あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
【5】

ワンナイト・フォーエバー

 あれは、忘れられない夜になったよ。

 月曜日。
 朝から猫宮家に迎えに訪れた犬島に対し、猫宮は感慨深げにそう言った。
 思いに沈んだように伏せられた瞼。吐息をこぼす唇。物憂い横顔には得も言われぬ色香が漂っていて、普段から見慣れている犬島もこのときばかりは息を止めて見入ってしまった。

 前日、何かと理由をつけて犬島は猫宮家を訪れなかった。広い屋敷には、朝から晩まで龍子と猫宮の二人きり。
 明けて月曜日、猫宮のこの態度とくれば、期待しない方が無理というもの。
 朝食の準備のためにジャケットを脱ぎ、エプロンを身につけ、しゃもじを手にしていた犬島は、ごくりと唾を飲み込んで尋ねた。

「お赤飯が良かったですか……?」

 迫真の問いかけ。
 猫宮は顔を上げ、犬島を見つめて口を開いた。

「赤飯? 何か祝い事でも? ああ、そうだ、知ってるか柚希(ゆずき)。北海道では赤飯を甘納豆で作るらしいぞ。どう思う、甘い赤飯」
「ははぁ、それは古河さんにご教授頂きましたね? お二人で将来の話でもなさったんですか。誠に素晴らしい。お互いの家庭環境や食習慣のすり合わせは大切ですからね」
「なんの話だ?」

 きょとんとして、聞き返される。
 この日の猫宮は、どうも話の通りが悪い。
 犬島は首を傾げながら、確認の意味を込めて尋ねた。

「忘れられない夜になったんですよね?」
「コタツなぁ……。あれは本当にすごいなんてものじゃない。骨抜きにされた」
「コタツ」
「今までコタツを知らないで生きてきたのが信じられない。ビフォーコタツとアフターコタツで世界が違って見える。フォーエバーコタツ。一晩一緒に過ごしたらもう、離れられる気がしない」

 しゃもじ(置くと立つタイプ)をそっとワゴンに置き、犬島は左手で眼鏡を軽く持ち上げ、右手で目元をぬぐった。

颯司(そうじ)さんに期待した俺が馬鹿でした。コタツとタツコ、ほんの少しの違いなのにどうしてこうなった……」

 どうした柚希、とのどかに尋ねてくる猫宮の声に、「おはようございまーす!」という龍子の声が重なる。

「今日も犬島さんのごはんが食べられるなんて、感激です! 昨日は一日家にこもって資料を読んでいたので、デリバリーピザざんまいでした。ピザはピザで美味しいんですけど、和食はまた格別ですよね~!」

 明るく言いながら、テーブルを横切り犬島のそばまで歩いてくる。
 黒髪はきちんとブラッシングされてさらっさら。化粧も工夫したらしく、数日前と打って変わってアイシャドウを使い、アイラインも入れているようだ。
 もとからはっきりとした顔立ちだったが、垢抜けて綺麗な印象に様変わりしていた。努力家らしい。

「おはようございます、古河さん。今日は気合が入っているご様子で」
「はいっ。秘書課に異動したからには、秘書としてバリバリ働きます! 犬島さんのお手を煩わせてばかりいないよう、がんばりますね!」

 コンプライアンス的に。
 たとえ褒める意味合いであっても、容姿について触れるのはあまり良くないというのが現代の風潮。ゆえに、犬島も龍子の明確な変化については触れなかった。心の中では実際かなり感心していた。
 これが猫宮との関わりの中で起きた変化なら、どれだけ良かっただろう、とも切実に思っていた。口にはしなかったが。
 少しだけ未練がましく、一応の確認はした。

「社長がコタツがどうこう言ってるんですけど、何かありましたか?」
「ああ~……コタツ。土曜日の夜、猫チャン社長が部屋に来て。人間に戻ったは良いけど、床で寝たまま起きなくてですね~。仕方ないから、コタツにつっこんで寝て頂いたんです。コタツで寝るって体に悪いそうですけど、一日くらいなら良いかなって」
「なるほど。社長はコタツで一人寝」
「それで社長、コタツが気に入ってしまったみたいで。昨日の晩も部屋に来たんですよ。コタツでいいから寝させてくれって。あの、猫だったので、部屋に入れました。朝までコタツで寝てましたよ」

 あはははは~、と笑いながら言う龍子。
 その笑顔を、犬島はじっと見つめた。

(土曜日の夜に、社長が猫で部屋に来て、人間に戻ったけどその場で寝続けた……? どうやって人間に? それに、昨日の夜も猫化した状態で部屋を訪れ、コタツで寝たというけど……、いまは人間だな?)

「古河さん、ちょっといいですか」
「は、はいっ、なんでしょうっ!?」

 引っかかったことがあったので、犬島は龍子に尋ねようとした。
 質問を口にする前から、龍子の反応がおかしい。目が泳いでいる。明らかに何かを隠している態度。

 ふふっ。

 犬島は艶然と微笑んで、眼鏡をかけなおした。

「いえいえ。社長がタツコさんと過ごした夜を『忘れられない一夜になった』と言っていたものですから、どうだったのかなぁと」

 ワゴンから煮物の皿を取り、テーブルに並べていた猫宮が、即座に反論。

「コタツだ! 俺はコタツと言ったぞ!」
「犬島さん、事実誤認です! コタツですよ、社長はコタツLOVEです! タツコではないです!」

 龍子まで必死の形相で言い返してくるのを、小鳥のさえずりのように心地よく聞き流しながら、犬島はにこやかに言った。

「了解しました。それでは、本日の朝食をどうぞ」


 * * *


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