龍帝陛下の身代わり花嫁
…邸の外へ
「良く似合っているな」
部屋に訪れた陛下は、開口一番そう口にすると、柔らかな笑みを浮かべる。
「素敵な衣装をありがとうございます」
「はは、喜んでもらえたなら何よりだ」
御礼の言葉に目を細めた彼は、ぽんとその手を私の頭に置いた。
いつものゆったりとした衣装とは違い、紺色に金色の華やかな刺繍が入った上衣に同色の袴のようなものを身に着けている姿は、昨日一昨日よりも簡素にも見えるが、そのぶん彼の顔立ちやスタイルの良さが際立ってみえる。
「レイゼン様も、素敵です」
彼くらい容姿が整っていれば、どんな衣装でも着こなしてしまうだろう。
そんなことを考えながら言葉を漏らせば、彼はふっと笑みを浮かべた。
「おや、私の花嫁は随分と褒め上手のようだ」
いつものからかい文句のような言葉を口にすると、その黄金色の瞳を細める。
「そなたの望みなら、毎日この衣装で過ごすこともやぶさかではないが」
「い、いつもの御姿も素敵ですから!」
慌てて声をあげれば、ククッと笑った彼が静かに手を差し出した。
「冗談だ。さて、そろそろ今宵の『デート』とやらに向かおうではないか」
にこりとこちらに微笑みかける彼の手に、そっと己の手を乗せる。
私の行動に満足げに頷いた陛下は、仕切り布を分けるように廊下へと導いてくれた。
開けた視界の先に映ったのは、大きな桜の樹だった。
もしかしたらこの世界では『桜』という名称ではないかもしれないが、薄闇の中で淡く光るような薄紅色の花々に目を奪われる。
「どうかしたか?」
隣から彼の声が聞こえるのに、薄ぼんやりと輝くような桜の樹に視線が惹きつけられてしまう。
「……美しいなと思いまして」
「ああ、この時期に盛りを迎える花だ。盛りの時期は美しいが、すぐに散ってしまうのが難点でな。……そなたがここを去る頃には青葉になっているかもしれぬ」
そっと囁かれた言葉に思わず隣を振り仰げば、目尻を下げながらこちらを見つめているレイゼン様の姿があった。
「こちらだ」
手を引かれ、中庭に面した長い廊下を進んでいく。
邸は想像していたよりも随分と広く、複雑な構造をしているようだった。
建物と建物を繋ぐ渡り廊下を何度も渡るたびに、広い中庭や大きな池など見慣れない光景が目に映る。
まるで迷路のような入り組み具合に、一人では絶対に戻れそうにないと考えていれば、開けた場所に降りられる階段に辿りついた。
用意されていた靴を履くと、大きな門へと伸びる石畳の道を進んでいく。
周囲には松明を手にする警固らしい姿があるが、彼等には人とは違う耳や尻尾があったり肌が緑がかっていたりと、人以外の特徴を持っていることに驚きを隠せない。
本当にここにいるのは人間ではなく亜人なんだと今更ながらに実感していれば、門の前に大柄な門番らしき二人の影が見えた。
全身を獣毛に包まれた彼等は、レイゼン様に頭を垂れるとその手で大きな門を開く。
開かれた先に足を踏み出した瞬間、その光景にあんぐりと口を開けてしまった。
夜とは思えぬ明るい大通り、その両脇には無数の桜が咲き誇っていた。
夕闇に染まりつつある空には、橙色のぼんぼりが柔らかく灯っている。
潤んだ風が枝を揺らせば、満開の桜達はまるで歌うようにひらりひらりと宙を舞う。
「……綺麗」
幻想的な光景につい見惚れていれば、遠くからどこか懐かしいような笛の音が聞こえてくる。
どこから聞こえたのかと視線を彷徨わせれば、隣からふっと笑うような気配がした。
「そなた、侍女達に随分と気に入られたようだな」
「え?」
つい聞き返せば、レイゼン様は静かに首を横に振る。
「いや、こちらの話だ」
そう口にした彼は、先程から手に持っていた薄布を、そっと私の頭から被せた。
「あの……」
「そなたは私の花嫁だからな。簡単にその姿を他の者に見られるわけにもいくまい」
ヴェールのような透ける素材の向こうには、こちらを見つめるレイゼン様の姿が見える。
確かに元の世界でも、女性は結婚相手以外に素顔を晒さない風習のある国もあった気がする。
ここにも、そういったしきたりがあるのかもしれない。
「わかりました。この国では、既婚者は他の異性に顔を見せないような決まりがあるのですね」
私の言葉に陛下は一瞬目を瞠ると、ふっとその表情を和らげた。
「明確な決まりはないが……まあ、独占欲のようなものよ。愛らしい己の花嫁を他者に知られたくないだけの話だ」
「愛らし――!?」
「はは、そういうところよ」
いつものからかい文句に反応した私の肩を叩いた彼は、繋いでいた手を引いてゆっくりと歩み進めた。