その婚約破棄、巻き込まないでください


「それ、今のままだと逃げ切るのは難しいかも」

 昼下がり。
 修行を兼ねて働かせてもらっている、近所の薬師工房にて。
 私のお師匠様に最近のジェームズ殿下の行状を申し上げたところ、実にそっけなく言われてしまったのです。

「なんてことを言うんですか! お師匠様は魔法使いなのに、『言霊(コトダマ)』を軽視しすぎですっ」

 言葉には強い力が宿るというのは、古来からこの界隈で真実らしく語られる、いわば常識。
 気軽に悪い未来を口にしないでくださいと、私は全力で抗議です。

 薬師で魔導士でもあるお師匠様は、涼やかな青みを帯びた長い銀髪に、まなじりの切れ上がった青い瞳、高く通った鼻梁と薄い唇の、幻想的な美貌の持ち主です。
 背はスラリと高く、灰色がかったシルクのシャツにトラウザーズの飾り気ない姿に白衣をひっかけていて、髪は無造作に結い上げています。顔には黒縁の眼鏡。年齢は不詳。見た目は二十代後半くらいの青年です。

 初めて出会ったとき、その髪の色に見とれてしまい、「とてもお美しいですね」と私が申し上げたところ「自分で毒草の人体実験をしたら変な色になっただけ」と、あっけらかんと言われました。
 麗々しい見た目からは想像もつかないくらい、中身は大雑把で野蛮、しかも口を開けば少々俗っぽい方なのです。
 今日も今日とて、仕事中に最近の悩みを打ち明けたら、大変良い笑顔で不穏な回答をくれました。
 これには、私だって反発しようというものです。

「口に出して言えば、実際にそうなっちゃいますよ! 私は殿下から逃げ切りたいんですから!」

 作業台周りに落ちた薬草の切れ端を、ほうきで掃いて集めながら、私はお師匠様に恨み言をぶつけます。
 すると、お師匠様は乳鉢で薬草を擦る手を止めて、にこやかに言ってきたのです。

「ならないよ。言うだけでなんでも現実にできるんだったら、俺は今よりももっと口数が多いよ。ミントかわいい、ミント抱きしめたい、ミントとキスしたい。これ、実現するかな」

「ド直球のセクハラ……! 言霊の神様も耳をふさいで裸足で逃げ出しますね……!」

 心にもないことを、よくも即座に思いついて言ってくれるものです。私が可愛いだなんて。開いた口がふさがりません。
 呆れきった私をさておき、お師匠様は楽しげな様子で続けました。

「俺の読みが正しければ、このままだとミントは、確実に断罪劇に巻き込まれる。殿下にあのセリフを言われたらおしまいだよ? 『アナベル、今日をもってお前との婚約を破棄する! 俺の愛しいミントに数々の嫌がらせをしてくれたらしいな。そんな人品卑しい女に、王子妃がつとまると思っているのか!』って」

 何やらノリノリの決め顔で、びしっと私を指で差す動作まで。
 しかもよく見ると、お師匠様は片手で空をかき抱いています。

 まるでそこに「贅沢に憧れ野心に満ち溢れて王子に近づいたものの、頭はすかすか胸だけゆさっ」という役どころの「男爵令嬢」でも抱き寄せているかのようです。王子の腕に胸を押し付け、甘えた声で「アナベル様が、ひどいんですぅ」って言うだけの役回りの。
 お師匠様はさしずめ、ジェームズ殿下役のつもりでしょうか?

(演出とはいえ、ちょっとムカつきます。もちろんその「男爵令嬢」は断じて私ではありませんが。なんですかお師匠様、その手付き)

 ほうきで集めた薬草とほこりを、腰をかがめてちりとりで回収し、そのままの体勢で私はぼそぼそと呟きました。

「そもそも私は、最近まで殿下とは接点がありませんでした。殿下が『あのアナベル嬢がわざわざかまっている下級貴族がいる』という噂を聞きつけて私に接触してきたんです。つまり、殿下と私が懇意にしていると誤解したアナベル様が私をいじめているのではなく、ご婚約者であるアナベル様の下級貴族わからせ案件により、殿下が私の存在に気付いたんです。この時系列は大切にしていただきたいものです」

 お師匠様は変な手付きの演技をやめて、にこーっと笑いかけてきました。

「時系列なんて関係ないよ。事実がどうであれ、筋書きはひとつ。『男爵令嬢が王子に取り入って、王子は真実の愛に目覚める。二人で婚約者のご令嬢を陥れようと画策するも、あまりにも浅はかないじめの告発に終始し、婚約者側からやり返される。陰謀の過程で頭の悪さを露呈した王子は周囲の信頼を失い、王家からも追放される。男爵令嬢もついでに破滅するが、自業自得と誰にも相手にされない』今現在、アナベル嬢と殿下がミントを巻き込んで作ろうとしているのって、まず間違いなくこの状況だよね」

 ザ・婚約破棄。
 私はほうきの柄をぐぐっと握りしめながら、お師匠様を睨みつけました。

「お二人の行動の意図がわかりません。本当に、婚約破棄をしたいのでしょうか? 巻き込まれたくないのですが」
「だったらもう、殿下とアナベルお嬢様を強制的に(つがい)にでもしてしまうのが手っ取り早いのではないだろうか」
「『番』」

 お師匠様はポケットに手を入れて、ガラスの小瓶を差し出してきました。

「これは?」
「上品な言い方をすると惚れ薬。直接的な言い方をすると媚薬。これで二人に性的な意味で既成事実を作らせて、どうあっても婚約破棄なんてできない状況に追い込むんだ」
「婚前交渉……!」

 あわわ、と私は及び腰になり、ドン引きをしました。

(「作らせて」「追い込む」……お師匠様、それは悪党のセリフです!)

「私のような新興貴族には雲の上の方々の実態がよくわかりませんが、伝統を重んじる貴族社会では、婚約者同士であっても、結婚前にそういったことは許されないはずです。たとえその計画が功を奏したとしても、婚約関係自体は解消されてしまうのでは……」

「それならそれで。どちらの有責になるかはわからないけど、殿下に非があるとなれば、多大な慰謝料が支払われるだろう。アナベル嬢に非があると判断されれば、ふしだらな女として日の目を見られなくなる。両家がその事実を明るみに出すのを良しとしない場合は、可及的速やかに結婚まで話を進めるはず。これで他人のミントが二人の痴話喧嘩に巻き込まれる心配は、なくなるよ」

 黒縁眼鏡の奥で、青い瞳が優しげに微笑んでいます。言っていることはとてもえげつないのに。
 お師匠様は悪党で、策士です。

「誰にとっても、望んだ未来ということでしょうか?」

 私は悩んだ末に、手を差し出して、その小瓶を受け取りました。

(使うかどうかは、お二人の考えを確認してからだとして……。シンプルに、殿下はアナベル様のことをどう考えているのか。アナベル様は殿下とどうなりたいのか。巻き込まれている私が一番知りたいのは、そこなのです)

 それから、ふと思いついた疑問を口にしました。

「問題は、どうやってこの薬をお二人に飲ませるかですね。私がお菓子や飲み物に混ぜ込んだとしても、お二人が口にしてくれるとは思えませんし」

 そうだねえ、とお師匠様も考える素振りをします。
 しかしすぐに、笑顔になって言いました。

「変装すればいいんじゃないかな? 俺が君に、手を貸すよ」


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