龍帝陛下の身代わり花嫁
…想うからこそ
私のことを愛しいと言ってくれたはずの彼が、二度と会えなくなるという元の世界に私を送り返そうとしている。
それはきっと、彼にとって私は手放しても問題のない存在だからだ。
彼にとって唯一無二の、手放せない相手になれなかったのだから諦めるより他はない。
「で、アンタはなんつったんだ?」
詰め寄るようなガルファンさんの声に、小さく息を溢す。
「何も、言えませんでした」
レイゼン様の役に立ちたいと思った。
側にいたいと思った。
けれど、彼に必要とされなかった。
「私をレイゼン様の本当の花嫁にしてほしいと、そう伝えた結果が先程の言葉だったんです」
胸元を押さえていた手をぐっと握りしめる。
「だから彼にとって私は、その程度の存在でしかなかったんだなと――」
「ばっかじゃねぇの」
その声に顔を上げる。
向かいに座っている彼は、その吊り上った瞳でこちらを睨みつけていた。
呆然としている私にチッと舌打ちをすると、イライラした様子で胡坐を汲んでいた足を揺すり始める。
「アンタさ、神龍族はほぼ不死とはいえ痛みはちゃんと感じるってわかってんのか?」
明らかに苛立った様子で、その指先でトントンと床を弾く。
「治りが早いとはいえ、怪我すりゃ痛ぇし血だって出る。それなのに、無抵抗であんだけの傷を負ったアイツが、アンタをどう思ってるかなんてちょっと想像すりゃわかんだろうが!」
吠えるように一気に言い募った彼の言葉に目を見開けば、舌打ちをした彼がガシガシと頭を掻いた。
「いいか、この国は神龍族が現れれば自動的に王に据えられるようになってる。実際二十年前アイツが王宮に現れたから、俺は王位を譲ることになったんだ。そんな国で、俺みたいな別種族の亜人が王に据えられるのは、なんでかわかるか?」
その問いに首を傾げれば、彼は呆れたように肩を竦める。
「神龍族が交配に成功しないからだよ。王になれば、定期的に人間の花嫁が捧げられるにもかかわらず、神龍族は番を迎える確率が極端に低い」
「どうして……」
思わず零れた声に、向かいの彼は呆れたような溜め息を吐いた。
「アイツらは、時間があり過ぎるから考え過ぎんだ。大切なものを傷つけないよう、真綿で包むみてぇに過保護にしすぎる。だから、本当に大切な相手ほど自分から遠ざけるんだ」
――本当に大切な相手。
ガルファンさんの言葉に、思わず目を見開く。
「どうして、そんなことを――」
「自分と同じ苦しみを感じさせたくないんだろ」
吐き捨てるようにそう零したガルファンさんは、宙を睨み付けながらその手が髪を掻き上げる。
「悠久のときを生きるってことは、周りを見送り続けるってことだ。それがどんだけしんどいかなんて、周りよりちょっと寿命が長いだけの俺達でもわかる。だからアイツは、アンタを元の世界に帰すことに固執してんだ。それがアンタの幸せだって思い込んでるから」
その言葉の一つ一つが、昨日のレイゼン様の言葉と重なる。
私が大切だから、花嫁にはしない。
元の世界に帰るのが私の幸せだと彼は告げていた。
「アンタの本心は、どうなんだ?」
ガルファンさんの問いに、唇が震える。
昨夜から、ずっとレイゼン様の言葉を反芻していた。
彼がそう望むならそうすべきだと自分を納得させようとしていた。
「私は――」
彼の役に立ちたい。
龍帝陛下の花嫁になれば、少しでもその孤独を紛らわすことができるのではないかと思った。
だが、それはただの理由づけに過ぎない。
初めて出会ったあの日から今日までのたった数日の短い間に、私は彼の側にいる心地よさを知ってしまった。
穏やかに微笑むその笑顔も、囁くような柔らかな声も、手を引いてくれるその体温も、彼の全てが愛しい宝物のように感じる。
私は、レイゼン様を――。
心の中に、すとんと落ちてきた答えに目を細める。
私は、レイゼン様のことを好きになってしまった。
「レイゼン様の側にいたいです」
こんな気持ちを知った上で、元の世界に戻って顔も思い出せない相手に嫁ぐことができるはずがない。
私が去った彼の隣に、知らない誰かが並ぶことを想像するだけで胸が苦しくなる。
こみ上げてくる想いに唇を噛めば、向かいから深い溜め息が聞こえた。
「それちゃんとアイツに言ったか?」
ガルファンさんの問いに、目を瞬く。
「言ったはず、です。レイゼン様の花嫁になりたいと」
「本当にちゃんと言ったのか? 紛らわしい言い方とかしてねぇか?」
睨み付けるような眼差しに、思わず身体が強張る。
あのとき、ちゃんとレイゼン様の花嫁になりたいと伝えたはずだ。
彼と過去に出会っていたことを知り、私の命を救ってくれていたことを知った私は、彼との縁を感じながら過去に受けた恩を返したいと思った。
『私に差し上げられるものなんてないかもしれませんが、それでも何か貴方の役に立ちたい』
『私の存在がレイゼン様の慰めになるのであれば、これほど嬉しいことはありません』
自分の発言を思い出しながら、ハッと顔を上げる。
私は、自分の存在が役に立つならばと『花嫁』となることを恩返しにしようとしていたのではないか。
実際は、ただレイゼン様の側にいたいだけだったのに――。
「びびって余計な予防線張ってたんじゃねぇのか?」
正面から派手な舌打ちが聞こえてきても、今更気づいてしまった己の失態に何の言葉も出てこない。
「ああいう頭でっかちは、ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらねぇんだよ」
そう口にした彼は、その指先で私の額を弾いた。
ぱちんと音を立てたその痛みに、曇っていた視界がようやく開けていくような心地になる。
「完全に敵に塩を送っている状態ですわね」
「ガルファンでも役に立つこともあるのだと感心しておりますわ」
「おい、そこの二人聞こえてんぞ」
ココさんとクランさんの会話に、ガルファンさんの怒声が飛ぶ。
「その耳に届くように申しあげておりますのよ」
「初めて心から褒めておりますわ」
怯む様子もなく笑顔で応対する二人に、ガルファンさんはわかりやすく舌打ちを立てた。
そんなやりとりを耳にしながら、その場に立ち上がる。
先程まで鉛のように重かった身体は、嘘のように軽くなっていた。
「ガルファンさんありがとうございます! 目が覚めました」
座ったままのガルファンさんに頭を下げると、二人のほうへと振り返る。
いつの間にか仕切り布の向こうの雨は止み、空には晴れ間が覗いていた。
「クランさんココさん、私陛下に会いに行きます」