魔術師団長に、娶られました。
その夜の二人
勤め先である王城から新居までの帰宅は、夫婦揃ってではなく各自となった。
アーロンには転移魔法があるものの「アーロン様と連絡取り合いながら示し合わせて帰宅のタイミングを合わせるのは、一回二回ならともかく、毎回だとかえって大変です」と、シェーラから断りを入れていたのだ。アーロンも反論をすることはなく「タイミングが合って、帰れるときはぜひ一緒に」と折り合いをつけて話は終わっている。
結婚式が終わって最初の出勤日ということもあり、二人一緒でも別々でも何かと注目を集めているのは感じていたが、それもすぐに下火になるだろうとシェーラはつとめて気にしないようにし、馬車で帰宅した。
先に家に帰り着いていたアーロンとは夕食の席で顔を合わせ、その後寝室であらためて、寛いだ姿で向き合った。
アーロンは、聞くと決めていたように昼の件について話を振ってきた。
「今日、魔術師団のリルと一悶着あったって聞いたけど、どう?」
窓際で、バルコニーに向けて一人がけソファを並べて座り、開け放たれたガラス戸の先の夜空に目を向けながら、シェーラはほんの少し苦い顔をして答えた。
「お耳に入るとは思っていましたが、アーロン様が気になさる内容でありません。部下の不始末を把握しておきたいという意味なら、お伝えします。私は、かなりきつい言葉で彼女を叱責しています。アーロン様にどう伝わっているかは存じ上げませんが、私が自分の主観において今日の出来事をアーロン様にお伝えした場合、アーロン様からは『言い訳』をしているように見えるかもしれません」
湯浴みをすませて着替えていても、アーロンはラフ過ぎないシャツを身に着けている。
実はシェーラも似たような男装に近い姿で、とてもいまから寝るという装いではないのだが、長年の習慣はなかなか変えられない。
(騎士団の寮では寝巻きのようなものを身につけることはなく……。結婚式のあとの「初夜」にはこういうものですとメイドさんたちのおすすめに従ったけど、べつにいつもでなくても)
ちらっと視線を流すと、アーロンから実に良い笑みを向けられた。
「リルがシェーラさんに突っかかったのは、結婚の件?」
アーロンから確認をされ、シェーラは居住まいを正して背筋を伸ばす。「それもありますが」と断りを入れた上で、仕事として話を続けた。
「私が問題だと感じたのは、上下関係の件です。その点は、彼女の上司である魔術師団長として、アーロン様もご留意ください。実績を打ち出している相手に対して、実績をあげぬまま食って掛かるのは愚行です。大口を叩いたり、制度を変えたいと願うのであれば、発言権を得るまで己を磨く必要があります」
男だ女だとか、身分がどうこう以前に自分はそうして努力をしてきた、とシェーラとしては思っている。
だが、昇進に際して貴族階級出身の身分がまったく考慮されなかったかといえば、そんなことはないはずだ。その現実も理解しているので、声高に「自分の努力と成果」を強調することはないだけだ。
アーロンもシェーラも、寝酒のような習慣がなかったので、傍らに置かれた小テーブルの上に置いてあるのは水差しと水の注がれたグラス。アーロンは「なるほど」と言って水をひとくち飲んだ。カラン、とグラスの中で氷が鳴った。
「何が、なるほどなんですか」
「いつも俺が遠くから見ていたシェーラさん、そのものだなって。出しゃばらないし人当たりが良さそうでよく笑うのに、距離感見誤った相手には毅然としているの。感情的になれた方がまだ楽かもしれないのに、そのままのテンションで淡々と怒ると、疲れも溜まるよね。おつかれさま」
水飲む? と尋ねられ、シェーラのグラスを手渡しされる。受け取って、冷たい水を飲みながら、シェーラは体の中に溜まった毒がすっと薄れていくのを感じた。
(自分ではいつものことだと思っていたし、今まで仕事の話を誰かに愚痴ろうと考えたこともなかったけど。話を聞いてもらって、労ってもらうのは、新鮮だな)
今までひとに言えなかったことを、アーロン相手に言えたのは、この結婚には仕事が密接に絡んでいるという意識があるせいだ。隠し事はいけない、と思っている。
しかし大きな理由としては、相手が信頼するアーロンだから、というのは実感としてある。
「疲れていたと言われれば、そうかもしれません。いま『距離感』と聞いたときに、すとん、ときました。私は、にこにこしていれば『親しみやすい』『近づきやすい』印象かもしれません。でも実際は騎士団の副団長で、出身は貴族階級。剣の腕で、何人かかなわない相手はいますが、騎士団の中でも上位です。親しみやすい要素、実はあまり無いはずなんです」
アーロンは、そこでふっとおかしそうに噴き出した。
「無いね。ガチガチのエリートかつ叩き上げでもあって、少し考えれば、そこに至るまでに自分にも他人にも厳しくなければやってこれなかったってのは、わかるはずなのに。甘く見られてひとからつっかかられるのは、女性だから?」
「意外に、男性が女だからどうこうと言ってくるよりも、女性の方が私を軽く見て言いたいことを言ってくるように思います。女性が避ける仕事で昇進しているのは羨ましいことではないでしょうし、それで婚期を逃しているので。同性の方が、私を下に見ることができる要素は、いくらでも思いつくみたいです」
右手を伸ばしてきたアーロンが、シェーラの左手の甲に自分の手を重ねて、薬指の指輪を指先でなぞった。目を合わせると、「これは何?」と目だけで聞かれて、頬に血がのぼってくる。
(結婚はしましたね、はい。誰もがうらやむ旦那様と……)
それがまた、「政略結婚」であるという触れ込みであったことから、この先シェーラをやっかむ者は絶対にいるはずだと覚悟している。
リルのように。
アーロンは、シェーラの手を掴む手に力を込めて、囁くような声で告げた。
「女性には難しい仕事をやり遂げる中で、結婚は多少遅れたかもしれないけど、それがシェーラさんの人間性を損なう要因にはなり得ないと、俺は思う。どう考えても、魅力だ」
シェーラがうかがうと、アーロンはまっすぐにシェーラを見ていた。その瞳は曇り無く自信に満ちあふれていて、嘘などひとつも言っていないのだと思わされる。
(アーロン様の言葉は不思議。少しずつ、見方を良い方にずらされる。話しているうちに、全然違う地点に着地する。婚期を逃したと噂される女は、若くはないということ。そんな私に、アーロン様は結婚を申し入れたのであって)
今までのシェーラであれば、「失望されたくない」あまりに、緊張してしまっていたことだろう。
アーロンを前にすると、そういった萎縮する感情は全然起きなかった。
やけに素直になってしまい、思っていることを、ぽろっと口にしてしまう。
「今日のリルさん、『働く格好良い女性だと思っていたのに、幻滅しました』といきなり言ってきたんです。正直に『なんでアーロン様をとったんですか!?』て言えばいいのにって思いました。そういう『恋愛のような下等なもの』以外の、高尚らしい会話でふっかけてくるのがこう……頭でっかちだなって。私に言われたくないでしょうけど、しかし素直じゃない……」
ふふ、とアーロンが噴き出した。「笑い事じゃないですよ」とシェーラは一応、抗議をする。
「私、彼女に取り付く島もない態度で『性格悪い』って言っちゃいました。語彙が足りなくて申し訳ないんですけど、中途半端に迂遠なこと言っても、伝わらないかもしれないと思って」
こう、はっきりと、ですね……とシェーラが小声で言うと、アーロンも内緒話のように小声で「良いんじゃないですか」と答えた。
そして、のんびりとした調子で続けた。
「『あのときあのひとに言われたあれがすごく嫌で、ずっと魂を傷つけられた感覚がある』リルがいまのままなら、そうやってシェーラさんを恨み憎むかもしれません。役職付きとして、シェーラさんはその恨みを買うのを覚悟の上で言っているでしょう。だけどリルがどこかで変わったら『あのときシェーラさんに言われたあの言葉のおかげで、いまの私がある』と思うようになるかもしれない。それで、シェーラさんに親しみを覚えることはないにしても、尊い存在だと気づいて尊敬するでしょう。俺は、俺の妻となったひとはもっと尊敬されて良い女性だと思います。応援してます」
真面目に耳を傾けていたシェーラは、結論に口元をほころばせた。笑った。次から次へと笑いがこみあげてきて、たまらずに笑いながら言った。
「アーロン様のそういうところ、好きです。私を肯定するために、相手をけなしたりしないし『俺がビシッと言っておく』って、いきなり権力者仕草するでもなくて、応援するとだけ言ってくれるところが」
笑われたアーロンは、照れくさそうな顔をしながらも、きっぱりと告げる。
「今回の件は俺の部下の不始末ではあるんだけど、俺自身がその場にいなかったから。その場で君が上官として下した判断を、これまでの働きぶりや人柄に照らして信用する。シェーラさんが適切な処置をしているときに、俺がいきなり『妻をいじめたやつ許さん』て出ていったら変なことになるから。気持ちの上ではそうしたいけど」
さらっと付け加えられた一言に、シェーラは笑顔で「ありがとうございます!」と答えて、グラスの水を飲み干した。
それから、笑ったまま「こういうときって、水を飲んでいる場合なんですかね、私たち」と照れ隠しのようにぼやいてみせる。
グラスを置いたところで、立ち上がったアーロンに腕をひかれた。
「俺は水でも酒でもなんでもいいですよ。シェーラさんがいれば」
そう宣言するなり、アーロンはシェーラを抱え上げて、寝台へと向かったのだった。
アーロンには転移魔法があるものの「アーロン様と連絡取り合いながら示し合わせて帰宅のタイミングを合わせるのは、一回二回ならともかく、毎回だとかえって大変です」と、シェーラから断りを入れていたのだ。アーロンも反論をすることはなく「タイミングが合って、帰れるときはぜひ一緒に」と折り合いをつけて話は終わっている。
結婚式が終わって最初の出勤日ということもあり、二人一緒でも別々でも何かと注目を集めているのは感じていたが、それもすぐに下火になるだろうとシェーラはつとめて気にしないようにし、馬車で帰宅した。
先に家に帰り着いていたアーロンとは夕食の席で顔を合わせ、その後寝室であらためて、寛いだ姿で向き合った。
アーロンは、聞くと決めていたように昼の件について話を振ってきた。
「今日、魔術師団のリルと一悶着あったって聞いたけど、どう?」
窓際で、バルコニーに向けて一人がけソファを並べて座り、開け放たれたガラス戸の先の夜空に目を向けながら、シェーラはほんの少し苦い顔をして答えた。
「お耳に入るとは思っていましたが、アーロン様が気になさる内容でありません。部下の不始末を把握しておきたいという意味なら、お伝えします。私は、かなりきつい言葉で彼女を叱責しています。アーロン様にどう伝わっているかは存じ上げませんが、私が自分の主観において今日の出来事をアーロン様にお伝えした場合、アーロン様からは『言い訳』をしているように見えるかもしれません」
湯浴みをすませて着替えていても、アーロンはラフ過ぎないシャツを身に着けている。
実はシェーラも似たような男装に近い姿で、とてもいまから寝るという装いではないのだが、長年の習慣はなかなか変えられない。
(騎士団の寮では寝巻きのようなものを身につけることはなく……。結婚式のあとの「初夜」にはこういうものですとメイドさんたちのおすすめに従ったけど、べつにいつもでなくても)
ちらっと視線を流すと、アーロンから実に良い笑みを向けられた。
「リルがシェーラさんに突っかかったのは、結婚の件?」
アーロンから確認をされ、シェーラは居住まいを正して背筋を伸ばす。「それもありますが」と断りを入れた上で、仕事として話を続けた。
「私が問題だと感じたのは、上下関係の件です。その点は、彼女の上司である魔術師団長として、アーロン様もご留意ください。実績を打ち出している相手に対して、実績をあげぬまま食って掛かるのは愚行です。大口を叩いたり、制度を変えたいと願うのであれば、発言権を得るまで己を磨く必要があります」
男だ女だとか、身分がどうこう以前に自分はそうして努力をしてきた、とシェーラとしては思っている。
だが、昇進に際して貴族階級出身の身分がまったく考慮されなかったかといえば、そんなことはないはずだ。その現実も理解しているので、声高に「自分の努力と成果」を強調することはないだけだ。
アーロンもシェーラも、寝酒のような習慣がなかったので、傍らに置かれた小テーブルの上に置いてあるのは水差しと水の注がれたグラス。アーロンは「なるほど」と言って水をひとくち飲んだ。カラン、とグラスの中で氷が鳴った。
「何が、なるほどなんですか」
「いつも俺が遠くから見ていたシェーラさん、そのものだなって。出しゃばらないし人当たりが良さそうでよく笑うのに、距離感見誤った相手には毅然としているの。感情的になれた方がまだ楽かもしれないのに、そのままのテンションで淡々と怒ると、疲れも溜まるよね。おつかれさま」
水飲む? と尋ねられ、シェーラのグラスを手渡しされる。受け取って、冷たい水を飲みながら、シェーラは体の中に溜まった毒がすっと薄れていくのを感じた。
(自分ではいつものことだと思っていたし、今まで仕事の話を誰かに愚痴ろうと考えたこともなかったけど。話を聞いてもらって、労ってもらうのは、新鮮だな)
今までひとに言えなかったことを、アーロン相手に言えたのは、この結婚には仕事が密接に絡んでいるという意識があるせいだ。隠し事はいけない、と思っている。
しかし大きな理由としては、相手が信頼するアーロンだから、というのは実感としてある。
「疲れていたと言われれば、そうかもしれません。いま『距離感』と聞いたときに、すとん、ときました。私は、にこにこしていれば『親しみやすい』『近づきやすい』印象かもしれません。でも実際は騎士団の副団長で、出身は貴族階級。剣の腕で、何人かかなわない相手はいますが、騎士団の中でも上位です。親しみやすい要素、実はあまり無いはずなんです」
アーロンは、そこでふっとおかしそうに噴き出した。
「無いね。ガチガチのエリートかつ叩き上げでもあって、少し考えれば、そこに至るまでに自分にも他人にも厳しくなければやってこれなかったってのは、わかるはずなのに。甘く見られてひとからつっかかられるのは、女性だから?」
「意外に、男性が女だからどうこうと言ってくるよりも、女性の方が私を軽く見て言いたいことを言ってくるように思います。女性が避ける仕事で昇進しているのは羨ましいことではないでしょうし、それで婚期を逃しているので。同性の方が、私を下に見ることができる要素は、いくらでも思いつくみたいです」
右手を伸ばしてきたアーロンが、シェーラの左手の甲に自分の手を重ねて、薬指の指輪を指先でなぞった。目を合わせると、「これは何?」と目だけで聞かれて、頬に血がのぼってくる。
(結婚はしましたね、はい。誰もがうらやむ旦那様と……)
それがまた、「政略結婚」であるという触れ込みであったことから、この先シェーラをやっかむ者は絶対にいるはずだと覚悟している。
リルのように。
アーロンは、シェーラの手を掴む手に力を込めて、囁くような声で告げた。
「女性には難しい仕事をやり遂げる中で、結婚は多少遅れたかもしれないけど、それがシェーラさんの人間性を損なう要因にはなり得ないと、俺は思う。どう考えても、魅力だ」
シェーラがうかがうと、アーロンはまっすぐにシェーラを見ていた。その瞳は曇り無く自信に満ちあふれていて、嘘などひとつも言っていないのだと思わされる。
(アーロン様の言葉は不思議。少しずつ、見方を良い方にずらされる。話しているうちに、全然違う地点に着地する。婚期を逃したと噂される女は、若くはないということ。そんな私に、アーロン様は結婚を申し入れたのであって)
今までのシェーラであれば、「失望されたくない」あまりに、緊張してしまっていたことだろう。
アーロンを前にすると、そういった萎縮する感情は全然起きなかった。
やけに素直になってしまい、思っていることを、ぽろっと口にしてしまう。
「今日のリルさん、『働く格好良い女性だと思っていたのに、幻滅しました』といきなり言ってきたんです。正直に『なんでアーロン様をとったんですか!?』て言えばいいのにって思いました。そういう『恋愛のような下等なもの』以外の、高尚らしい会話でふっかけてくるのがこう……頭でっかちだなって。私に言われたくないでしょうけど、しかし素直じゃない……」
ふふ、とアーロンが噴き出した。「笑い事じゃないですよ」とシェーラは一応、抗議をする。
「私、彼女に取り付く島もない態度で『性格悪い』って言っちゃいました。語彙が足りなくて申し訳ないんですけど、中途半端に迂遠なこと言っても、伝わらないかもしれないと思って」
こう、はっきりと、ですね……とシェーラが小声で言うと、アーロンも内緒話のように小声で「良いんじゃないですか」と答えた。
そして、のんびりとした調子で続けた。
「『あのときあのひとに言われたあれがすごく嫌で、ずっと魂を傷つけられた感覚がある』リルがいまのままなら、そうやってシェーラさんを恨み憎むかもしれません。役職付きとして、シェーラさんはその恨みを買うのを覚悟の上で言っているでしょう。だけどリルがどこかで変わったら『あのときシェーラさんに言われたあの言葉のおかげで、いまの私がある』と思うようになるかもしれない。それで、シェーラさんに親しみを覚えることはないにしても、尊い存在だと気づいて尊敬するでしょう。俺は、俺の妻となったひとはもっと尊敬されて良い女性だと思います。応援してます」
真面目に耳を傾けていたシェーラは、結論に口元をほころばせた。笑った。次から次へと笑いがこみあげてきて、たまらずに笑いながら言った。
「アーロン様のそういうところ、好きです。私を肯定するために、相手をけなしたりしないし『俺がビシッと言っておく』って、いきなり権力者仕草するでもなくて、応援するとだけ言ってくれるところが」
笑われたアーロンは、照れくさそうな顔をしながらも、きっぱりと告げる。
「今回の件は俺の部下の不始末ではあるんだけど、俺自身がその場にいなかったから。その場で君が上官として下した判断を、これまでの働きぶりや人柄に照らして信用する。シェーラさんが適切な処置をしているときに、俺がいきなり『妻をいじめたやつ許さん』て出ていったら変なことになるから。気持ちの上ではそうしたいけど」
さらっと付け加えられた一言に、シェーラは笑顔で「ありがとうございます!」と答えて、グラスの水を飲み干した。
それから、笑ったまま「こういうときって、水を飲んでいる場合なんですかね、私たち」と照れ隠しのようにぼやいてみせる。
グラスを置いたところで、立ち上がったアーロンに腕をひかれた。
「俺は水でも酒でもなんでもいいですよ。シェーラさんがいれば」
そう宣言するなり、アーロンはシェーラを抱え上げて、寝台へと向かったのだった。