龍帝陛下の身代わり花嫁
…第四夫人?
「だったら、アンタ俺の妻になるか?」
彼の声は、静かな部屋に響き渡る。
「はい?」
予想外の提案に思わず聞き返せば、彼はその髪をガシガシと掻きながら言葉を続けた。
「こっちに馴染んでる感じ見ても、アンタ元の世界にそれほど未練ねぇだろ? 向こうに手放せない縁がないんなら、こっちで生きたってそう変わらない」
「それは、そうかもしれませんけど……」
言われてみれば、彼の言う通りなのかもしれない。
元の世界に戻ったとて、私は一度会っただけの顔も思い出せない相手の花嫁となるだけなのだから、こちらの世界で誰かの花嫁となったとしても大した違いはないだろう。
だからといって、元の世界に対する未練がないかと問われれば、まだ悩んでしまう部分もある。
「俺の第四夫人になっても構わねぇぞ」
例えば目の前の彼の第四夫人として――。
「はいっ!?」
突然の大声に驚いたらしい彼の髪がぶわりと広がる。
「……んな驚くとこじゃねぇだろ。亜人国の王は十年に一度花嫁を捧げられんだから、これでも少ねぇほうだぞ。人間との婚姻経験があるから人の扱い方も心得てる」
至極当然のように腕を組みながら告げられた彼の言葉を聞いても、先程聞いた衝撃がなかなか抜けてくれない。
「奥様が、三人もいらっしゃるんですよね?」
「なんだ? 何人だろうが、ちゃんと全員幸せにできるなら問題ねぇだろうが」
そうはっきり断言されると、そういうものなのだろうかと思ってしまう。
世界が違えば文化も違う。
他人の考え方を否定するつもりはないが、自分に関わってくるとなれば別だ。
これまで両親のようなお互いを唯一とする結婚に憧れていた私にとって、誰かの第四夫人となる婚姻は、なかなか受け入れがたいものに感じてしまう。
黙り込んだ私をどう思ったのか、彼は大きなため息を吐くとその頭を左右に振った。
「悪いことは言わねぇから、アイツはやめて俺にしとけ。神龍族と生きるのは長すぎる」
彼の発言に、ふと違和感を覚えて顔を上げる。
「長すぎる、というのは陛下の寿命のことですか?」
「そりゃそうだろ。亜人は総じて人より寿命が長いが、基本は二百年くらいだ。稀に生まれる先祖返りが大体千年くらいって言われてるが、神龍族はその比じゃねぇぞ」
彼の言葉に、目を瞬きながらも妙に納得する。
もし本当にレイゼン様の花嫁になるとしても、私はその十分の一も共に生きられないだろう。
レイゼン様が瞬いている間に、私の命の灯はあっという間に燃え尽きてしまう。
百年足らずと数千年という差はあまりに大きすぎて、ここまで違うとなんだか申し訳なくなってくる。
「確かにレイゼン様の寿命に対して、長くとも百年足らずしか生きられない私では、寂しい思いをさせてしまうかもしれませんね」
「は?」
私の呟きに、彼の肩眉が吊り上がった。
「そんなことも教えられてねぇのか?」
心当たりのない問いに首を傾げれば、盛大な溜め息を吐いた彼はガシガシとその頭を掻く。
「番って意味わかるか?」
「ええと、きっと結婚相手のことかなと」
「あってる。生涯の伴侶って意味だ」
頬杖をついた彼は、もう片方の指先でトントンと床を叩きながら言葉を続けた。
「亜人の番となった人間の寿命は、相手に合せて伸びるようになってる。理由は知らねぇが、生命力の強い亜人と交わることで、その影響下に入るからだって言われてる」
つまりレイゼン様の花嫁となった場合、私の寿命は神龍族と同じほどに延びるということだろうか。
それだけを聞いてみれば非常にいいことに聞こえるが、もし私が数千年を生きる場合、そのほとんどをお婆ちゃんの姿で生きることになってしまい逆に迷惑をかけてしまう気がする。
「私は人間なので、百年足らずでしわくちゃのお婆ちゃんになってしまいそうなんですが……」
「は?」
私の言葉に目を見開いた彼は、ふいっと顔を背けると口元を押さえたまま肩を震わせた。
「……安心しろ。番になった瞬間から、人間の肉体も寿命に合わせて時の流れが緩やかになるから、多分アンタが婆さんになる頃には相手も爺さんになってんだろ。寿命の延長は、肉体的な苦痛をもたらすものじゃない」
そう口にした彼は、気を取り直すように大きく咳払いをすると、こちらに向き直った。
「ただ、精神的には別だ」
座り直した彼の言葉に、ふと昨夜のレイゼン様の姿が蘇る。
邸の中庭で、身の上を語ってくれた彼は、自身の生を憂いているようだった。
どこか死への憧れを感じるような彼の言葉をつい否定してしまったが、あのときの酷く沈んでいるように見えた彼の横顔が瞼の裏から離れてくれない。
「神龍族は何千年にわたって生き続けなきゃならねぇ生き物だ。そんな相手の花嫁になるってことは、気が狂いそうなほどの年月をアイツと共に過ごしていかなきゃなんねぇ」
それは確かに覚悟がいることなのだと思う。
レイゼン様の困ったような笑みを思い出せば、ぎゅっと胸が締め付けられた。
「アンタに、それができんのか?」