「……俺にも言えよ」
「一生寝てろよ」
吐き捨てて来た道を戻る衣織を見送ったハルは、掴んでいる美来の腕を自分の肩に回して歩き出した。
「お前のストーカー、マジで倫理観どうなってんだよ。ヤバすぎだろ」
ハルは呆れた様子で言って、それから笑った。
「別れねーと寝取られそうなんだけど。どーする?」
美来はうとうととしながら、しかしあまりにもハルが危機感を煽るから、眠るに眠れずに一歩一歩家までの足を動かした。