魔術師団長に、娶られました。
 仰向けになって絶望的な心境で呟き、両手で顔を覆う。
 もはや、理屈ではない、と思い知ってしまった、このしんどさと言ったら。

 いまとなっては、彼にまつわるすべてが恋しく胸が苦しい。
 手始めに、瞳の色である紫を推しカラーとして身の回りに配置しようか、と思うくらいにハマってしまっていた。
 いわゆる、沼に落ちた。
 きわめつけにひどいモンスターが手ぐすねひいていて、落ちたが最後引きずり込まれて生きては帰れない、底なし沼。

 見た目が良いだけの男性なら、これまでも会ったことはある。
 シェーラは、騎士団の中にあって、貴族階級の出身で基本的な教養がしっかりと身についている上に、腕が立つ女性なのだ。
 実際の戦場以外でも、非常に「使い勝手の良い存在」である。
 その最たるものが、華やかな場での要人警護任務。
 夜会や舞踏会といった席で高貴な女性に侍り、身分の高い男性たちと接触する機会も、何度と無くあった。

 そういった相手はたいてい、容姿が良く身なりも整っていて、会話にも品がある。
 シェーラにも礼儀正しく接してくれて、ときには詩的な言葉を贈ってくれることすらあった。
 それでも、心は少しも動かなかった。
 ぴんとこなかったのである。

 それなのに、なぜいまさら、よりにもよって「女泣かせの、いかにもな美青年」の虜になってしまったのか。

(アーロン様が、思っていたより500倍優しかったから? 親切で、真摯にひとの話を聞いてくれて、意外に大食漢で、私が悩んでいたら、押し付けがましくなくリードしてくれたから? やだ、それって完璧ってことじゃない……!)

 理性は「その程度のことで落ちるなんて、ちょろすぎる」と咎めてくる。
 そのくらい気の利く男性は、今までもいたはずでしょう、と。
 アーロンはたしかに顔が良いが、それだけにシェーラとて最初から警戒は怠らなかったのだ。これは気を許してはならぬ、と。
 そういった諸々をかいくぐって、アーロンはひょいっとシェーラの胸の中に飛び込んできた。片隅に、ではない。ど真ん中に。

 それでも、シェーラは本人と一緒にいる間は、あからさまに好意を示すことはしなかった。
 街から遠く離れた山の頂きまで飛び、沈む夕日を見てから帰ってきた。
 寮まで送り届けてもらい、行儀よく別れた。
 キスなんて、するはずもない。ごく普通に挨拶をしただけだ。
 異変が起きたのは、部屋に戻って後手にドアを閉めた段階。木床に膝をついて、へたりこんでしまった。限界だった。

(今日のお出かけは、なんだったっけ。結婚を前提にしたデート? つまり、双方が承諾すれば、私とアーロン様が結婚するってこと? え、結婚!? アーロン様と!?)

 自分がこれまで生きてきて、一番好ましいと思った男性と、すでに結婚までの筋道が描かれているだなんて。
 どうしよう、嘘みたい。嘘だと思う。だって相手はアーロン様だよ? 結婚したら夫婦になって、あの気遣いに満ちた美しい男性が生涯の伴侶になって……私とアーロン様が、夫婦?

 そこで前夜は、意識が途絶えた。
 気がついたらベッドで朝を迎えており、起き上がるなり闇雲に剣の稽古に打ち込んだ。
 そして、バートラムとの約束の時間に合わせて部屋を訪問した。
 そのときには一応、かなり気力を取り戻していた。
 うまくごまかせるつもりになっていた。
 愛想も情緒も足りないつまらない女として、「デートの首尾は上々かと思います」とだけ報告して終わらせるつもりだった。
 
 まさかその場に、アーロンが現れるとは。
 見た瞬間、「あ、好き」と思いが溢れて、自分でもわけがわからなくなってしまった。
 耐性がないとか、経験が足りないとはこういうことなんだ、とわかった。

「どうしよう。アーロン様、ただ王命でデートした相手に入れ込まれるのは、さすがに不快だったのでは。謝りたいけど、具体的にどの項目に関して謝れば……。明確な侮辱をしたわけではない以上、アーロン様も迂闊に謝罪は受け入れないでしょうし」

 ぐるぐると考え出したところで、コンコン、とノックの音が響いた。
 寮の私室に、ひとが訪れてくるのは稀だ。
 何事かと、シェーラはがばりとベッドの上で身を起こし、このときばかりは凛として居住まいを正して誰何(すいか)をした。

「在室です。名前と所属をどうぞ。何か御用ですか?」


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