EASY GAME-ダメ男製造機と完璧上司の恋愛イニシアチブ争奪戦ー
「――あの……ありがとうございました……」

 部屋に帰ると、玄関先で足を止めて、頭を下げた。
「いえ……。……まだ、気まずいでしょうけど……もしかして、黒川さん、浮気してました……?」
 あたしは、そのままの姿勢で硬直してしまう。

 ――そんなの……もう、どうだっていい。
 ……朝日さんが、彼女を選んだのなら――あたしを捨てたのなら、もう……。

 すると、高根さんは、そんなあたしの手を取って、中に連れて行ってくれた。
「すみません……立ち入った事を――」
「……いえ……」
 大丈夫、とは、言えない。
 高根さんは、そっとあたしの手を離すと、
「ああ、食材、冷蔵庫に入れておきますね」
 そう、わざと明るく言ってくれた。
「――……ハイ……」
 けれど――それは、逆効果で。
 ……震える声は、もう、隠すつもりもない。
 あれだけの醜態をさらしたんだから、今さらだ。
 ボロボロと落ちていく涙を、どうにか手で止めようとする。
 でも――止まるはずもない。

 ――……だって、朝日さんの姿を見ただけで、胸がこんなにも痛い。

 彼女とどうなったのか――知りたくないのに、知りたいと思ってしまう。
 こんな時間に、親しげに腕を組んでいたんだ。
 もう、一緒に暮らしているのかもしれない。

 ――……別れたはずなのに、そんな風にグルグルと考えは回り、自分の首を絞めるんだ。

「……美里さん」
 高根さんは、少しだけ戸惑いながらも、涙をそっと拭いてくれた。
「……僕、出ていましょうか?」
 あたしは、その言葉に首を振る。
 そんなの、申し訳無さすぎる。
「すみ、ま……せっ……んっ……。……す、ぐ……止めます、からっ……」
 けれど、彼は、あたしをそっと抱き寄せた。
「……構いません。……どうぞ、こんな胸で良ければ、貸しますよ――」

 その気持ちは――申し訳無くて――でも、うれしくて――……。

「――……うああぁ……ん……っ……!」

 子供みたいに泣き崩れたのは――いつ振りだろう。

 あたしは、彼に抱き着いて、しばらくの間、泣き続けた。


 翌朝、目が覚めると――幼げな高根さんの寝顔にビクリとして、起き上がる。
 思わず、服を着ているか確認してしまうが、そもそも、ソファで泣いたまま眠ったらしく、そばで彼が眠っていたようだ。
 その事実に――ホッとしてしまう。

 ――もう、誰かと肌を合わせる気にもなれない。

 それが、一度きりの関係だとしても。

 ――……あたしの中に刻み込まれた朝日さんの感触は――きっと、一生、消える事は無いんだろう。

 ――……そう思えば――また、涙はあふれるのだ。


「……あ、お、おはようございます……」

 すると、高根さんが目を覚ましたのか、ゆっくりと起き上がった。
 少し寝ぼけたような表情は、可愛らしい。
「……おはようございます……。……すみませんでした……」
 あたしが謝ると、彼は困ったように笑った。
「いえ……大丈夫、ですか……?」
「……まあ……今のところは……」
 ごまかすように口元を上げるが、うまく笑えない。
「今日は、どうしますか?」
 すると、高根さんは、ラグに座ったまま、あたしを見上げて尋ねた。
「――今日は……」
 だが、そこまで言いかけて気がついた。
「た、高根さん、帰省しないんですか?」
 彼だって、実家に帰ったりするんじゃ……。
 今更ながらに気がつき、慌てて言うと、笑って首を振られた。

「しません。――……そもそも、僕、帰る実家がありませんから」

「え」

 あたしは、一瞬、自分の事かと思い、固まってしまった。
 高根さんは取り繕うように、続ける。
「いえ、僕が就職した後、両親は離婚してまして。すぐに、お互い別の相手と再婚済みなんです。……どちらも子供がいますし……祖父母も他界してるんで、まあ、墓参りにフラッと行くくらいなんですよ」
「――……す、すみません」
 思わず謝ってしまうが、彼は笑って首を振った。
「気にしないでください。――彼等の選択を、僕がどうこう言うつもりもありませんから」
「でも」

「……取り繕われた冷たい家庭にいるくらいなら――いっそ、壊れた方が良い」

 一瞬にして凍った空気。
 にこやかな彼からは、想像もつかない、暗い感情。
 ――それを見させられた気がして、あたしは固まった。

「――……まあ、そういう訳で。……きっと、そのせいなんでしょうね。……僕、結婚願望強いみたいで」
「……あ」
 一緒に住み始めてから、そんな事を言っていた。
 それは――自分で安らげる場所が欲しいという事だったんだろう。
「――相手があなたなら……そう願ってますが」
「高根さん……」
 戸惑うあたしに、彼は、また、同じ笑顔を見せた。

「待ってます。――あなたが、彼の事で泣かなくなるまで」

「――……ありがとうございます……」

 その言葉で、あたしの涙は、こぼれていった。
< 170 / 195 >

この作品をシェア

pagetop