龍帝陛下の身代わり花嫁
…彼の事情
謝罪の言葉に、思わず唇を噛む。
暇つぶしという言葉に憤りを感じるものの、求めていた条件の割に贈り物を用意したり優しい言葉をかけてくれたり、やたらと好意的だった彼の行動を思い出すと怒る気にはなれなかった。
「安心していい。元々そなたは元の世界へ送り届けるつもりだった。世界の理を歪めてはならぬからな」
ふっと笑顔を浮かべた彼は、その手を私の頭に乗せる。
「時空を渡るには、条件を揃えなければらぬ。あと数日はこちらにいてもらうしかないが、いっときのことだと思って堪えてほしい」
彼は、取引など関係なく私を元の世界へ送り届けてくれると言う。
それ自体はありがたいのだが、その場合、彼はまた一人空虚な日々を送ることになってしまうのだろうか。
「……私が、何かできることはありませんか?」
私の問いに、彼はその目を細めて笑みを浮かべた。
「おや、私の花嫁は随分と献身的のようだ」
「茶化さないでください。私は本気で言っているんです」
食って掛かるように声を上げた私に、彼は楽しそうな笑い声を漏らす。
「なぜそう気にかける? なにもせず残り数日を過ごすだけで元の世界に帰れる。そなたには何も不利益はないだろう」
「だからです。私ばかり得をして、貴方に何も返せていません」
「はは、そなた先程も私の利益を気にしておったな」
そう口にした彼は、ぽんと私の頭に手を置くと、腰をかがめてこちらを覗き込んだ。
「そなた、やはり随分とお人よしな性分のようだ」
その言葉が、心の擦り切れた部分にじわりと沁みる。
「……そうかもしれません」
顔を俯けながら、ぽつりと声を漏らした。
「昔、両親が言っていたんです。誰かに何かをしてもらったら、ちゃんと御礼をしなさいって。その両親は、幼い頃に事故で亡くなってしまったんですけど」
頭に乗せられていた手がするりと滑り、頬に添えられる。
俯いていた視界の中に、彼の袖の刺繍が映った。
「一人残されるのは、辛かったのではないか?」
夜の闇に溶けていきそうなその呟きに、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、黄金色に輝く瞳が静かにこちらを見つめていた。
「……レイゼン様?」
名前を呼んだ私の声に、彼はぱっと笑顔を浮かべる。
「私は取り残されることに、ほとほと飽きていてな。誰かの最期を見届けるたびに羨んでばかりだった」
明るい声で告げながらも、その笑顔はどこか無理をしているように感じられた。
「一人取り残された時間は孤独で、どうしようもなく息が詰まる」
そう口にした彼は、欄干に身を預けると湖面に視線を向ける。
中庭を吹き抜ける夜風が、撫でるように湖面を揺らせば、舞い散る花弁が彼の髪にかかった。
遠くを見つめるその横顔は、どこか寂しそうに見えて、思わず胸元を握りしめる。
「レイゼン様は、生きるのがお辛いのですか?」
私の言葉に一瞬こちらに視線を向けた彼は、ふっと頬を緩めただけで、湖面へと視線を戻した。
「……端的に言えば、そうなのだろうな」
その沈んだ声に、つい唇を噛みしめてしまう。
何千年という時を生きることになるだろう彼は、これからも長い年月を一人渡り歩いていくことになるのだろう。
そんな長い期間の中で、私と過ごす七日間は瞬くような一瞬の出来事かもしれない。
必ず別れがくるからこそ、本音を溢せているのかもしれない。
そうわかっていても、どうしても心の底からこみ上げてくるものを抑えることができなかった。
「レイゼン様、前もって謝罪させてください。これから話すことは、貴方の考えを否定するかもしれません」