魔術師団長に、娶られました。
後ろ髪ひかれる
「今日は帰りが遅くなりそうなので、待たないで寝てください」
騎士団と魔術士団で“愛を知らない”で盛り上がった日の夕刻。
廊下ですれ違ったアーロンに口頭で告げられ、シェーラは気軽に「わかりました」と返事をした。
(遅いと言っても、日付が変わる前には帰ってきますよね。行き違いではないけど、今日はなんだかうまくいかなかったから、待ってよう。早めに話し合っておきたい)
自分自身にさえ堅苦しい言い訳をしつつ、シェーラは寝ないでアーロンを待つつもりで帰宅の途についた。
屋敷にて「アーロン様は遅いそうなので」と伝えて、ひとりで食事も湯浴みも済ませ、いつもアーロンと過ごしている窓際のテーブルに向かい、腕を組んで夜空を見上げる。
ふと、唇からため息がこぼれた。
「もっと自然に、振る舞えたら良いのに……。うまくいかないものだな」
昼間のことを思い出すと、落ち込む。
せっかく、魔術士団と騎士団で和気あいあいとしていたのに、自分が変な空気にしてしまったような反省があった。
(仕事であれば、どんなことでもする覚悟はあるのに。仕事とは関係ない場面になると、その場のノリに合わせるのが、とにかく下手だ。私は頭が固いから、難しく考えすぎる)
職場内環境改善という、建前から始まった関係なのだ。
その良い機会を、自分で潰してしまったような後味の悪さがある。
早くアーロンと話し合って「焦らず長い目で見ましょう」と安心する結論を得たかった。
単に、アーロンの顔を見て、声を聞きたいだけとも言う。
シェーラは、椅子の上で身動ぎをしながら長い足を組む。
テーブルの上には、酒精弱めの苺ワインの瓶と、レモン酢の瓶。そしてグラスが二つ並んでいた。
実はアーロン様も自分も飲む習慣がなくて、とシェーラが団長のバートラムに呟いたところ「アーロンは酒豪だから、飲ませれば飲むぞ」との言質を得たので、用意に踏み切ったのだ。酢はエリクの意見を取り入れて、念のため。
本人から待たないでと言われても、待つのは苦ではなかったので、シェーラは待ち続けた。
夜は長く、考える時間はたくさんあり、結婚に至るまで二人で話し合ったことをいくつも思い浮かべていた。
魔術師団と騎士団の問題を根本的に解決しないまま、どちらかが職を辞するという選択肢は、少なくとも向こう数年はありえない。
もし、職を離れる可能性が唯一あるとすれば、シェーラの懐妊による休職である、という話題もあった。
――俺は、早めに休んで良いと思うんですよ。無理を押して働いても良いことないですし、あとに続くひとにもプレッシャーになるので。
その可能性に触れたとき、アーロンはためらいなくそう言っていた。そのときがきたら、速やかに対応すべきである、と。
それは、ほとんどすべてが前例主義で硬直化した組織の中にあって、シェーラが「初の女性副団長」であり、今後もほとんどの案件で「最初の例」になるという事情が大きい。
妊娠したときに、どの程度体調に影響が出るかわからないが、シェーラの意向を尊重した場合、事務方でも働けるのであれば働いてしまうのは目に見えている。それが出産ギリギリまで続いてしまえば、以降「シェーラはできたのに」という歴史を刻むことになってしまう。その功罪、是々非々。
団長としてのアーロンは、シェーラが考えていた以上に、自分より立場が弱い者のことを考えている。
――客観的に見て、あなたは『飛び抜けて優秀』の部類です。他の者をそこに合わせさせる組織づくりをしてしまえば、誰も仕事を続けられなくなります。
アーロン自身がそうやって周囲に目を配ってきたからこその、言葉なのかもしれない。
(個人差がある中で、私が気合だけで乗り切ってしまえたとき「妊娠は病気ではないので働ける」という悪しき前例を残してしまう。一方で、どう見ても働けそうなのに働かないというのは、周囲の理解を得にくいし、自分にとっても良くない気がしてしまう)
努力の積み重ねで生きてきたシェーラとしては、「限界まで頑張ることを諦める」に抵抗があるのだ。
辛くて苦しくて誰もしたがらない仕事があったとき、自分もやりたくないと逃げてしまえばそれまで。そこで目に見えて「得るもの」が無かったとしても、頑張ったことによって「失わなかった意地」があれば、それで構わないと思ってしまう。
逃げずにやり遂げて成長を実感できれば、それは確実に次の仕事に生きてくると考えてしまうがゆえに。
しかしそれはあくまでシェーラ個人の考えに過ぎず、組織全体を見た話ではない。
「私は、考え方が狭いな」
思わず、声に出てしまった。
相槌を打ってくれる相手もいないというのに。
(アーロン様、遅い。早く会いたい)
その晩、アーロンの帰りはあまりに遅く。
徹夜は翌日の体調に響いてしまうとシェーラは悩みつつも待つのをやめられず、結局椅子に座ったまま夜明けにほんの少しの仮眠をしただけで、朝を迎えてしまった。
アーロンは、帰宅していなかった。
寝不足のまま、シェーラは職場へと向かう。
時間をみて魔術士団に顔を出そう、と心に決めて。
その日は、調査任務に出立する日だった。
準備に追われているうちに、手があくこともなく、シェーラはアーロンと会話をする時間を持てないどころか一切顔を合わせることもできないまま出立することとなった。
(すれ違いというほどすれ違ってはいないから、大丈夫大丈夫)
後ろ髪をひかれる思いを胸に、シェーラは新兵や魔術師団員たちとともに、王宮を後にした。
騎士団と魔術士団で“愛を知らない”で盛り上がった日の夕刻。
廊下ですれ違ったアーロンに口頭で告げられ、シェーラは気軽に「わかりました」と返事をした。
(遅いと言っても、日付が変わる前には帰ってきますよね。行き違いではないけど、今日はなんだかうまくいかなかったから、待ってよう。早めに話し合っておきたい)
自分自身にさえ堅苦しい言い訳をしつつ、シェーラは寝ないでアーロンを待つつもりで帰宅の途についた。
屋敷にて「アーロン様は遅いそうなので」と伝えて、ひとりで食事も湯浴みも済ませ、いつもアーロンと過ごしている窓際のテーブルに向かい、腕を組んで夜空を見上げる。
ふと、唇からため息がこぼれた。
「もっと自然に、振る舞えたら良いのに……。うまくいかないものだな」
昼間のことを思い出すと、落ち込む。
せっかく、魔術士団と騎士団で和気あいあいとしていたのに、自分が変な空気にしてしまったような反省があった。
(仕事であれば、どんなことでもする覚悟はあるのに。仕事とは関係ない場面になると、その場のノリに合わせるのが、とにかく下手だ。私は頭が固いから、難しく考えすぎる)
職場内環境改善という、建前から始まった関係なのだ。
その良い機会を、自分で潰してしまったような後味の悪さがある。
早くアーロンと話し合って「焦らず長い目で見ましょう」と安心する結論を得たかった。
単に、アーロンの顔を見て、声を聞きたいだけとも言う。
シェーラは、椅子の上で身動ぎをしながら長い足を組む。
テーブルの上には、酒精弱めの苺ワインの瓶と、レモン酢の瓶。そしてグラスが二つ並んでいた。
実はアーロン様も自分も飲む習慣がなくて、とシェーラが団長のバートラムに呟いたところ「アーロンは酒豪だから、飲ませれば飲むぞ」との言質を得たので、用意に踏み切ったのだ。酢はエリクの意見を取り入れて、念のため。
本人から待たないでと言われても、待つのは苦ではなかったので、シェーラは待ち続けた。
夜は長く、考える時間はたくさんあり、結婚に至るまで二人で話し合ったことをいくつも思い浮かべていた。
魔術師団と騎士団の問題を根本的に解決しないまま、どちらかが職を辞するという選択肢は、少なくとも向こう数年はありえない。
もし、職を離れる可能性が唯一あるとすれば、シェーラの懐妊による休職である、という話題もあった。
――俺は、早めに休んで良いと思うんですよ。無理を押して働いても良いことないですし、あとに続くひとにもプレッシャーになるので。
その可能性に触れたとき、アーロンはためらいなくそう言っていた。そのときがきたら、速やかに対応すべきである、と。
それは、ほとんどすべてが前例主義で硬直化した組織の中にあって、シェーラが「初の女性副団長」であり、今後もほとんどの案件で「最初の例」になるという事情が大きい。
妊娠したときに、どの程度体調に影響が出るかわからないが、シェーラの意向を尊重した場合、事務方でも働けるのであれば働いてしまうのは目に見えている。それが出産ギリギリまで続いてしまえば、以降「シェーラはできたのに」という歴史を刻むことになってしまう。その功罪、是々非々。
団長としてのアーロンは、シェーラが考えていた以上に、自分より立場が弱い者のことを考えている。
――客観的に見て、あなたは『飛び抜けて優秀』の部類です。他の者をそこに合わせさせる組織づくりをしてしまえば、誰も仕事を続けられなくなります。
アーロン自身がそうやって周囲に目を配ってきたからこその、言葉なのかもしれない。
(個人差がある中で、私が気合だけで乗り切ってしまえたとき「妊娠は病気ではないので働ける」という悪しき前例を残してしまう。一方で、どう見ても働けそうなのに働かないというのは、周囲の理解を得にくいし、自分にとっても良くない気がしてしまう)
努力の積み重ねで生きてきたシェーラとしては、「限界まで頑張ることを諦める」に抵抗があるのだ。
辛くて苦しくて誰もしたがらない仕事があったとき、自分もやりたくないと逃げてしまえばそれまで。そこで目に見えて「得るもの」が無かったとしても、頑張ったことによって「失わなかった意地」があれば、それで構わないと思ってしまう。
逃げずにやり遂げて成長を実感できれば、それは確実に次の仕事に生きてくると考えてしまうがゆえに。
しかしそれはあくまでシェーラ個人の考えに過ぎず、組織全体を見た話ではない。
「私は、考え方が狭いな」
思わず、声に出てしまった。
相槌を打ってくれる相手もいないというのに。
(アーロン様、遅い。早く会いたい)
その晩、アーロンの帰りはあまりに遅く。
徹夜は翌日の体調に響いてしまうとシェーラは悩みつつも待つのをやめられず、結局椅子に座ったまま夜明けにほんの少しの仮眠をしただけで、朝を迎えてしまった。
アーロンは、帰宅していなかった。
寝不足のまま、シェーラは職場へと向かう。
時間をみて魔術士団に顔を出そう、と心に決めて。
その日は、調査任務に出立する日だった。
準備に追われているうちに、手があくこともなく、シェーラはアーロンと会話をする時間を持てないどころか一切顔を合わせることもできないまま出立することとなった。
(すれ違いというほどすれ違ってはいないから、大丈夫大丈夫)
後ろ髪をひかれる思いを胸に、シェーラは新兵や魔術師団員たちとともに、王宮を後にした。