エリート弁護士の執着愛
 第一章


 バーのカウンター席に座り、スパークリングワインをベースにしたミモザを口に含む。オレンジの酸味が胸の奥に溜まる苦さを流してくれればよかったのに、込み上げてくる怒りはさっぱりなくならない。

 私の今の機嫌は最低最悪である。

 それも十年ぶりに会った太一のせいであった。
 お互い二十八歳。もういい大人だ。過去の件は水に流して、新しい関係を始められるかもしれない、と期待をしていた。

(だって、私、頑張ったし)

 六年前、幼馴染みの太一にこっぴどく振られた私は、いつか見返してやりたい、いつか後悔させてやりたい、その思いを胸にダイエットを始めた。
 六年、私の胸にあったのは、太一への怒りだけだ。ダイエットに負けそうになるたびに、彼に〝豚〟と呼ばれた日を思い出した。
 毎日の運動に食事制限、リバウンドしないために時間をかけてゆっくりと痩せていった。食生活を改善した結果、吹き出物が出なくなり、肌質も改善した。
 数年かかったが、太っていた頃より二十キロも痩せて、腕も腹も太腿もほっそりしており、服はSサイズをキープしている。

 でも、なかなか太一に会いに行く勇気は持てなかった。
 長年信じていた相手に裏切られたショックは軽くはなく、また〝豚〟と呼ばれるのではと思うと、足が竦んだ。
 そうやって何年も無駄にしたが、転機は意外な形で訪れた。
 今日、一ヶ月ぶりに実家に帰ると、お母さんにお使いを頼まれたのだ。そしてスーパーで必要な物を買い、家に帰る途中で偶然、太一と会った。

 私は思いきって声をかけた。
 太一が痩せた私を見て少しでも驚いてくれたら、綺麗になったと言ってくれたら、過去のトラウマが解消されるかもしれない。
 太一のことなど忘れて、別の人に恋ができるかもしれない、そう思った。

「それなのに、それなのにっ……あの野郎、私を覚えてもいなかったのっ! 悔しい~!」
「飲み過ぎじゃない? 育実ちゃん」

 馴染みのバーのマスターがやんわりと窘めてくる。カクテルグラスを遠くに置き、水を差しだされて、私はグラスに入った水を一気に飲み干した。

「飲まないとやってられないの」
「まぁ、いいけどね。帰れる程度にしておきなよ」
「ねぇ、私の六年ってなんだったんだと思う? 太一を見返したくて、頑張ってダイエットして綺麗になったのに、覚えられてもいないって。あいつ私を見て『どちらさまですか?』って言ったの! 十年来の幼馴染みの顔を忘れるってどういうこと!」
「どちらさまって言われてどうしたの?」
「育実だよ、久しぶりって声をかけたの。そうしたら『え、あのブタ実? マジで?』って。あいつが私のこと影で〝ブタ実〟って呼んでたことがわかっただけで終わったの!」

 怒りはまったく収まらない。トラウマを解消するべく太一に会いに行ったのに、新たなトラウマを植えつけられ、気分は最低最悪だ。

「うわ」
「驚かせることに成功はしたけどさ、試合に勝って勝負に負けた感! この数年、あいつをギャフンと言わせるためだけに頑張ってきたのに。こうなったら、やっぱりイケメンの恋人を作って結婚式にでも呼んでやるしかないのっ?」
「まったく……拗らせすぎでしょう」

 マスターはやれやれと肩を竦めながら、サービスだと言ってオリーブのピクルスを差し出した。そして、いつの間にか一つ席を空けて座っていた客の対応に行ってしまう。
 話相手がいなくなった私は、仕方なく小皿に並んだオリーブを一つ摘まむ。
 ほどよい酸味が口の中に広がり、唾液が溢れてくる。それを咀嚼し飲み込むと、いきり立っていた気持ちがやや落ち着いてくる。

< 2 / 17 >

この作品をシェア

pagetop