元許婚に恋をする。
はじまり
はじまり
――時は明治。明治初頭から戦前の昭和の世にかけて存在した日本の特権的身分階級であり、明治二年に実施された「版籍奉還」に伴い創設された制度が華族である。
そして華族という身分は、明治維新前の幕藩体制における公卿ならびに諸侯を代替する身分として設けられた。華族の下には「士族」すなわち武家に替わる身分が置かれ、華族の上には「皇族」があった。なお「貴族」という身分は制度上は存在せず、貴族といえば華族を指した……まぁ、いわゆる貴族のことを指すんだけど、私には関係のない話である。
「美織さん、奥様がお呼びですよ」
「はい! わかりました、今行きます」
私、秋塚 美織は両替商である白木屋で上女中として働かせてもらっている。白木屋・白岡家は、江戸時代から続く貸幣交換を生業にしていて名家中の名家だ。
奥様のお部屋である襖の手前で跪座をし「奥様、美織です」と声をかけると、中から「入りなさい」と聞こえたので引き手に手をかけ十センチ程開けた。引き手から手を離すと、その手を襖の立縁に沿い藍田隙間に入れてそのまま体の中心まで開けてから反対の手に代えて体が入る程度まで開けた。跪座から正座に直すと一礼をする。
「失礼致します」
そう言うと、軽く握った両手で体を支えてにじるようにして入室をした。部屋には、ここの奥様である白岡はな様と見覚えのある男子が待っていた。
「いらっしゃい、美織さん。さぁこちらに座って」
「はい。失礼致します」
奥様の言う通りに入りよく見たら「えっ」と声が出てしまう。今は大学予科に行っているはずの私の弟・新一郎だった。
「えっ、新一郎?」
「はい、姉さん。新一郎です」
「大きくなったんだね……顔も、父さんに似てるし」
「それは嬉しくないです。でもありがとうございます。今、がんばれているのは姉さんと白岡様のおかげです」
そう言った彼に私は「私なんて、奥様のおかげです」と呟いた。
「美織さんもとても頑張っているわよ」
「ありがとうございます」
「肇様は相変わらず……?」
奥様がそう聞くと新一郎は「はい、まぁ」と答えた。
肇様とは、秋塚肇。華族であり伯爵の爵位を賜っている彼は私と新一郎の父親。そんな私がここにいるのかというと……三年前、母が亡くなり憔悴しきっている中、父は後妻を迎えた。最初はまだ良かった、でも後妻が妊娠し子供が生まれると一変した。私を召使かのように扱い、新一郎にも辛く当たった。まるで私たちがよそ者のようだった。
なのに父親は何も言わない、庇おうともしない。いつからか当主の仕事すらも後妻がするようになった。全ての権力は、後妻が持つことになって……私は全てを奪われた。生まれた子供が女子だったこともあり幼き頃に結んだ婚約者もその子供に奪われてしまった。それで全てが嫌になって、逃げた。華族の身分も思い出も全てあの家に置いてきた。
「父は表向きの当主。義母は、伯爵家の全てを仕切っています。将来は私が継ぐ予定でしたが、義母が産んだ次男を当主にすると動いております」
「えっ、新一郎はそれでいいの?」
「あぁ、いいんだよ。もうあの家は、伯爵家は腐っている。そんな家に未練はない」
そんな……新一郎は跡取りだから、邪険にされないと思っていたのに。
「それにね、姉さん。俺、中学校卒業したら師範学校へ行くことにしたんだよ」
「師範学校? 先生になるの?」
「うん。全寮制だから家も出れるし、卒業後先生として働くなら無償なんだ。俺も華族の身分なんていらないから」
そう言った新一郎は、スッキリした表情をしていてあぁもう決めたんだな、大きくなったんだと感じた。
「そうなのね、うん。新一郎がいいなら私は応援するよ」
「ありがとう、姉さん」
「たまには会いに来なさいよ?」
新一郎は、うんと頷くと笑って「白岡様」と声を掛けた。
「姉のことこれからもよろしく頼みます、あのことも」
「えぇ、任せて頂戴な」
綺麗にお辞儀をすると、新一郎は帰って行った。
***
それから数日後、今度は旦那様に呼ばれて旦那様がいる書斎へと呼ばれて行くとそこにはまた男性のお客さまがいた……なぜか見たことのある顔で、高貴な感じの服だし令嬢時代にどこかであったかなと考えを巡らせる。
「……久しぶり、美織ちゃん」
「あの、失礼ですがどこかで会ったことありますか?」
「あぁ……私は花野院。花野院宗一郎といいます。あなたの、美織嬢の婚約者でございます」
え……? 私はもう貴族じゃないはず、それにもう義母の子供になっているんじゃなかったの!?
それに花野院様って公爵家のご子息じゃなかったかしら……
「……っそれは、間違えでは?」
「間違えというのはどういうことでしょうか? 白岡様にもあなたが伯爵家令嬢で秋塚家長女・秋塚美織様と聞いたのだが」
「秋塚美織は私、です。ですが、私は伯爵家を出た身でございます……」
「そうですね。美織嬢は知らないと思いますが、あなたは伯爵家令嬢で間違いありません。貴族院議長も除籍を許しておりません」
えっ? 貴族院とは皇族、華族、勅任された議員で構成されている。その議長が許してないって……どういうことなの。
「驚くようなことはありませんよ。今の秋塚家の状況は把握しております。だが、後妻である千代様は元は華族の血は流れておりません。平民です。それに、お子である秋塚家次女の清子様に次男の稔様も平民の血が流れております。華族は血を大事にします。あなたのお母様は元子爵家令嬢だ、華族の血を受け継いでいる美織様と新一郎様を邪気にするわけがないでしょう」
「でも、私は……あの家には」
「はい。なので私は、父である公爵家当主に命を受けやって参りました」
「え……当主様の?」
花野院様は「はい、さようでございます」と言い真剣な顔になると、もう一度口を開いた。
「それは我が公爵家であなたを庇護下に置くことです」
「ひ、庇護下?」
「はい。なので本日迎えに参りました」
そう言って花野院様は私に微笑んだ。
「それに私は、あなたを愛しております。幼い頃会っただけですが、あなたを見て心奪われてしまいました。花嫁に貰うのなら、あなたがいいと思っておりました」
私は花野院様は、白岡家を出て花野院様の馬車で花野院邸へ向かっていた。
「花野院様、私……えっと」
「宗一郎でいいですよ、美織様」
「は、はい。宗一郎様……あの私のことも様は付けないでください」
いきなり様付けされてもこしょぐったい感じがして落ちつかない。だけど彼に呼ばれるのは全く嫌じゃない……馬車が走る中、外をみればいつもの日常が広がっていて私は戻ったんだと。
これから先、どうなるのかわからないが……きっとこの人なら、大丈夫のような気がする。
――時は明治。明治初頭から戦前の昭和の世にかけて存在した日本の特権的身分階級であり、明治二年に実施された「版籍奉還」に伴い創設された制度が華族である。
そして華族という身分は、明治維新前の幕藩体制における公卿ならびに諸侯を代替する身分として設けられた。華族の下には「士族」すなわち武家に替わる身分が置かれ、華族の上には「皇族」があった。なお「貴族」という身分は制度上は存在せず、貴族といえば華族を指した……まぁ、いわゆる貴族のことを指すんだけど、私には関係のない話である。
「美織さん、奥様がお呼びですよ」
「はい! わかりました、今行きます」
私、秋塚 美織は両替商である白木屋で上女中として働かせてもらっている。白木屋・白岡家は、江戸時代から続く貸幣交換を生業にしていて名家中の名家だ。
奥様のお部屋である襖の手前で跪座をし「奥様、美織です」と声をかけると、中から「入りなさい」と聞こえたので引き手に手をかけ十センチ程開けた。引き手から手を離すと、その手を襖の立縁に沿い藍田隙間に入れてそのまま体の中心まで開けてから反対の手に代えて体が入る程度まで開けた。跪座から正座に直すと一礼をする。
「失礼致します」
そう言うと、軽く握った両手で体を支えてにじるようにして入室をした。部屋には、ここの奥様である白岡はな様と見覚えのある男子が待っていた。
「いらっしゃい、美織さん。さぁこちらに座って」
「はい。失礼致します」
奥様の言う通りに入りよく見たら「えっ」と声が出てしまう。今は大学予科に行っているはずの私の弟・新一郎だった。
「えっ、新一郎?」
「はい、姉さん。新一郎です」
「大きくなったんだね……顔も、父さんに似てるし」
「それは嬉しくないです。でもありがとうございます。今、がんばれているのは姉さんと白岡様のおかげです」
そう言った彼に私は「私なんて、奥様のおかげです」と呟いた。
「美織さんもとても頑張っているわよ」
「ありがとうございます」
「肇様は相変わらず……?」
奥様がそう聞くと新一郎は「はい、まぁ」と答えた。
肇様とは、秋塚肇。華族であり伯爵の爵位を賜っている彼は私と新一郎の父親。そんな私がここにいるのかというと……三年前、母が亡くなり憔悴しきっている中、父は後妻を迎えた。最初はまだ良かった、でも後妻が妊娠し子供が生まれると一変した。私を召使かのように扱い、新一郎にも辛く当たった。まるで私たちがよそ者のようだった。
なのに父親は何も言わない、庇おうともしない。いつからか当主の仕事すらも後妻がするようになった。全ての権力は、後妻が持つことになって……私は全てを奪われた。生まれた子供が女子だったこともあり幼き頃に結んだ婚約者もその子供に奪われてしまった。それで全てが嫌になって、逃げた。華族の身分も思い出も全てあの家に置いてきた。
「父は表向きの当主。義母は、伯爵家の全てを仕切っています。将来は私が継ぐ予定でしたが、義母が産んだ次男を当主にすると動いております」
「えっ、新一郎はそれでいいの?」
「あぁ、いいんだよ。もうあの家は、伯爵家は腐っている。そんな家に未練はない」
そんな……新一郎は跡取りだから、邪険にされないと思っていたのに。
「それにね、姉さん。俺、中学校卒業したら師範学校へ行くことにしたんだよ」
「師範学校? 先生になるの?」
「うん。全寮制だから家も出れるし、卒業後先生として働くなら無償なんだ。俺も華族の身分なんていらないから」
そう言った新一郎は、スッキリした表情をしていてあぁもう決めたんだな、大きくなったんだと感じた。
「そうなのね、うん。新一郎がいいなら私は応援するよ」
「ありがとう、姉さん」
「たまには会いに来なさいよ?」
新一郎は、うんと頷くと笑って「白岡様」と声を掛けた。
「姉のことこれからもよろしく頼みます、あのことも」
「えぇ、任せて頂戴な」
綺麗にお辞儀をすると、新一郎は帰って行った。
***
それから数日後、今度は旦那様に呼ばれて旦那様がいる書斎へと呼ばれて行くとそこにはまた男性のお客さまがいた……なぜか見たことのある顔で、高貴な感じの服だし令嬢時代にどこかであったかなと考えを巡らせる。
「……久しぶり、美織ちゃん」
「あの、失礼ですがどこかで会ったことありますか?」
「あぁ……私は花野院。花野院宗一郎といいます。あなたの、美織嬢の婚約者でございます」
え……? 私はもう貴族じゃないはず、それにもう義母の子供になっているんじゃなかったの!?
それに花野院様って公爵家のご子息じゃなかったかしら……
「……っそれは、間違えでは?」
「間違えというのはどういうことでしょうか? 白岡様にもあなたが伯爵家令嬢で秋塚家長女・秋塚美織様と聞いたのだが」
「秋塚美織は私、です。ですが、私は伯爵家を出た身でございます……」
「そうですね。美織嬢は知らないと思いますが、あなたは伯爵家令嬢で間違いありません。貴族院議長も除籍を許しておりません」
えっ? 貴族院とは皇族、華族、勅任された議員で構成されている。その議長が許してないって……どういうことなの。
「驚くようなことはありませんよ。今の秋塚家の状況は把握しております。だが、後妻である千代様は元は華族の血は流れておりません。平民です。それに、お子である秋塚家次女の清子様に次男の稔様も平民の血が流れております。華族は血を大事にします。あなたのお母様は元子爵家令嬢だ、華族の血を受け継いでいる美織様と新一郎様を邪気にするわけがないでしょう」
「でも、私は……あの家には」
「はい。なので私は、父である公爵家当主に命を受けやって参りました」
「え……当主様の?」
花野院様は「はい、さようでございます」と言い真剣な顔になると、もう一度口を開いた。
「それは我が公爵家であなたを庇護下に置くことです」
「ひ、庇護下?」
「はい。なので本日迎えに参りました」
そう言って花野院様は私に微笑んだ。
「それに私は、あなたを愛しております。幼い頃会っただけですが、あなたを見て心奪われてしまいました。花嫁に貰うのなら、あなたがいいと思っておりました」
私は花野院様は、白岡家を出て花野院様の馬車で花野院邸へ向かっていた。
「花野院様、私……えっと」
「宗一郎でいいですよ、美織様」
「は、はい。宗一郎様……あの私のことも様は付けないでください」
いきなり様付けされてもこしょぐったい感じがして落ちつかない。だけど彼に呼ばれるのは全く嫌じゃない……馬車が走る中、外をみればいつもの日常が広がっていて私は戻ったんだと。
これから先、どうなるのかわからないが……きっとこの人なら、大丈夫のような気がする。
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