あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
二度あることは
「寝てる……?」
猫宮は、ソファに座り込んで俯いている龍子を遠巻きに見て呟く。長い黒髪が肩に落ち、顔を覆ってしまっていて表情はわからない。
近づいて見下ろしてみたが、こんこんと眠っているようだった。
(慣れない環境と引っ越しで、疲れが出たか。それはそうだ。ずいぶん迷惑をかけてしまったな)
場所は屋敷の共用スペースで、毛布やブランケットは置いていない部屋。このまま放置しておけば風邪をひいてしまうだろう。
起こすことも考えたが、よく寝ているのでやめておこうと思い直す。
「運ぶぞ」
聞こえていないのはわかっていたが、ひと声かけてから、その体に手をかけた。
背中を支え、膝裏に腕を通して持ち上げる。龍子は見た感じで標準身長、標準体型。ずば抜けて長身の猫宮とは体格差もあり、抱えても重さはさほど負担ではない。
部屋を出るときに片手で抱え直して、後手でドアを閉める。そのまま常夜灯のちらつく暗い廊下を進んで、龍子の部屋と向かった。
ドアの前で再び片手でその体を支え、空いた手でドアを開けて、閉める。
明かりをつけて、ベッドまで運んだ。
屋敷内部は習慣的に土足のため、龍子が履いていたスニーカーを脱がせる。もちろんここまですべて必要な動作で、やましい下心などは一切ない。
最終的に、もう一度抱え上げて布団をかぶせてしまえば、あとは立ち去るのみ。
そのとき、龍子が握りしめていた木の棒が、ころん、と小花柄のベッドカバーの上に転がった。
「何を持っていたんだ?」
不思議に思って、猫宮はその棒を拾い上げて、目の高さに持ち上げる。その正体を悟るより先に、覚えのある感覚に襲われた。
猫化。
ぐらぐらと目の前が揺れて歪み、体が縮んでいく。
(まずい…!)
持っていられず、手から棒が転げ落ちる。拾うこともできず、猫宮は両耳を後ろに折りたたんだ状態で、床の上で四足歩行の三毛猫となった。
(……まぁ、今日一日もったからな。よくやった方だよ)
すっかり変身を終えてから、肉球のついた猫手をふにふにと開いて確認し、溜息。この手ではろくに物も掴めない。
龍子を運び終えたところで良かった――そう思った瞬間、みぞおちが冷えた。
「にゃ」(俺、さっきドア閉めたな……!?)
焦ってドアのところへ走り込むも、ぴたりと閉じてしまっている。
眼前に、立ちはだかるドア。
障子タイプならともかく、一介の猫の身でドアノブタイプはきつい。動画等を確認する限り、できる猫も世の中にはいるようだが、猫宮はまだそこまで猫の体に順応していなかったのだ。
「にゃ……」(どうするんだこれ……)
このままでは、出て行くこともできずに一晩二人一緒にこの部屋で過ごすことになってしまう。下心も何もなかったと主張しようにも、さすがに言い訳じみて苦しい。
ベッドまで戻るも、龍子はすやすやと気持ちよさそうに寝ている。
起こしてドアを開けてもらいたいが、起こして良いものか躊躇した。
「にゃ……あ。にゃああ」
悩みすぎたせいで、普通に猫として鳴いてしまった。いかんいかん、まずは落ち着こうと前足を舐めて、顔をくるりと洗う仕草をする。
「……ッ!!??」(俺、いま、猫だったな!? 顔洗ってる場合じゃねえ!)
このままでは、身も心も猫になってしまう。
その危機感から、猫宮はしゅっとジャンプしてベッドの上に乗り上げた。
ちょうど龍子がもぞもぞと寝返りを打ち、黒髪が乱れてその顔を覆う。
「にゃぁん」(古河さん、誠に遺憾ながら一大事だ。ドアが開けられない。起きてはいただけないだろうか)
思いを込めてひと鳴きしたが、なにしろ弱々しい声で、まったく響かない。
どうにか気付いてもらおうと、肉球のついた手で腕や肩にぽすぽすとスタンプするように触れる。起きない。
もう耳元で喚こうかと、猫宮は顔のすぐそばまで歩み寄った。耳の位置がよくわからず、黒髪を猫手でかきわける。
思いがけず、ふっくらとした柔らかな頬の発掘に成功。その先に、かすかに開いたみずみずしい唇を見つけてしまう。
(キ…………スをすれば…………、人間に戻って、古河さんを起こさないでも出ていける。今晩一晩人間で過ごせるし、不測の事態にも対応できるが……。意識のない相手にそれをするのは取り返しのつかない重犯罪。許されない……。俺はなんて恐ろしいことを)
さめざめと泣きたい気分で、猫宮はその場に座り込んだ。龍子に「お手々ないない」と言われる香箱座りで、しょんぼりとうつむく。
ちら。
依然として龍子は起きる様子はなく。
あまりに意識して見てしまったせいか、その唇はひどく官能的に目に映り、だんだんと落ち着かなくなってきた。
エジプト座りに座り直し、今一度じっと龍子の唇を見る。
いかんいかん、と自分の肩周りに舌を伸ばして舐めて毛づくろい。
ハッ。
「にゃああっ」(やばい、猫になる!! 猫だけど、本物の猫になってしまう!! に、人間に戻りたい。戻るためには古河さんの唇を……。犯・罪だ。耐えろ俺。そうじゃない。もっと違う解決法を)
猫の平たい頭で考えすぎた結果、数分もしないうちに、飽きた。
気付いたら丸くなって寝る体勢になっていた。ハッと再び気付いて体を起こし、座り直す。
「にゃっ」(猫自由過ぎるだろ~~~~~~! いま寝る場面じゃないだろ、なんで寝ようとした! くっ……猫の才能があふれる自分が疎ましい。こんなの、どこからどう見たって完璧な猫そのものじゃないか。俺の優秀さは猫になっても隠しきれないものなのか)
落ち込まないよう精一杯強がってみたが、虚しくなってきた。
いまはどうにかして、龍子を起こして人間に戻してもらうか、何かのきっかけで人間に戻って部屋を出て行くかしなくてはならない。
後者はかなりの運頼み。
ならばここは腹をくくって龍子を起こすしかない。
そう覚悟を決めた猫宮であったが、辺りを見回したとき、ベッドの下のカーペットに転がり落ちた木の棒の存在に気付いた。
「にゃ?」(そういえばあれ、なんだったんだ?)
気になって、ベッドからジャンプで飛び降りる。
かぷ。
手が使えないので、噛んだ。
“Curiosity killed the cat”(好奇心は猫をも殺す)
again.
* * *
猫宮は、ソファに座り込んで俯いている龍子を遠巻きに見て呟く。長い黒髪が肩に落ち、顔を覆ってしまっていて表情はわからない。
近づいて見下ろしてみたが、こんこんと眠っているようだった。
(慣れない環境と引っ越しで、疲れが出たか。それはそうだ。ずいぶん迷惑をかけてしまったな)
場所は屋敷の共用スペースで、毛布やブランケットは置いていない部屋。このまま放置しておけば風邪をひいてしまうだろう。
起こすことも考えたが、よく寝ているのでやめておこうと思い直す。
「運ぶぞ」
聞こえていないのはわかっていたが、ひと声かけてから、その体に手をかけた。
背中を支え、膝裏に腕を通して持ち上げる。龍子は見た感じで標準身長、標準体型。ずば抜けて長身の猫宮とは体格差もあり、抱えても重さはさほど負担ではない。
部屋を出るときに片手で抱え直して、後手でドアを閉める。そのまま常夜灯のちらつく暗い廊下を進んで、龍子の部屋と向かった。
ドアの前で再び片手でその体を支え、空いた手でドアを開けて、閉める。
明かりをつけて、ベッドまで運んだ。
屋敷内部は習慣的に土足のため、龍子が履いていたスニーカーを脱がせる。もちろんここまですべて必要な動作で、やましい下心などは一切ない。
最終的に、もう一度抱え上げて布団をかぶせてしまえば、あとは立ち去るのみ。
そのとき、龍子が握りしめていた木の棒が、ころん、と小花柄のベッドカバーの上に転がった。
「何を持っていたんだ?」
不思議に思って、猫宮はその棒を拾い上げて、目の高さに持ち上げる。その正体を悟るより先に、覚えのある感覚に襲われた。
猫化。
ぐらぐらと目の前が揺れて歪み、体が縮んでいく。
(まずい…!)
持っていられず、手から棒が転げ落ちる。拾うこともできず、猫宮は両耳を後ろに折りたたんだ状態で、床の上で四足歩行の三毛猫となった。
(……まぁ、今日一日もったからな。よくやった方だよ)
すっかり変身を終えてから、肉球のついた猫手をふにふにと開いて確認し、溜息。この手ではろくに物も掴めない。
龍子を運び終えたところで良かった――そう思った瞬間、みぞおちが冷えた。
「にゃ」(俺、さっきドア閉めたな……!?)
焦ってドアのところへ走り込むも、ぴたりと閉じてしまっている。
眼前に、立ちはだかるドア。
障子タイプならともかく、一介の猫の身でドアノブタイプはきつい。動画等を確認する限り、できる猫も世の中にはいるようだが、猫宮はまだそこまで猫の体に順応していなかったのだ。
「にゃ……」(どうするんだこれ……)
このままでは、出て行くこともできずに一晩二人一緒にこの部屋で過ごすことになってしまう。下心も何もなかったと主張しようにも、さすがに言い訳じみて苦しい。
ベッドまで戻るも、龍子はすやすやと気持ちよさそうに寝ている。
起こしてドアを開けてもらいたいが、起こして良いものか躊躇した。
「にゃ……あ。にゃああ」
悩みすぎたせいで、普通に猫として鳴いてしまった。いかんいかん、まずは落ち着こうと前足を舐めて、顔をくるりと洗う仕草をする。
「……ッ!!??」(俺、いま、猫だったな!? 顔洗ってる場合じゃねえ!)
このままでは、身も心も猫になってしまう。
その危機感から、猫宮はしゅっとジャンプしてベッドの上に乗り上げた。
ちょうど龍子がもぞもぞと寝返りを打ち、黒髪が乱れてその顔を覆う。
「にゃぁん」(古河さん、誠に遺憾ながら一大事だ。ドアが開けられない。起きてはいただけないだろうか)
思いを込めてひと鳴きしたが、なにしろ弱々しい声で、まったく響かない。
どうにか気付いてもらおうと、肉球のついた手で腕や肩にぽすぽすとスタンプするように触れる。起きない。
もう耳元で喚こうかと、猫宮は顔のすぐそばまで歩み寄った。耳の位置がよくわからず、黒髪を猫手でかきわける。
思いがけず、ふっくらとした柔らかな頬の発掘に成功。その先に、かすかに開いたみずみずしい唇を見つけてしまう。
(キ…………スをすれば…………、人間に戻って、古河さんを起こさないでも出ていける。今晩一晩人間で過ごせるし、不測の事態にも対応できるが……。意識のない相手にそれをするのは取り返しのつかない重犯罪。許されない……。俺はなんて恐ろしいことを)
さめざめと泣きたい気分で、猫宮はその場に座り込んだ。龍子に「お手々ないない」と言われる香箱座りで、しょんぼりとうつむく。
ちら。
依然として龍子は起きる様子はなく。
あまりに意識して見てしまったせいか、その唇はひどく官能的に目に映り、だんだんと落ち着かなくなってきた。
エジプト座りに座り直し、今一度じっと龍子の唇を見る。
いかんいかん、と自分の肩周りに舌を伸ばして舐めて毛づくろい。
ハッ。
「にゃああっ」(やばい、猫になる!! 猫だけど、本物の猫になってしまう!! に、人間に戻りたい。戻るためには古河さんの唇を……。犯・罪だ。耐えろ俺。そうじゃない。もっと違う解決法を)
猫の平たい頭で考えすぎた結果、数分もしないうちに、飽きた。
気付いたら丸くなって寝る体勢になっていた。ハッと再び気付いて体を起こし、座り直す。
「にゃっ」(猫自由過ぎるだろ~~~~~~! いま寝る場面じゃないだろ、なんで寝ようとした! くっ……猫の才能があふれる自分が疎ましい。こんなの、どこからどう見たって完璧な猫そのものじゃないか。俺の優秀さは猫になっても隠しきれないものなのか)
落ち込まないよう精一杯強がってみたが、虚しくなってきた。
いまはどうにかして、龍子を起こして人間に戻してもらうか、何かのきっかけで人間に戻って部屋を出て行くかしなくてはならない。
後者はかなりの運頼み。
ならばここは腹をくくって龍子を起こすしかない。
そう覚悟を決めた猫宮であったが、辺りを見回したとき、ベッドの下のカーペットに転がり落ちた木の棒の存在に気付いた。
「にゃ?」(そういえばあれ、なんだったんだ?)
気になって、ベッドからジャンプで飛び降りる。
かぷ。
手が使えないので、噛んだ。
“Curiosity killed the cat”(好奇心は猫をも殺す)
again.
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