あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
 猫に(そそのか)されてしまった。

 龍子が三毛猫に連れていかれたのは、前日の朝出会った応接間らしき部屋。
 窓際にダイニングテーブルが置かれていて、食事に利用したことから、ここは食堂以外の気分のときに家族で寛ぐ用途の部屋なのかもしれない。
 内装は華美ではないが、贅が凝らされている。
 大理石のマントルピースに本物の暖炉、その上にはのびのびとした筆致で描かれた風景画。
 いくつものテーブルや椅子はすべて由来のありそうなアンティーク調で、壁際には年代物の豪奢なサイドボード。
 三毛猫の狙いはまさにそこで、正面まで走り込んでから龍子を振り返って言った。

〈あの戸棚に、私のおもちゃをしまわれてしまったのよ。そのまま忘れてしまったみたいなの、この家の住人ってば、抜けているものだから〉
「おもちゃ?」

 にゃあにゃあと説明されて、龍子は思わず聞き返す。

(このお猫さま、おもちゃで遊ぶんですか。この貫禄で)

 途端、三毛猫はその心の声が聞こえたとばかりにギロリと龍子を睨みつけた。

〈いくつになっても猫は猫です。遊び心こそ猫の猫たるゆえん〉
「ははぁ、なるほど。だというのに、もうお猫さまがおもちゃでは遊ばないと決めつけた人間が、戸棚に猫じゃらしをしまいこんでしまったと」
〈猫じゃらしとは言ってませんが、まあそういうことです〉

 妙にしおらしい態度になった三毛猫の話しぶりは気にならないでもなかったが、龍子は(よほどそのおもちゃに愛着が)と勝手に了解した。

「このサイドボードの、どのへんです? 私、この家の人間ではないので、極力家探しのような真似はしたくなくてですね」

 下段部分は優美な彫りの刻まれた木製扉がついていたが、上段部分はガラス扉になっていて、中の様子が見える。一番近くのソファに飛び乗り、背の細い部分を危なげなく歩きながら、三毛猫はサイドボードの一番上を見て興奮したように声を上げる。

〈あれよ、あの木の棒〉
「あー、あのどこにでもありそうな棒ですか? たしかに、なんであんなところに隠すみたいに……」

 高級そうなグラスの並びに、なぜか木の棒が投げ込まれている。明らかに浮いているそれは、ちょうど遊んでいた猫から取り上げて放り込んだようにも見えた。
 にゃあにゃあ、と猫に急かされて、龍子は恐る恐るガラス戸に手をかけた。

(ここを開けたらセキュリティに引っかかる……なんてことはないかな。怖いな~)

 ドキドキしながらも、そっとガラス戸を開けて、木の棒を取り出す。
 シュッ。
 次の瞬間には、豪速で飛んできた猫に、棒を奪われていた。

「はわっ!? 猫さんなんですかいまの……!」

 叫んだが、すでに猫は棒をくわえて遠くのソファに降り立っていた。そのまま、棒を四つ足で抱え込み、興奮のままに足で蹴りながらカッと目を見開いてふがふがと噛みついている。
 その合間に、もごもごと独り言だけが聞こえてきた。

「にゃあああああああ」〈こ、これよ! 禁断のマ・タ・タ・ビ……! はぁ~たまらないわ〉
「猫さんまさか。それはいけない」

〈▲×◎♯Å◆⊿ll∟+¥\※∵¢-$×⌘……〉
「もう酔っ払ってる……!? 即効過ぎない……?」

 止める間もなかった。
 三毛猫はにゃう、にゃう、ごろごろごろごろ……と鳴いたり喉を鳴らしたりとご機嫌な様子で転げ回った後、木の棒を放り出してふらふらとどこかへと歩き出した。

「これは、取り上げられるはずだわ。悪いことしちゃった……。猫さん大丈夫かな」

 またたびの常習性はわからなかったが、麻薬のような反応を見ていると怖い。せめて二度と触らないように元の位置に戻しておこう、と龍子はその場まで歩み寄り、投げ出された棒を手にした。

 魔が差した。

 それはあまりにも「何の変哲もない」棒そのもので、いったい何がそこまで猫に効くのかと気になってしまったのである。
 匂いを嗅いでも、顔に乗せてみても何も感じない。
 龍子は、猫を真似してそーっと口に運んで小さくひと噛みしてみた。

 昔のひとは言った――

“Curiosity killed the cat”(好奇心は猫をも殺す)

 足から力が抜けて、ふらりとソファに倒れ込んだ。
 全身が重怠く、思考が鈍っていく。
 まるで深酒をしたときのように、龍子はそのまま眠りについてしまった。


「古河さん?」

 夢現で名を呼ばれた。
 その声に、龍子はついに返事をすることができなかった。

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