龍帝陛下の身代わり花嫁
第六章 招かれざる訪問者
「ハルカ様! 部屋の奥へ」
穏やかな昼下がりに、突然声を上げたココさんに手を引かれ、寝所のほうへと導かれていく。
同時に側に座っていたクランさんが我々と反対方向に進み、廊下に面した仕切り布の前に立つと、その姿勢を正した。
部屋の奥まった場所で息を詰めていれば、俄かに周囲が騒がしくなる。
何かを言い争うような声と共に、廊下を踏み鳴らすような音が近づいてきたかと思えば、ばさりと布が開かれた。
「やっぱ、ここだろ」
そう口にしたのは、赤みがかった髪の長身の男性だった。
昨日陛下が来ていたものと同じような正面で合わせる衣装を着ているのに、やたら胸元が開いているせいか、まるで別物に感じられる。
彼の視線が室内に向けられる前に、すぐ側に立っていたクランさんが口を開いた。
「久しぶりですわね、ガルファン」
拝礼をする彼女に気付いた彼は、その姿を一瞥する。
「クランじゃねぇか」
「本日はどのようなご用向きでしょうか」
ガルファンと呼ばれた男性からかけられた言葉に、クランさんは眉一つ動かさないまま淡々と質問を続けた。
クランさんの態度を気にした様子もない彼は、その目を細めながらゆっくりと首を傾げる。
「『龍帝陛下の花嫁』とやらを拝みに来ただけだ。色々探し回ったが、お前がいるならやっぱここが正解なんだな」
「チッ」
「聞こえてんぞ」
離れている私の耳にまで届くような盛大なクランさんの舌打ちが響く。
二人のやりとりをひやひやと見守っていれば、部屋の中に視線を向けた彼は、ココさんの後ろにいた私を見つけたようだった。
「花嫁は、あれか」
ココさんの肩越しに、男性がこちらを指差す。
尋ねられたクランさんは、深い溜め息を吐きながら肩を竦めた。
「お下がりください。いくら前王といえど、陛下の許可なく花嫁との面会を望むなど許されません」
その言葉に、思わず目を見開く。
前王というのは言葉のとおり、以前王位に就いていた人物ということだろう。
クランさんと面識がある様子から先祖返りの人ではないかと思ってはいたが、どうにも口が悪い不躾な態度の彼が、まさか元王様だという事実がうまく呑みこめなかった。
驚きに呆然としたまま、緊張感漂う二人の様子を見つめてしまう。
「クラン、お前の位官は?」
「ガルファンが降位されてからは、第五位官となっておりますわ」
「それなら、俺が第二位官なことは知ってるだろ?」
口端を吊り上げ、どこか威圧的にそう告げた彼を前に、クランさんは表情を変えることなく口を開いた。
「私は龍帝陛下より花嫁をお守りする役目を仰せつかっております。相手の官位が上だからといって引くわけにはまいりませんわ」
その凛とした横顔に目を奪われていれば、向かいの彼はハッと嘲笑を漏らす。
「はは。ここの狐は、虎じゃなく龍の威を借りるってことか」
「当然ですわ。借りられる威は借りませんと」
にこりと微笑むクランさんの返しに、向かいの彼は明らかな舌打ちを響かせた。
「クラン、いい加減にしろ。手荒な真似をするつもりはねぇが、下位に舐められたら示しがつかねぇ」
「そうおっしゃるのでしたら、貴方行動は最高位である龍帝陛下に盾ついていることになりましてよ」
「減らず口を叩くなっつってんだ」
そう口にすると、彼はクランさんの胸ぐらを掴む。
その瞬間、二人を中心にぶわりと強い風が巻き起こった。
目を開けていられないような突風に思わずその場に臥せるものの、ふと脳裏に先日レイゼン様が口にしていた話が蘇る。
ここ亜人国は実力主義で、最も強い者が王の椅子に座るのだという。
つまり前王である彼は、現王のレイゼン様以外に負けたことがなかったということであり、その中にはもちろんクランさんも含まれているのだろう。
私を守ろうと身体を張ってくれているクランさんを見て、血の気が引いた。
――私のせいで、クランさんに怪我をさせたくない。
衝動的に立ち上がると、息を吸って大きく口を開く。
「龍帝陛下の花嫁は私です!」
私の声が響き渡った瞬間、室内に吹き荒れていた風がぴたりと止んだ。