龍帝陛下の身代わり花嫁

…闇夜の中で


 灯りの消えた部屋で、静かに寝返りを打つ。
 先程まで誰かといたせいか、広い部屋での独寝はなんだか寂しく感じられた。
 中庭から部屋まで送り届けてくれたレイゼン様は別れ際、ココさんクランさんの前にもかかわらず、流れるように私の手をとると唇を寄せた。
 そんな彼の行動を見たせいか、寝支度の間中ココさんから何があったのかと質問攻めにあっていたことは、明日会ったときにでも苦情を入れておこう。

 ――彼の行動は、ただ私をからかっているだけよね。

 私達の取引は、彼曰く暇つぶしの一つでしかなかった。
 時が経てば元の世界に送り届けてくれるというのだから、私が必死に彼に好かれようとする必要もない。
 ただ彼の言葉を聞いたときから、どこか寂しいような、何かを忘れているような小さなささくれを心の奥に感じていた。
 もどかしい感覚に、布団の中で膝を抱えて身体を丸める。

 ――私が帰ったあと、レイゼン様はまた一人になってしまうのかしら。

 これまで何人もの花嫁が捧げられてきたにも関わらず、彼は誰一人受け入れなかったという。

 ――暇つぶしなら軽い気持ちで花嫁を娶ることもできたはずなのに。

 そんなことを考えながら反対側に寝返りを打った瞬間、コンと小さな音が響いた。
 その音に目を見開けば、静まり返った部屋の中に、ゆっくりとこちらに歩み寄る足音が耳に届く。
 徐々に近づいてくる足音が仕切りの外で止まった。
 緊張に身を強張らせながらも、仕切りの隙間から音のほうを覗けば、そこには数日前から姿を消していた人物の姿が見える。

「セ――」

 漏れそうになった声を慌てて両手で塞いだ。

「まだ起きておられましたか」

 そう口にした彼は、伏せていた頭を上げると柔らかな笑みを浮かべる。

「夜分遅く女性の寝所に忍び込む無礼をお許しください。こうでもせねば、お会いすることもままならなかったため、致し方なく忍び込ませていただきました」
「何かあったんですか?」

セジュンさんの笑顔には、明らかな疲労が窺えた。

「どうやら私は亜人達に警戒されているらしく、歓待という名目でずっとこちらから引き離されている状態なのです。ハルカ様を守ると申し上げたにもかかわらず、側に侍ることもできず誠に申し訳ありません」
「い、いえ! お気になさらないでください」
「お困りごとはありませんか?」

 ふとレイゼン様の顔が脳裏に浮かぶも、慌てて首を振る。
 そもそもセジュンさんからは、ヨナ姫の身代わりとして時間を稼ぐことを依頼されていた。
 それなのにあっさり正体を見抜かれ、更には期間限定の花嫁代行をしているなんて、彼をただ混乱させてしまうだけだろう。
 彼が目的としていた時間稼ぎは達成できるのだから、余計なことを耳に入れる必要もないはずだ。

「大丈夫です! セジュンさんは無理をなさらず、ご自身のことを大切にされてください」
「……ハルカ様」

 私の言葉に目を細めた彼は、頭を床に擦りつけるかのごとく深く下げた。

「か、顔を上げてください」

 驚きでひっくり返りそうになった私の声に、ゆっくりと顔を上げた彼は、涙の滲むその瞳を僅かに細めた。

「貴女はお優し過ぎる。まるで性格までもヨナ様を写したように清らかなのですね」
「え?」

 思わず聞き返しながらも、小さな違和感を抱く。
 こちらを見つめる澄んだ青色の瞳が、こちらを見ているようで見ていないような、妙な感覚に心が落ち着かない。
 私はあくまでヨナ姫の代わりをしているだけで、ヨナ姫の真似をしているわけではない。
 彼女との共通点を挙げられる違和感に身を硬くしていれば、セジュンさんは再び静かに頭を垂れた。

「既に三日も身代わりを務めていただいており、さぞお疲れのことでしょう。今夜はどうぞごゆっくりお休みください。良い夢を見られますよう」

 そう口にした彼は静かにその場に立つと、再びゆっくりと口を開いた。

「……ハルカ様、決して亜人に気を許されませんよう。どうぞお気をつけくださいませ」

 その低い声音に、ぞわりと肌が泡立つ。
 深々と一礼をした彼は、そのまま静かに部屋を去って行った。
 その姿を見送りながら、思わず詰めていた息を吐く。

 ――さっきのは一体なんだったのかしら。

 彼の様子を思い返しながら、ぶるりと身体を震わせる。
 静まり返った部屋で再び寝ようとしてみるものの、先程の彼の言葉がひっかかってなかなか寝付けなかった。

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