毒で苦い恋に、甘いフリをした。
「ねー、黒崎がね、もうちょっとあっちのほう行かないかってー」

「中心からはちょっとズレちゃうけどさ、ここよりは混んでないしラクそうだよ」

「じゃ、そっち行こっか。こころ、大丈夫?足痛くない?」

「うん。全然平気!」

さっきは私の心配をしてくれていたかっちゃんの頭の中に、私はもう居ない。

二人を目の当たりににして、こうやって少しずつ少しずついろんなことを諦めていく。

そのうちにもう、名前すら呼んでもらえなくなるのかななんて思いながら。

みんなが歩き出した。
その後ろからついていくように歩いた。

カラン、カラン。
日常では聞き慣れない音。

港だからか風がよく吹いていて、それでも波は穏やかだった。

陽が落ちて、肌はまだベタつくけれど空を見上げるようにして顔を風に当てたらちょっとだけ気持ちいい。

カラン、カランって一定のリズムで刻んでいた下駄の音。

歩くたびに親指と人差し指の間で引っ張られていた鼻緒が、一瞬クッて強く引っ張られて、
急に脱力したようにゆるくなって、そのおかしな反動でよろけてしまった。

急にしゃがんだ私に、後ろを歩いていたカップルがぶつかりそうになって「わ!」ってびっくりしながら避けた。

「ごめんなさい!」

「なに、鼻緒切れちゃったの?」

彼女さんのほうがしゃがんで、指の間にぶら下がったままの鼻緒をつまんだ。

「あ…」

「うーん。戻せないっぽい。だいじょーぶ?」

「友達と来てるので大丈夫です。ありがとうございます」

何人もの人達が私達を避けて素通りしていく。
もうすぐ花火が始まりそうだった。

「友達、近くに居るの?」

「はい!」

「そう?じゃ、気をつけてね」

彼女さんが立ち上がって、カップルは行ってしまった。

鼻緒が切れた下駄を右手にぶら下げて、周りを見渡したけれど、もうみんなの姿は見えない。

まっすぐ歩いていけば合流できそうだけど、
この下駄ではもう歩けないし、陽が落ちてもアスファルトはまだ熱い。

切れた鼻緒を見ていると、気持ちがプツって切れてしまったみたいに思えた。

人混みを避けるように端に寄って、ベンチ代わりなのかなんなのか分からない、一定の間隔で設置されているツルツルの石段に座った。

熱かった。
アスファルトよりも絶対に熱い。
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