龍帝陛下の身代わり花嫁

…嫌悪と好意


「アンタに、それができんのか?」

 半ば睨み付けるような相手の視線に、ふと頬が緩む。
 先程突然部屋を現れ、クランさんと言い争っている瞬間を目にしたせいで気を張っていたが、先程から彼は私のことを心配してくれてばかりだ。
 レイゼン様をはじめ、クランさんにココさん、そして目の前の彼といい、どうやら亜人という種族は世話焼きな性分の人が多いらしい。

「ご心配ありがとうございます」
「は?」

 私のお礼の言葉に、彼は眉間に皺を寄せる。
 睨み付けるような視線に笑顔を返せば、何を呑みこむように口を引き結ぶと、照れたようにガシガシと頭を掻いた。

「……俺はただ『時空の迷い子』がアイツに丸め込まれてんのを見過ごせなかっただけだ」

 つっけんどんながらも私のことを心配してくれていることが伝わるその言葉に、思わず笑みが零れる。
 そして同時に、ふと疑問を抱いた。

「ガルファンさんは、どうして私が『時空の迷い子』だとわかったんですか?」

 レイゼン様は、出会った瞬間に私が『時空の迷い子』だとはっきりと告げた。
 だからこそ何の疑問も抱いていなかったが、ガルファンさんはしばらく私がそうであることを気づいていなかったように思う。
 正面の相手をじっと伺えば、気まずいのか彼はふっと顔を逸らした。

「……アンタが、クランに好意的だったから」

 その言葉に先程の己の行動を振り返ってみるが、確かに彼からクランさんを守ろうとしたものの、あからさまな好意を示したわけではない。
 理解しがたい彼の言葉に首を傾げれば、彼は「あー」と言葉を漏らしながらその視線を遠くに向けた。

「この世界の人間は、亜人を嫌悪するもんなんだよ」
「亜人を嫌悪……?」
「チッ。やっぱり何にも聞いてねぇじゃねぇか」

 ガシガシとその頭を掻いた彼の言葉に、ふと昨夜のセジュンさんの声が蘇る。

『ハルカ様、決して亜人に気を許されませんよう。どうぞお気をつけくださいませ』

 その冷たい声音と暗がりに見えた冷ややかな視線を思い出していれば、不意に目の前に何かが映った。

「手ぇだせ」

 それが差し出された手だと気付き、反射的に己の手を上に乗せる。
 指先が触れた瞬間、彼は一瞬びくりと身体を揺らしたものの、そのまま私の手を包むようにその手を重ねた。
 握手状態のまま、謎の沈黙が落ちる。

「あの……?」

 黙ったままの相手に声をかければ、彼はぽつりと声を漏らす。

「……こういうことだよ」
「え?」

 私の漏らした声に、彼は小さく肩を竦めた。

「初対面でこんな簡単に触れられるのが異常なんだ。この世界の人間は亜人を心底恨んでいるし、触れようとするだけで脅えるのが当然だからな」
「亜人を恨む?」

 そう私が聞き返した瞬間、不意に視界が陰る。
 何が起こったのかと顔を上げれば、向かいの彼の背後から見知った人物の姿が覗いた。

「その手を放してもらおう」

 そう告げた声の主は、柔和な笑みを浮かべている。

「レイゼン様」
「ああ、来るのが遅くなってすまなんだ」

 にこやかにそう口にしたレイゼン様は、その視線を向かいに座る彼へと向けた。

「そなたに私の花嫁との面会を許可した覚えはないが」
「ハッ。アンタがコイツに何も教えてねぇからだろ」

 ガルファンさんは吐き捨てるようにそう言うと、背後に立つ相手を振り返り様に睨み付ける。

「まずはその手を放してもらおうか」

 レイゼン様の涼やかな声に、ガルファンさんは舌打ちをしながら手を離す。
 そのまま立ち上がった彼がレイゼン様の正面に立てば、頭一つ大きなガルファンさんとの明らかな体格差が見て取れた。
 そんな彼を前にしても、レイゼン様は表情一つ崩さない。
 張りつめた空気に息を呑んでいれば、榛色の髪の彼があからさまな舌打ちを鳴らした。

「……コイツは『時空の迷い子』だろ」
「そうだな」

 短く返したレイゼン様を、ガルファンさんが睨み付ける。

「暇つぶしのつもりなら、あんま深入りすんな」

 その言葉に、思わず口元を引き結ぶ。

「おや、そなた随分と我が花嫁に肩入れしているようだな」
「全部聞いたぞ。『花嫁』ってのは一時的なもんで、時期が来たら元の世界に帰すんだろ」

 レイゼン様は笑顔を浮かべるだけだ。

「んな中途半端な扱いするんなら、花嫁に選ぶんじゃねぇ! 『時空の迷い子』なら他の奴らだって咽喉から手が出るほど欲しが――」
「先程も言ったろう? ハルカは私の花嫁だ。他の者には譲る気はない」

 相手の言葉を遮るように、レイゼン様ははっきりとそう告げる。

「花嫁の望みを叶えること。夫にとって、それ以上に大切なことはないだろう?」

 その言葉を耳にしたガルファンさんは、眉根を寄せて肩を竦めると大げさな溜め息を吐いた。

「……アンタがそう思ってても、コイツがどう考えてるかは別だろ」

 ガルファンさんの言葉が、妙に胸の奥に刺さる。
 二人の会話を耳にしているうちに、自分の中で何が引っ掛かっていたのかがすとんと胸に落ちてきた。
 レイゼン様が私を『身代わり花嫁』として扱うのは、いつか元の世界に帰すことを示すための優しさだ。
 それなのに、彼のその優しさを辛く感じてしまうのは、私自身が彼に必要とされたいと願っているからに他ならない。
 つまり私は――。
 認めがたい感情を前に、思わず唇を噛みしめる。
 私の変化を知ってか知らずか、ガルファンさんは大きなため息を吐いた。

「ちゃんとコイツに説明してやれ。それが花嫁に対する礼儀ってもんだ」

 そう口にした彼は、こちらを一瞥して踵を返すと、ひらひらと手を振りながら部屋を去って行ったのだった。
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