【連載版】田舎者にはよくわかりません~ぼんやり辺境伯令嬢は、断罪された公爵令息をお持ち帰りする~【書籍化+コミカライズ準備中】

23 いったい何が起こっているんだ?【第三王子レックス視点】

 バルコニーから逃げるように走り去るシンシアを見て、俺は笑ってしまった。あの感じでは、思惑通りテオドールという男ともめたようだ。

「たかが田舎の役人が、俺の女に手を出すからだ」

 持っていたグラスの中身をあおる。田舎の酒だったが、今は最高の美酒を飲んだ気分だった。

 婚約者のマリアは、外見は美しいが中身がいただけない。何かにつけて口うるさく、俺のことを管理しようとしてくる。そんな女とこれから先ずっといるなんてごめんだった。

 だが、マリアは公爵令嬢だ。マリアほどこの俺にふさわしい肩書を持つ女がレイムーアにはいなかった。

 遊ぶだけの女は、顔や体が良いだけでいい。だが結婚するとなれば話は別だ。美しい上に、金と権力も同時に持っていなければ俺にふさわしくない。そう思ったとき、幼いころに出会った少女を思い出した。

 俺や兄達は「上に立つ者は、広い視野を持たなければならない」という父の考えから、安全な友好国の視察に無理やり行かされていた。

 そのときに出会った大人しい少女。たしか、あれはバルゴア辺境伯の娘シンシアだ。

 顔は覚えていなかったが、子どものころの俺が見た瞬間に妻にしても良いと思えるくらい可愛かったはず。それに物静かで従順。別れ際に頬にキスをしたらよほど嬉しかったのか、それとも俺と別れるのが寂しかったのかわからないが、涙を流していた。

 ド田舎だが広大な土地と強い軍隊を持つバルゴア領は、他国から恐れられている。しかし、友好国である我が国にとっては、バルゴア領の強さなんて関係ない。

 むしろ、俺とシンシアが結婚すれば、より強い繋がりができるので両国のためになる。

 急ぎ配下の者にシンシアのことを調べさせたら、まだ婚約者はいないという報告が入った。

 もしかすると、俺が迎えに行くのを夢見て待っているのかもしれない。バカバカしいと思うが、かしこぶっているマリアを見たあとなら、女は多少バカなほうが可愛げがあるとわかった。

 だが、問題は成長したシンシアの顔がわからないことだ。輝く金髪にアメジストのような紫色の瞳だったことは覚えている。

 子どものころは可愛くても、成長と共に目鼻立ちが崩れていくことだってある。もし、シンシアが耐えられないほど醜悪な外見になっていたら……。

 そう考えた俺は、シンシアに連絡を取る前に顔を見てやろうと思った。

 都合の良いことにもうすぐバルゴアで交流会が開かれる。それに同行して数年ぶりにシンシアを見た結果。

 美しく波打つ金髪、陶磁器のように滑らかな白肌、バラの蕾(つぼみ)のような唇。そのどれをとっても最高級品だった。これだったら側に置いておくだけでも見栄(みば)えが良い。

 澄んだ瞳を瞬(またた)かせながら、不思議そうに首をかしげる姿を見ると、庇護欲と支配欲が同時に刺激された。

 しかも、口うるさくない。偉そうな態度も見せない。

 田舎暮らしのせいか少しも擦(す)れていないのがさらに良い。いろいろ教えがいがある。

 俺がいない間に別の男に騙されていたが、それもまたバカで愛らしい。

 ようするに、シンシアは完璧だった。

 優しい俺が騙されていることを教えてあげたので、今ごろ一人で泣いているだろう。傷心の女ほど簡単に落とせるものはない。

 優しく慰めながら酒に酔わせて既成事実(きせいじじつ)を作る。ああいう大人しいタイプは多少無理やりでも問題ない。

 嫌がって暴れるようなら脅せばいい。どうせそのうち他の女達のように俺を愛して、俺がいないと生きていけないとか言いながら縋(すが)ってくるに決まっている。

 ふとバルコニーを見ると、俺の護衛騎士がテオドールをシンシアの元へ行かせないように足止めしている。

 愚鈍(ぐどん)な奴だと思っていたが、アイツもたまには役に立つじゃないか。

 そのまましばらく酒を飲んでいたが、シンシアが抜けた夜会にはもうなんの用もない。

 俺は酒を運んでいる給仕からボトルを一本奪うとシンシアの部屋へと歩き出した。

 だが、部屋に着く前にまたバルゴアの騎士に邪魔をされるかもしれない。そう思って実は先に手を打っておいた。

 深層の令嬢を落とすには、まず使用人を篭絡(ろうらく)する必要がある。そうすれば、すんなりと仕えている主の元へ案内してくれる。

 シンシアの場合は、もっと簡単だった。なぜならテオドールがメイドに手を出しているからだ。

 メイドはテオドールに何を言われているか知らないが、自分の愛する男が出世のためとはいえ、シンシアに尻尾を振っている姿は面白くないはず。

 予想は的中で、テオドールが手を出しているメイドに声をかけたらあっさりと協力を申し出た。よほど、シンシアが邪魔なようだ。

 夜会会場から抜け出すと、そのメイドが俺の側によってきた。

 そして、声をひそめて「私のお仕えしている高貴な方が庭園で、殿下をお待ちです」と耳打ちする。

 バルゴア領のメイドが高貴な方と呼ぶ相手なんて限られている。名前は出さないがシンシアからの伝言だとわかった。

 こちらから会いに行こうと思っていたのに、向こうから誘ってくれるとは。もう笑いが止まらない。

 この世のすべてが俺に味方をしているのがよくわかる。

 俺はメイドと別れて庭園に向かった。

 酒で熱くなっていた体が夜風に冷やされて心地良い。今夜は最高の夜になりそうだ。

 庭園の屋外休憩所(ガゼボ)に人影が見えたのでシンシアかと思い近づいていくといたのは田舎役人のテオドールだった。

「なぜここにお前が……?」

 テオドールが刺すように俺を睨みつけている。月明かりに照らされた赤い瞳が不気味だ。

「レックス殿下、どちらに行かれるのですか?」
「お前には関係ない」

 吐き捨てるように言うと俺はテオドールに背を向けた。盛り上がっていた気分が台無しだ。

 行く先に俺の護衛騎士が立っていた。俺の行く道をふさぐなんていったい何を考えているんだ?

「どけ!」

 そう言っても護衛騎士は動く気配すらない。

「俺のあとをついて回るだけの無能が!」

 それでも護衛は動かない。

「レックス殿下」

 背後からかけられたテオドールの声は、ゾッとするほど冷たい。

「あなたが今まで犯してきた罪を私は知っています」
「罪? 俺は罪など犯していない!」

 その言葉にテオドールは驚いたようで、目を見開いている。

「私の調べでは、視察に使うためのお金で私的に豪遊したり、ときには王族という立場を利用して女性に関係を強要したりと、今まで国内外で好き勝手されてきましたね? 証拠もあります。あなたはれっきとした犯罪者です」
「その程度のこと――」

 バカバカしくて話にならない。テオドールはため息をついた。

「王族が皆、青い髪で生まれるレイムーアでは、王族信仰が強いですからね。自国では多少目をつぶってもらっているのかもしれませんが……それでもレイムーアの役人達はあなたのやらかした後始末に辟易(へきえき)しているでしょうね」

 俺をバカにするような淡々とした物言いに腹が立つ。

「王族への不敬罪だ! そいつを取り押さえろ!」

 命令しても護衛騎士はピクリとも動かない。

「おい、何をしている!」

 護衛騎士を殴ろうとすると、その腕をつかまれた。持っていたボトルが地面に落ちて割れる。

「い、痛いだろうが! 離せ!」

 そのときになって、護衛騎士の目に憎悪に近い感情が浮かんでいることに気がついた。

「まったく……我が国の第一王子殿下と第二王子殿下は、勤勉で優秀なのに、あなただけなぜこうも愚かなのか……」

 一瞬、何を言われたのかわからなかったが、侮辱されたのだとわかり頭に血が上る。

「貴様! 誰にものを言っているのかわかっているのか!?」

 無言の護衛騎士に手で口を覆われた。その指には力が込められていて頬やアゴに食い込んでいる。

「お前こそわかっているのか? ここは他国でお前のやらかしの後始末をしてくれる役人達はいない。そして、お前は俺以外の護衛騎士を国に置いてきている。まぁそうなるように仕向けたのは俺だがな」

 何が目的だと言いたいが口をふさがれて言葉を発することができない。

「俺はお前のことが憎い。だが、レイムーアではお前を裁けない。だから、俺は恥を忍んで自国以外の者に助けを求めた」

 視界の端にいるテオドールが胸元からナイフを出した。

 青白い刃の光に一瞬たじろいだが、どんな理由があっても王族を傷つけたら死罪だ。そんなことをすれば、長くつづいた友好国の関係が一瞬で崩れてしまう。

 刺せるものなら刺してみろ!

 そう思っていたらテオドールはなんの躊躇いもなくナイフを持った腕を振り上げそのまま下ろした。

 逃げようにも護衛騎士に顔と腕をつかまれていて逃げられない。

 声にならない悲鳴をあげると、ナイフは俺の目前でピタリと止まった。ナイフの刃はふれそうでふれないギリギリのところにある。

「レックス殿下の横領はさておき、女性に対するあなたの罪はたしかに罰することが難しいですね。喜んであなたと遊んだ女性もいるでしょうし、誰にも言えず泣き寝入りをしている女性もいることでしょうから」

 この状況で顔色ひとつ変えず淡々と語るテオドールが恐ろしくなってきた。まさか、本当に俺を刺す気なのか? 

「子どものころのシンシア様もあなたに心を深く傷つけられたそうです。そして、今も……」

 赤い瞳が捕食者のように俺を捕えている。向けられた刃がいつ自分に食い込むかわからない状況で体がカタカタとふるえた。

 その様子を見たテオドールがフッと鼻で笑う。

「刺しませんよ。だって、殺したら罪も償わずに楽になってしまうでしょう? たとえお優しいシンシア様が許したとしても、私はあなたを許すつもりはありませんから」

 テオドールは、ナイフを俺から離すと自分の脇腹辺りを薄く切り裂いた。驚く俺をよそに、護衛騎士が「俺の腕辺りも切っておいてください」と伝えている。

「こんなものでしょうか?」
「良い感じですね」
「では、これでいきましょう。……カゲ」

 テオドールがそういうと、どこからともなくフッとメイドが現れた。

「お呼びでしょうか?」

 そう言ったメイドは、俺にシンシアからの伝言をささやいた女だった。ようするにテオドールの女だ。何が起きているのかまったくわからない。

 テオドールは「打ち合わせ通りにいきましょう」とメイドに言う。そして、俺を振りかえった。

「あなたが幼いシンシア様に対しておこなったようなウソと脅迫を、今から私達がしてあげますよ。レックス殿下は、シンシア様のメイドに突き飛ばされたと証言し無実のメイドをひどく打ったそうですね? まずはそういうウソから」

 その言葉を合図にメイドが悲鳴をあげる。悲鳴を聞きつけたのか、夜会会場からぞろぞろと人がやってきた。そこには、バルゴアの騎士達に交じり、レイムーアの一団もいる。

 良かった、助かった!

 そう思っても、未だ護衛騎士に口をふさがれているので何も話せない。なんとか護衛騎士の拘束を解こうと暴れているがビクともしなかった。

 だが、この現場を見ればテオドールと護衛騎士を不敬罪で罰することができる。

「何があったんですか!?」

 バルゴアの騎士がテオドールに駆け寄ると、テオドールは腹部を抑えてうずくまっていた。そして、苦しそうに息をする。

「レックス殿下がお酒を飲み過ぎたのか暴れていて……止めようとしたところ刺されました」

 すかさずメイドが「本当です! 私が通りかかったとき、暴れているレックス殿下をテオドール様とそこの騎士様が取り押さえようとしていました」とウソをつく。

 その言葉を聞いたレイムーアの一団が、一斉に頭を抱えた。

 バカな、俺はそんなことをしていない! 見たらわかるだろうが!

 外交官の代表が「責任者として、いかなる罰もお受けします」と地面に両膝をつく。

 愚かな代表は、テオドールの「幸い傷は浅いです。両国の友好関係には影響がないように取り計らいましょう」という言葉に感謝し涙すら浮かべている。

 茶番だ! こんなバカなことがまかり通ってたまるか!

 なんとか拘束を解こうと暴れると、護衛騎士だけではなくバルゴアの騎士達にも取り押さえられた。押しつぶされるように体重をかけられて息ができない。

 そのまま気を失ったようで、気がつけば俺は牢にいた。

 王族を牢に入れるなどあり得ない。それだけではない、手枷をされて猿轡(さるぐつわ)までされている。

 何か話そうとしても呻き声しか出ず声にならない。

 しばらくすると、テオドールが現れた。俺はテオドールに掴みかかりたかったが、牢で隔たれていてそれもできない。俺がぶつかるとガシャンと鉄格子が揺れた。

 その様子を眉ひとつ動かさないでテオドールが見ている。

「どうですか? シンシア様が味わった恐怖や苦しみ、少しは味わっていますか? 本当ならもっといろいろ仕掛けようと計画していたのですが、あなたの人望がなさ過ぎてこんなにも簡単に捕えることができてしまいました。正直、拍子抜けしています」

 その声はどこまでも冷静だ。

「ウソは終わりました。ここからは脅迫になります。子どものころのシンシア様に『メイドを殺す』と言って脅したそうですね?」

 そんな昔のこと、いちいち覚えているか!

 俺が睨みつけると、テオドールは「牢に入れられても、反省の色がまったくないようですね」と言いながら少し考えるようなしぐさをした。

「レックス殿下は……無くても生きていける臓器があるのはご存じですか?」

 臓器? コイツ、突然何を言いだしたんだ?

「一般的には、二つあるものは片方がなくなっても生きていけるらしいんですよ。人間は案外丈夫です。とある国では、悪くなった臓器を他人の健康な臓器と入れ替える、なんていう儀式が行われているそうですよ」

 あくまで淡々と話すテオドールの顔からはなんの感情も読み取れない。

「ちなみに、その国で、臓器はいくらで売れると思いますか?」

 言葉の意味を理解したと同時に血の気が引いていく。

 そんな俺を見て「良かった。ようやく脅しが効いたようですね」とテオドールは言う。

「これで少しはシンシア様の苦しさがわかったでしょうが、これで終わりではありません。二度とシンシア様の前に現れないようにしなければ。そういうわけで、私への傷害罪であなたを訴えました。これ自体は、特に重い罰にもならないでしょう。……でも、私の予想では、このことをきっかけに面白いことが起きると思いますよ」

 俺に向けられた冷酷な赤い瞳に背筋が寒くなる。

 ここにきて俺は、自分が決して敵に回してはいけない人物を敵に回してしまったのだと、ようやく気がついた。
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