龍帝陛下の身代わり花嫁
…取引の提案
「なるほど。気付けばこの世界に迷い込んでおり、声を掛けてきた紅国の者の事情を知って、身代わりとして時間を稼ぐ役目を負うたと」
私の説明を静かに聞いていた龍帝陛下は、頷きながらこちらの身の上を復唱する。
駅からの帰り道にセジュンさんと出逢ったこと。
彼の事情を聞いてユナ姫の身代わりを務めることにしたこと。
そして彼女達が逃げる時間を稼ごうとしていたことまで洗いざらい話してしまった。
今すぐ彼女達が捕まるよりはと全てを話してしまったが、もう少しうまく誤魔化せたかもしれない。
今更ながら頭を抱えていれば、向かいの彼がぽんと膝を叩いた。
「あいわかった。やはり、そなたは何の事情も知らず巻き込まれただけのようだな」
その言葉に安堵の息を溢しながらも、心の底にじわりと罪悪感が湧いてくる。
彼の言葉は確かに事実なのだが、これでは自分一人が罪を逃れようとしているような気がしてきて、思わず口を開いた。
「あ、あの! ユナ姫達は――」
私の声に、向かいの彼は不思議そうに首を傾げた。
「鼠達のことが気になるのか? そなたにとって赤の他人だろう?」
「それは、そうなのですが……事情を聞いてしまった以上、気になってしまって」
尤もな意見に口籠れば、身を低くした相手がじっとこちらを覗き込んだ。
「情に訴えるような真似をして、そなたを身代わりに仕立てたのだろう? 奴らに利用されているとは考えないのか」
その言葉に目を瞬く。
確かに、彼の言葉は的を射ていると思う。
何も知らない異世界人を騙して身代わりに仕立てるなんて簡単なことだ。
実際、見知らぬ世界で私が頼れる相手はセジュンさんしかおらず、彼の言葉を信じる他はない。
騙されていないという保証はなかった。
「……騙されている、のかもしれません」
ぽつりと溢せば、自然と苦笑いが漏れる。
「ただ、もし彼らの話が嘘だとしても、信じようと思ったのは私なので自己責任なのかなと」
小さく頬を掻いた私に、向かい彼は目を丸くすると呆れたような吐息を漏らした。
居た堪れない心地で肩を窄めていれば、小さく肩を竦めた彼はふっと笑みをこぼす。
「……どうにも、そなたは人が良すぎるな」
耳に届いた呟きに目を瞬けば、不意にその手がこちらに伸ばされた。
「それでは、私もその人の良さを利用させてもらうとしよう」
「え?」
ひんやりとした指先が、頬に触れた。
「取引をしようではないか」
龍帝陛下の穏やかな声が耳に届く。
「これから一つ、そなたに条件を与えよう。それを満たせば鼠達は無罪放免、紅国にも罪を問うことはしないでおくことにしよう。更に、そなたも元の世界に送り返すことを約束する」
「元の世界に帰れるのですか!?」
「ああ」
思わず声を上げた私に、彼はにこやかな笑みを浮かべた。
半ば夢の中にいるような心地でピンときていなかったが、戻れると聞いて一気に現実を突き付けられた気持ちになる。
やはりここは生まれ育った世界ではなく、先程迷い込んできたばかりの見知らぬ世界なのだ。
「ただし、条件を満たせなかった場合は即刻鼠共を捕らえ、奴らを差し向けた紅国諸共粛清させてもらう。そなたも元の世界に戻ることは叶わない」
その言葉に、血の気が引いていく。
龍帝陛下は人ならざる力を持っているのだとセジュンさんは言っていた。
出会ってすぐに『時空の迷い子』だと言い当てられたことや、ヨナ姫達の居場所を把握していたことを鑑みても、それは事実だろう。
全てを見透かすような黄金色の瞳に見つめられて、思わずぐっと拳を握りしめる。
私が元の世界に帰れるかどうかは、目の前に座る彼が握っているのだ。
「……条件とは、どんなことでしょうか?」
「なに、簡単なことだ」
私の問いに、彼はにこりと微笑む。
「これから七日間、私の花嫁となってもらう」
その内容に、思わずぽかんと口を開けてしまった。
「龍帝陛下の花嫁に……?」
呆然と復唱する私に、彼は楽しそうな笑い声を漏らす。
「ああ。花嫁として、夫となる私の心を射止めてもらおう。私に好かれるよう振る舞っておくれ」
あまりにも突拍子もない交換条件に目を瞬いていれば、ふっと笑い交じりの吐息が聞こえる。
向かいの彼はその目を細めると、ぽんと私の頭に手を置いた。
「私は退屈をしている。たまには楽しい時間を過ごしてもいいだろう?」
「はぁ」
その言葉に、つい気のない返事が漏れる。
つまり、今提示されている妙な条件は、彼の退屈しのぎということだろうか。
戸惑いを隠せないまま相手を見上げれば、龍帝陛下はその瞳をふっと細めた。
「取引に応じないのであれば、即刻鼠達に追っ手をかけ、そなたにはこの邸を去ってもらうしかないが――」
そこまで口にした彼は、にっこりと美しい笑みを浮かべる。
「さて、どうする?」
取引を受けるか受けないかを委ねられているように聞こえるが、実質答えは一つしかない。
断ればヨナ姫達に追っ手がかけられセジュンさんとの約束を破ることになり、私は見知らぬ世界に一人放り出され元の世界に帰ることも叶わなくなる。
どちらにしろ時間を稼がなくてはいけないのだから、彼の提案を断るという選択肢はなかった。
覚悟を決めて顔を上げれば、黄金色の視線とぶつかる。
楽しそうにこちらを眺めていた相手に向かって、静かに頭を下げた。
「そのご提案、お受けいたします」