エリート弁護士の執着愛
「可愛いな」

 その言葉が本心から出たのだとわかり、私の頬が沸騰したように熱くなる。

「なん……っ、それ、昔の写真ですよ。可愛くなんて」
「いや、可愛いだろう、十分。これは何歳?」
「二十一歳くらいです。一番太ってた頃。顔だってニキビだらけで、洗顔料を変えても治らなくて前髪を長くして誤魔化してたんですよ。私、太一に手酷く振られたあと、しばらくなにも食べなくて……お父さんとお母さんに心配かけちゃったんですよね」
「そうか」

 食べることが大好きだった私が部屋に引きこもりなにも食べなくなって、外にも出られなくなった。
 お父さんもお母さんも私が太一に失恋したことを察していたのか、なにも聞かなかった。

 けれど、両親はこのままではいけないと思ったのだろう。
 春休みなのをいいことに部屋に閉じこもっていた私に、お父さんから慌てた様子で電話があったのだ。大事な書類を家に忘れてしまったから弁護士事務所に届けてほしい、そう言われた私は仕方なく家を出た。

 普通、仕事で使用する大事な書類を、大学を卒業したばかりの娘に預けないだろうから、あれは父の機略だったのだと今ならわかる。

(そういえば……)

 あのとき、父の弁護士事務所で大人に囲まれた私に、優しくしてくれた人がいた。
 父の子どもだから親切にしてくれただけだろうが、暑くて顔を真っ赤にした私に飲み物を買ってくれた男の人。
 オレンジジュースを渡されて、躊躇する私に「どうしたの?」と彼は聞いた。
 話すつもりなんてなかったのに、気づいたら「ジュースを飲んだら太っちゃう。太一にまた嫌われちゃう」とこぼしたのだ。

(あの人に……君は可愛いのにその男はもったいないことをしたなって言われたんだ)

 その言葉に救われた私はダイエットを決意したのだ。痩せて綺麗になって太一を見返してやると。いつか私を振ったことを後悔させてやると。
 優一さんが、私の行きつけのバーやレストランを知っていたこと。私の好きなブランドを知っていたこと。好きな飲み物を知っていたこと。
 様々な偶然が偶然ではないような気がしてくる。

(違う。私はそう思いたいんだ。偶然なんかじゃない……優一さんが、あの人だったらいいのにって)

「こんなに可愛いのに、タイチくんはもったいないことをしたな」

 目の前から聞こえてきた言葉が過去と交差する。
 あのときの男性が優一さんの顔を重なり、既視感を抱かせた。胸が温かくなり、彼の言葉をすんなりと信じてしまいたくなる。

「そんなに可愛いって言わないでください。調子に乗っちゃいますから」

 私は思わず噴きだすように笑っていた。
 昨夜から、この人は何度私に可愛いと言っただろう。まるで自信のない私に言い聞かせるように何度も何度も。

「君は調子に乗るくらいでちょうどいい。言葉を尽くすのは当たり前だろうが、俺は君の笑った顔が見たかったんだから。でも、ようやく見られたな」
「ありがとうございます。いろいろと」
「じゃあ、そろそろ恋人の俺と連絡先を交換してくれるか?」

 そういえば彼とは連絡先一つ交換していなかった。昨夜からずっと一緒に過ごしていたから、連絡先を交換する必要がなかったのだ。

「あ、そうですね」

 私はスマートフォンを出して、メッセージアプリを表示させた。QRコードを読み取り、彼と繋がる。私の登録名はひらがなで〝いくみ〟だ。彼の登録名は久能優一となっていた。
 登録したばかりの連絡先にメッセージで名前を入れようとすると、彼のスマートフォンの画面が横目に見えてしまった。そこには登録名を変更したのか〝仙崎育実〟とある。

(あれ? 私、名字を言ったっけ?)

 もしかしたら昨夜名乗ったのかもしれない。もしくはバーのマスターが教えたのかもしれない。
 食事を終えてオレンジジュースを飲んだあと、優一さんの車で家まで送ってもらった。私はこの日、彼のおかげで太一に〝ブタ実〟と呼ばれたことを思い出さずに済んだのだ。


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