龍帝陛下の身代わり花嫁
…ガルファン
「俺はガルファン。現王が現れるまで三百年近く王を務めていたが、今はこの国の第二位官だ」
位官という位がよくわからないが、恐らく二番目に偉いという認識でいいのだろう。
「私は、春香と言います」
部屋中の格子戸を全て開き、仕切り布も上げた状態のだだっ広い部屋の中心で、私達は向かい合うように座っている。
「ふぅん? 珍しい名前だな」
気のない様子で胡坐をかいた太腿に肘をついた彼は、独り言のようにそう呟いた。
私と二人で話したいと言う彼の提案に対し、私が付けた条件は『二人きり』にならないことだった。
私の秘密について彼に釘を刺しておきたいのはやまやまだが、龍帝陛下の花嫁という立場で他の男性と二人きりになるというのはさすがに問題があるだろう。
そこで私は、周囲を開け放って密室にしないことを提案した。
これなら何かあっても部屋の外に控えている二人が気付いてくれるし、大事な部分は声を潜めれば聞こえない。
「で? 『時空の迷い子』のアンタがなんでここにいるんだ? 俺は紅国から捧げられた花嫁だって聞いてきたんだが」
「それには、まあ色々と深い訳がありまして」
「ちゃんと話せ」
釘を刺すようなその物言いに、うっと呻きながらも、今日までの出来事をぽつりぽつりと説明していく。
この世界で出会ったセジュンさんに身代わりを頼まれたこと。
ヨナ姫の身代わりとして対面したその場でレイゼン様に正体を見抜かれたこと。
そして『身代わりの花嫁』としてここで過ごすことを条件に、元の世界に返してくれることを提案されたこと。
そこまで説明したところで、向かいの彼は急に眉根を寄せると深い溜め息を吐いた。
「はぁ……言いたいことが山ほどあるんだが」
そう口にした彼は、下から睨み付けるようにこちらを見上げてくる。
「とりあえずアンタ、騙されてると思わなかったのか?」
「セジュンさ――紅国の方にですか?」
「ちげぇよ。アイツ――龍帝にだよ」
その言葉に目を瞬けば、向かいの彼は呆れたように肩を竦めた。
「期限が来たら、本当にアイツがちゃんと元の世界に返してくれるって思ってんのか?」
「そう約束しましたから」
「ハッ! 口では何とでも言えるだろ」
彼はその場に座り直すと、再び膝の上に頬杖をついた。
「アイツはこれまでの二十年の間、捧げられてきた花嫁を一度も選ばなかった。そんなアイツがいきなりアンタを花嫁に選んだんだ。それなりの理由があるんだろうし、期限が来たからって簡単に手放すようには思えねぇ」
「ああ、それは――」
彼の口にした疑念が既に解決済みのものだったことに、肩の力が抜ける。
どうやら彼はレイゼン様が私を本当の花嫁として迎えたのだと思っているらしいが、そんなことはないと昨夜本人に直接確認済みだ。
ふっと口端から小さな息を漏らすと、静かに目を伏せる。
「私は選ばれた花嫁ではなく、暇つぶしの一つですから」
「は?」
向かいの彼は、不機嫌そうな声を上げると、眉間の皺を更に深くしてこちらを睨みつけた。
「アイツがアンタにそう言ったのか?」
「はい、直接伺いました」
そう凄まれても、答えが変わるわけでもない。
今にも怒鳴りだしそうな様子の彼を前にしながらも、こればかりはどうしもようもないと肩を竦めながら溜め息を溢す。
「確かに私もガルファンさんと同じようなことを考えました。だから本人に直接、私を花嫁に選んだ理由を尋ねたところ、暇つぶしの一つだと明言されましたので心配御無用です」
淡々とそう告げた私を見て、彼は何か言葉を探すように「あー」と呟きながら周囲を見回す。
そして、頭をガシガシと乱雑に掻くと天を見上げた。
「……意味わかんねぇ。なんでそんな理由で花嫁にすんだ」
「それはレイゼン様に聞いてください。私だって、ちょっとは好意的なものがあるんじゃないかと期待していたので」
正直な気持ちを口にすれば、彼はなぜか気遣わしげな視線をこちらに向ける。
「アンタ、アイツに気があるのか?」
その言葉に、目を瞬く。
――私が、レイゼン様のことを……?
思いもよらぬ指摘に、頭の中が真っ白になる。
己の損得を顧みず元の世界に帰してくれると言ってくれたレイゼン様に対して、感謝の気持ちを持っているのは確かだ。
しかし彼からは、私との関係は暇つぶしの一つでしかないと明言されている。
そう理解しているはずなのに、彼に触れられた場所が熱を持ち、彼の孤独が透けて見えるたびに手を伸ばしたくなるこの感情は一体なんなのだろうか。
思わず胸元を握りしめる。
まだ出会って三日しか経っていない相手を、好きになってしまうことがあるのだろうか。
答えが出ないまま、ぐるぐると巡り始めた思考を追い払うように、静かに首を振った。
「わかりません。私はこれまで、人を好きになったことがないもので」
こんなことなら、これまで一度でも恋をしておけばよかった。
他人と深い人間関係を持ってこなかった自分の過去を反省していれば、向かいから大きなため息が聞こえる。
視線を向ければ、頬杖をついたまま、じっとこちらを見つめる橙色の瞳と目が合った。
「だったら、アンタ俺の妻になるか?」