その婚約破棄、巻き込まないでください
「おはよ。早いね……」

 お師匠様から預かった合鍵を使い、私が工房で作業をしていると、昼近くになって二階から眠そうな顔をしたお師匠様が起きてきました。
 前夜の正装も素敵でしたが、いつものように白いシャツの肩に銀青の髪を流したお姿も麗しいのです。

 薬草をすり鉢ですりおろし、薬液と混ぜて薬を精製していた私の手元を覗き込んだお師匠様は「何?」と尋ねてきました。
 作業を進めながら使用した材料を片付けていたので、何を作っているかは見抜かれなかったみたいです。

「二日酔いのお薬です。お師匠様、昨日お酒を召し上がっていたので、もしかして必要になるかなと思いまして」

 私は、嘘がばれぬようドキドキしながら、用意していた言い訳を口にしました。

「気が利くね。嬉しい。少しだるいから、飲んでみようかな」

 薬の人体実験に躊躇のないお師匠様は、笑顔でそう言ってきました。
 相変わらず、ご自身の扱いが雑な方です。未熟な弟子の作っている謎の薬に対して、もう少し警戒心を持っても良いのではないでしょうか。

「本当に、本当に飲みますか? これは私が理論だけで作っているもので、うまくできているかもわかりませんよ? 回復薬がベースなので、毒になるものは入れていませんけど」

「毒が入っていても全然大丈夫だよ?」

「無茶なこと言わないでください。毒は好んで摂取するものでは、あ、あーっ!」

 コップを持ってきたお師匠様は、鍋の中の薬をざばっとそこにあけて、止める間もなく飲み干してしまいました。

(飲んだ……!)

 飲ませるつもりで作っていた私ですが、いざ目の前で飲まれてしまうと、急に落ち着かない気持ちになってきました。

「お師匠様、変なところはないですか? 大丈夫ですか? お腹痛くなったり胸が苦しくなったりしていないですか?」
「どうだろう。胸は苦しいかもしれない。ドキドキする」
「血管になんらかの異常が……!?」

 血の巡りがよくなりすぎたのだろうか、そんな効力は付与していないはずなのにと、慌てて私はお師匠様の心臓に手をあててみました。
 お師匠様は、その手をさっと捕まえて、にこにこと笑いながら私を見下ろしてきました。

「なんの薬だろう、これ。俺に飲ませようとして作っていたみたいだけど、本当に二日酔いの薬かな?」

 あう、と私は体をこわばらせます。

(見抜かれてます、絶対に見抜かれてます。惚れ薬なんてたいそうなものは私に作れませんが、何を隠そうこれは「自白剤」でして)

 出来心といって許されるものではありませんが、私は確かめたくなってしまったのです。
 お師匠様が日頃私に対して口にするセクハラめいた誘惑や「またどこかへ一緒に行こうね」という言葉の真意について。
 それは本当に、心から言っているのですか? と。

(確かめたいとは思いましたが、飲んで頂くかどうかは決めかねていたのに、どうしてそんなに勢いよくお飲みになるんですか……!)

 私はお師匠様の行動に圧倒されつつ、言い訳も見苦しいと腹をくくりまして、正直に申し上げました。

「二日酔いの薬をベースに、ほんの少し、気持ちを正直に話したくなるような薬を目指して調合しました」
「なるほど。素直にってどういうこと? 俺に何か言わせたかったの?」

 私の手首をしっかりと捕まえたまま、お師匠様が確認してきます。

(お師匠様の話し方は、いつも通りですね。薬が効いたかどうか、これだけでは判別できません)

 私はおそらく「自白剤」は効果がなかったのだと思いつつ、体に関わることなので調合に使った薬草を全部挙げて毒性はないことを伝えた上で、質問に答えました。

「お師匠様は、いつも私にとても好意的な発言をされますが、それはどういった意図からなのかと知りたかったんです」

 お師匠様はにっこり笑ったまま、くいっと私の手をひいて、私が顔を上げたところで流れるように話し始めました。

「俺? 弟子のことが大好きなだけだよ。素直で真面目で頑張り屋さんで物覚えが良くて、整理整頓が得意で片付けが几帳面。一生そばにいて欲しいし、がんばっている分めちゃくちゃ甘やかしたい。他の男は寄り付いてほしくない。つまり囲いたいし将来的には一緒に暮らして添い遂げたい。大事にしたい」

 わぁぁぁぁ。

 声にならない悲鳴を上げて、私はお師匠様の顔を見つめてしまいます。

「自白剤効いてますね? そ、そこまでとは思っていませんでした。私はお師匠様のことが大好きなんですけど、普段の誘惑は冗談か本気か全然わからないので、自分の片思いだと思っていました。昨日だって、こんな素敵な方と恋愛できたら本当に夢みたいだなって思ったんですけど、お師匠様は得体が知れないので望むだけ難しいといいますか。もういっそ惚れ薬とか媚薬とか全部使って、既成事実を作ってしまえば良いのかな? なんて」

 なんということでしょう。
 言うつもりのなかったことまで、私はスラスラと口にしていました。
 大変楽しげな顔で聞いていたお師匠様は、私の目を見つめて、甘い声で囁いてきました。

「ミントが使った薬草の類は、精製して飲むより、気化したものを吸い込んだ方が効力が高い。つまり、ミントはいま自白剤を自分に盛った状態にあるわけだ」

「あっ、だからこんなに素直に全部言ってしまったんですねっ。お師匠様が大好きだってこと」

 口が勝手に。
 止まりません。

 お師匠様は小首を傾げて、苦笑しながら言いました。

「さすがにこの状態のミントにこれ幸いと手を出す下衆じゃないつもりなんだけど、聞くだけ聞いておくね。俺とキスしたいと思ったことはある?」
「あります」

 口が。勝手に。
 なんとかへむっと口を閉じた私に対し、お師匠様は「そっかぁ……」と感慨深げに呟きました。
 その顔には、いつもとは違った「分別のある大人の表情」が浮かんでいて、不安になった私は閉じた口を再び開いて言ってしまったのです。

「いまも思っています!」

 口がぁぁぁぁぁ。

「あー……たしかに自白剤成分ではあっても、惚れ薬要素はないから、これは本音なんだろうけど」

 お師匠様は、天井を仰いでしまいました。

「ここまで言ってしまったのに、そこで悩むということは、お師匠様は私とキスしたくないんですか?」

 私が問いかけると、お師匠様は「うう」と呻きながら私を見下ろしてきて、片手で私を軽く抱き寄せました。
 そして「ものすごく、したい」と観念したように呟き、私の手首を離してから、両腕で広い胸の中に私を閉じ込めて、唇を重ねたのでした。

 苦い薬の味がするキスでした。
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