あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない

好奇心は猫をも殺す

 書庫のドアが開く音。
 アンティークのコンソールテーブルに古めかしい手記を並べ、そばに寄せた一人がけソファに座って革表紙の日記に目を通していた犬島は、風の動きを感じて顔を上げた。

「おかえりなさい、颯司(そうじ)さん。やっぱり引き止められたみたいですね。食事もお済みですか」

 ゴルフ帰り。家について着替えを済ませた猫宮が、微苦笑を浮かべて「ただいま」と答える。
 犬島の手元に視線を投げかけながら、軽い口ぶりで答えた。

(あかね)お嬢さんも来ていて、帰れなかった。榛原(はいばら)さん、俺とお嬢さんの婚約の件まだ諦めてないらしくて。もう、あからさまにお嬢さんゴリ押し。ゴルフの最中もコースに置き去りにされかけた。冬山でスキーだったら遭難して死んでる」
「秋のゴルフ場なので生還できたんですね。おめでとうございます。お嬢さんゴリ押しに関してはまあ、そうなるでしょう。榛原家も由緒正しきあやかしの力を持つ一族。お二人の結婚で家同士のつながりが今より強くなるのは、悲願でしょうから」

 淡々と応じて、犬島はソファの背にもたれかかる。足を組んで、手にしていた日記をテーブルに置いた。
 猫宮としては、それ以上ゴルフの話題を続けるつもりはなかったか、すぐに話を切り替える。

「調べ物の件、休日まで悪かったな。何か進展は」
「普段は会社があるので、進まなかったですからね。猫宮家の若様に猫化の力があること自体は異常でもなんでもないので、後回しになってしまっていましたが。今日はちょうど良かったです。やはり、一族で最後の猫化が確認された女性、紗和子さんが鍵だと思います。いま、紗和子(さわこ)さんの日記を追っていました。なかなかおもしろいですよ」
「若い頃は猫化できたらしいが、あるときを境にできなくなって、それきりだったらしいというのは聞いたことがある。それを話してくれた祖父も故人で、紗和子さん本人が詳しいことをどこかに書き記していないことには……」

 犬島が立ち上がり、猫宮と連れ立って歩き出す。
 まるで切り出すタイミングをうかがっていたように、そわそわとした調子で猫宮が尋ねた。

「古河さんは?」

 退室がてら、リモコンで書庫の明かりを落とし、犬島はのんびりと答える。

「どうでしょう。引っ越しに時間がかかりそうなので、遅くなるようなら食事は済ませてから帰ると昼過ぎに連絡がありました。もう帰っているんじゃないでしょうかね」
「セキュリティを確認したが、出入りのログは残っていた。直接部屋に帰ったかな。今日のところは俺も猫にならなかったから、べつに用事は無いんだが。休日に上司の顔も見たくないだろうし、休んでいるならそれで」

 二人で並んで廊下を進み、分かれ道で犬島は「それじゃ、帰ります」と玄関の方角へと歩き出す。その背を見送ってから、猫宮は反対方向に歩き出した。
 ふと、廊下の先にドアが軽く開いたままの部屋があることに気づく。
 隙間から、細く光が漏れていた。
 出入りのログに、他の家族の帰宅の形跡がなかった以上、いま屋敷の中にいるのは他に古河龍子のみ。

「古河さん?」

 ノックをしようにもドアが開いていたので、猫宮はひとまず声をかけながら部屋の中へと足を踏み入れた。

 * * *

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