月とスッポン  奈良へ行く
 泣きそうだ。

「こういう場所に足を運ぶには上に立つ者としての戒めです。
上が間違った判断をして犠牲になるのは下の者ですから」

「ありがとうございました」
と心の中で言いながらもう一度、深々と頭を下げた。

真面目な話を語っているのに、手には書いてもらった御朱印帳を大事そうに抱えている。

しかも、嬉ように指が忙しなく動いている。

冷酷御曹司と言われていた面影が薄れていく姿が、
なんだか可愛いと思えるのは、気のせいだ。

そうに違いない。

思わず溢れそうになる笑みをグッと堪えた。

「次へ行きますか」

お決まりとなった運転席に乗り込もうとする大河を助手席に追いやる。

ナビ設定をして、運転前のルーティンをこなす。

「さぁ、次の大神神社に向けて出発」

サプライズは嫌いだと私は言った。

だったら、これから行く場所を言わないには卑怯な気がした。

「大神神社の後は少し離れてますが、長谷寺に行こうと思っています」

「それから」とこの後の目的地を上げていく。

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