EASY GAME-ダメ男製造機と完璧上司の恋愛イニシアチブ争奪戦ー
 お盆休みが終わり、また、朝日さんと顔を合わせる日々が始まると思うと、気は重かった。
 とにかく――今の仕事が終わったら、辞表を出そう。
 それだけは、休みのうちに固く決めた。
 そのためには、きちんと仕事をして、引き継げるようにメモを残して。
 時折、視線を感じる気がするが、あたしは、朝日さんに視線を向ける事はできなかった。

 ――……目が合ったら……沈めている気持ちが、飛び出してきそうで、怖かった。


 お昼休みは、彼が立ち上がる前に部屋を飛び出し、以前逃げていた屋上への階段で毎日お弁当をつついた。
 そして、ギリギリで戻り、再び仕事。
 終業時間きっちりで上がり、さっと挨拶を交わすと、すぐに会社を出て電車に飛び乗る。
 そんな風に、逃げて回った。


「お帰りなさい」

「ただいまー、みぃちゃん」

 いつの間にか、叔母のような呼び方に崩されてしまったが、充くんが呼ぶ分には、気にならなくなっていた。
 彼は、帰って来るなり、包丁を持っているあたしに抱き着こうとする。
「危ないから、ダメ!」
「ハァイ」
 ふてくされて見せる彼は、軽くあたしにキスをする。
 ――まるで、新婚ごっこだ。
「あ、お風呂掃除するね」
「ありがと。――じゃあ、お願い」
 そそくさと洗面所に向かった彼を見やり、少しだけ胸が痛む。

 ――何をしていても――朝日さんと重なって見えてしまう。

 それは――いずれ、消えるのかは、わからない。

 ……ただ、今は、この不自然に緩い時を過ごしていたかった。


「ハイ、コーヒー」

「あ、ありがと」

 メモを取っていた手を止め、差し出されたカップを受け取った。
 それをのぞき込みながら、充くんはあたしに言った。
「……みぃちゃん、やっぱり、仕事辞める……?」
「……うん。……もう、潮時かなって……」
 これ以上、あたしが必要とされる仕事があるとは思えない。
 誰かが代われるものなら――もう、いらないとさえ思ってしまう。
「十年務めたんだし、上出来でしょ。……資格とか無いから、選り好みはできないけど」
「……まあ……それは、僕がもう、口を出す事じゃないから」
「ありがと」
 こうやって、あたしの意思を尊重してくれるのは、本当にうれしかった。
 彼とコーヒーを口にしながら、他愛無い話をして、一緒のベッドで眠る。
 それでも――身体を繋げる事だけは、頑なまでにしなかった。

 ――僕は、僕を好きだと思ってくれる人を抱きたいから。

 契約書を作る時に、どうしても気になって尋ねたら、そう返された。
 ――家族ではあるが、夫婦ではない。
 偽物の関係は――いつ終わってもおかしくない。
 そう、言われているような気がした。
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