魔術師団長に、娶られました。

愛を知らないだなんて

「副団長、質問します。新婚さんは、普通に毎日出勤してきて良いものなんですか?」

 翌日、結婚式から三日目の朝。
 修練場で稽古を終え、書類仕事を片付けるために執務室へ向かっていたシェーラは、廊下で顔を合わせたエリクから真顔で尋ねられた。
 立ち止まったシェーラの脇を、他の騎士団員が緊張した面持ちで通り過ぎて行く。心なしか、足取りがゆっくりだ。エリクに対して「お前、何言ってるんだ」と動揺しつつも、それ以上に「副団長はどう答えるんだ」という興味関心がないまぜになっているのを、シェーラは肌で感じた。

(気持ちはわかる。微妙な空気に耐えられなくて、さほど興味がなくても、つっこんで聞いてさっさと話を終わらせたくなるの、とてもわかる)

 シェーラは、横顔に窓からの日差しを浴びて、ふっと息を吐き出した。

「休日は休むつもりでいますよ。ただ、長期休暇は工面できなくて」
「手ぬるいですよ、副団長。こういうときこそ、何がなんでも特別休暇を使うべきでは? 使わせないのは誰ですか? もう、周りに遠慮してないで、せっかく夫婦になったんですから二人でイチャイチャとか、することたくさんあると思います!」

 思います! という爽やかなひとことが、シェーラの耳の奥でこだまする。
 そっか、イチャイチャか、新婚スターターキットか、と感心しつつ、シェーラは「これでも、二人の休みが合うように調整はして頂いているんです。次の休みも一緒です」と短く答えた。
 途端、エリクが身を乗り出してきた。

「ということは、イチャイチャする気はあるってことですよね! 昨日はどうですか、アーロン様と仲良く過ごされましたか!?」
「水を飲んでいました」
「えっ」

 目の前で固まってしまったエリクに対し、シェーラは申し訳ない気分になりながら「水を……」ともう一度未練がましく呟いた。

(さすがに、少し習慣を変えないといけないような気はしている。何かこう……、もう少し何か)

 少々ばつの悪い思いをしているシェーラを前に、エリクもまた妙に気の毒そうな表情を隠しもせずに言った。

「何かのたとえなのかな……。僕にはわからない。水を……?」
「水以外で……何かを飲むのなら、何が良いんだろうといま悩んでいて」
 
 いらぬ深読みをされている気配を感じ、シェーラは「そうじゃない」という意味で続きを述べた。
 暗喩でも隠喩でもなく、エスプリの効いたおしゃれな会話をしようとしているのでもなく、事実のみなのだ。
 くつろぎ方を知らない二人が出会うと、就寝前に冷たい水を飲むことになる。
 エリクは戸惑った様子ながら、首をかしげて答えた。

「僕は、柔軟体操して酢を飲むと体が柔らかくなると聞いて、一時期酢を飲んでいましたが。寝る前に」
「酢か……なるほど。水よりは良いかな? アーロン様、酸っぱいのは大丈夫かな」
「どういうことですか。二人で柔軟体操しながら酢を飲むんですか? 新婚さんの夜ってそういう……そういう感じなんですか?」

 明らかに、もっと何かこうあるでしょう、と言いたげである。
 そこに、つかつかと足音も高く近づいてくる人物がいて、シェーラは無言のまま視線を流した。現れたのはヴェロニカで、美しい眉を吊り上げている。
 反射的に、シェーラは身構えた。
 これは絶対何か、怒られる前触れだと察した。

 ヴェロニカはエリクを押しのけてシェーラの正面に立つと、「手を」と有無を言わせぬ調子で命じてきた。立場的に、公の場でヴェロニカの命令に無闇に従うのもどうか、という騎士団としての意地や矜持のようなものが頭をかすめた。だが、それこそ悪しき風習であると頭の中から追い払う。
 シェーラの感覚として、ヴェロニカとは友達ではない。隣接する部署の責任ある立場の女性で、敬意を持って接する相手である。しかし、この際友達のような親しさで接してみても良いかもしれない。
 すべては、騎士団と魔術師団の壁を取り払うために。

(もし、もう一言何か言われたら、そのときに判断するとして)

 言われた通りに手を差し出す。
 その手のひらの上に、何かをぽん、と置かれた。
 本であった。
 シェーラはそれが何かを確かめるべく視線を落とす。

“愛を知らない女騎士ですが、堅物魔術師団長と政略結婚をしたら、激しく溺愛されてます!?”

 顔を上げたシェーラが何かを言うより先に、ヴェロニカは力強く断言した。

「恋愛小説よ。流行りなの。役に立つかもしれないわ」
「これ、どなたが書いているんですか? 愛を知らないってどういうことですか? 堅物魔術師団長ってどなたのことですか!?」
「落ち着いて。小説よ、小説。現実じゃない」
「でも、いま、役に立つかもって言いましたよね!? どういう意味で役に立つんですか!? あの、失礼、読みます」
「ここで?」

 冷静に尋ねられたが、冷静さを失ったシェーラは思わずパラパラとページを繰った。
 すぐに、目次の存在を思い出してページを戻る。
 いくつかの章タイトルをざっと見てから、「初夜」の項目を見つめて目を止めた。
 思わず、がばっと顔を上げてヴェロニカを見る。

「初夜まで書かれているんですか!? 誰が見ていたんですか」
「落ち着いて、落ち着いてシェーラ副団長。小説だから! そんなに動揺しながら中身を読んだらもっと大変なことになるから!」
「もっと!?」

 慌てて震えた指先から、本が滑り落ちる。
 床につく前に、背後から手を出してきた男がさっとそれを受け止めた。

「おう、これは広い意味で恋愛小説だが、狭い意味だと官能と情緒に訴えかける類の本じゃないか。大丈夫か、シェーラ」

 よく知った声は、騎士団長のバートラムのもの。
 シェーラは少々頭は固いが、回転そのものは鈍くない。
 即座に言われた内容を理解して、反応をした。

「つまりこれは私とアーロン様をモデルにした官能小説ということですか!?」
「いや、創作創作」
「この国には魔術師団長はひとりしかいません! つ、つまり」
「なにが『つまり』だ。べつにこの国の話だなんて誰も書いていないから、落ち着けって」

 聞こえているのだが、シェーラは「あ、愛を知らない女騎士……」と呟いていて、それどころではない。
 溜息をついたバートラムが、ヴェロニカに向かってぼやいた。

「職場にこういうもの持ち込んじゃだめだろう。没収」
「そう言って、自分で読む気でしょう。いやらしいわぁ」
「いやらしいものだってわかってて持ち込んだのか。ヴェロニカ様はこういうのがお好みで?」
「べつに。シェーラ副団長のお役に立てばと」

 淡々と詰められたヴェロニカは、ふん、と横を向く。その向いた先にいたエリクが、心得たかのようにバートラムに向かって言った。

「姉様は騎士ものが好きですよ。部屋にたくさんあるの、知ってます」
「エリクっ!!」
 
 エリクは、姉に捕まえられる前にさっと身をかわしながら、今度はシェーラへと呼びかけた。

「鬱陶しいと思いますが、みんなみんな心配しているんです! 水飲んでないでイチャイチャしてください!」

 不意を突かれたシェーラは、思ったままに言い返してしまった。

「イチャイチャはしっかりしていますので、ご心配なく!」
「おっ、そうかそうか。やることはやっているか」
「団長まで、なんなんですか! そ、そんなの、おおおお、大人ですから当然じゃないですか! 愛を知らないとか勝手に決めつけないでください!」

 口を挟んできたバートラムに対して、すかさず全力で答えてから、シェーラは多数の視線を集めていることに気づいた。我に返った。

(あーもう、これではまるっきり浮かれた新婚ではっ)

 顔が真っ赤になるのを感じて、熱くなった目元を手で覆う。
 そこに、役者がもうひとり合流して罪のない口調で尋ねてきた。

「面白そうな話をしているけど、俺もまざっていい? 新婚生活の話を聞きたいならいいよ、話すから」

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