龍帝陛下の身代わり花嫁
…小さな求婚者
「ぼくとツガイになってくれる?」
その言葉に、周囲は時が止まったかのように静まり返る。
側にいたロロさんをはじめ、周囲を往来していた人々までもが驚きに身を固めて、こちらを見つめていた。
――番って夫婦ってことよね?
龍帝陛下の花嫁という立場になっている私に求婚する行為は、問題ないのだろうかと視線を彷徨わせるものの、誰一人として目が合わなかった。
「こらっ! 滅多なことを言うんじゃありません」
その声と共に、子狸の頭がぺしっと叩かれる。
「どうして? ぼくだってツガイがほしい」
母親であるロロさんに向かって欲しい物を強請るように語る子狸の姿に、思わずふっと顔が緩んだ。
「ふふ。嬉しいけれど、私は龍帝陛下の花嫁だから貴方の番にはなれないわ」
そう口にすれば、子狸はまるでリスのように頬袋を膨らませる。
「へいか、ずるい。ぼくだって――」
「おや、私のどこが狡いのか教えてもらおうか」
ひょっこりの顔を覗かせた陛下に、子狸は鼻に皺を寄せた。
「はなよめさま、うらやましい」
「羨ましいという気持ちは持っていてもいいが狡いは違うぞ。花嫁を得たければ、正々堂々挑むのが亜人の在り方だろう」
「へいか強いから。ぼく勝てないもん」
「それならば、花嫁を得られるよう努力するしかないな。心から得たいものならば、惜しむ努力もないだろう」
「むう……」
二人のやり取りを眺めていれば、不意に隣の彼がこちらを振り返る。
「そなたも、なにか言うてくれ」
「えっ」
驚きに声を上げれば、彼は深い溜め息を吐きつつ大げさに左右に首を振った。
「そなたのために祭りまで用意したのに、間男に花嫁を掻っ攫われては、あまりに私が報われぬであろう?」
「そんなことは――」
まるで私が浮気をしているような発言に慌てて声を上げれば、その反応を見た彼がにこやかな笑みを浮かべた。
「子狸に、ちゃんと引導を渡しておくれ」
確信犯だろうと思いながらも、彼の言葉に逆らえるはずもない。
彼の妻として、ここはちゃんとお断りを明言するべきだろうと小さな相手に向き直った。
「……嬉しい言葉をありがとう。でも心に決めた人がいるので、貴方のお嫁さんにはなれないわ。どうか素敵な相手を探してね」
私の言葉にしゅんと項垂れながらも、子狸はすぐに明るい笑顔を浮かべる。
「わかった。へいかとなかよくね!」
そう告げながら、子狸は跳ねるように走り去っていく。
待ちなさいと慌てた様子でその姿を追いかけるロロさんも、こちらに一礼をして風を切るように走って行った。
残された私達の周りには、石畳の上を滑るように桜の花びらが舞っている。
「……ちゃんと、お断りしましたよ?」
ちらりと隣に視線を向ければ、彼は満足げに微笑んだ。
「うむ、よく断ってくれたな」
声と共にヴェールの上から頭を撫でられ、そう仕向けたくせにと心の内で呟く。
求婚を断るように誘導されたり、幼子に接するような態度で頭を撫でてみたりと、よくわからない彼の振る舞いに振り回されてばかりだ。
ヴェール越しに恨みがましい視線を向ければ、彼は不思議そうに小さく首を傾げた。
「……子ども扱いはしないでください。私は、レイゼン様の心を射止めるために、この場にいるのですから」
「はは、もちろんわかっているぞ」
軽い返事を口にした彼は、楽しそうな声を上げてぽんと私の頭を叩く。
「せっかくの機会だ。それならば雰囲気のいい場所に行ってみるか?」
つい先程まで保護者のように接してきていた相手からの予想外のお誘いに目を瞬く。
提案した本人は相変わらず涼しい顔をしており、一体何を考えているのかわからないが、この提案を断る理由はないだろう。
側にいた彼の手を掴むと、上背のある相手を振り仰いだ。
「ぜひ、お願いします」
私の返答に、彼はその目を三日月のように細めたのだった。