あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
どこまでが予定の内?
宿泊先は、ベイエリアのホテルだった。
市電を使って五稜郭エリアに向かい、ひとしきり市内を巡ってきてから戻ってチェックインを済ませてみれば、押さえてあったのは隣合わせのシングル二部屋。
夜の街に繰り出す前に、荷物を置いてからロビーに集合ということで、廊下で一度解散。
ドアを閉めたところで、龍子は背中を戸板に押し付けて、ずぶずぶと床に沈み込むように腰を落とした。
(ああ~、ありがちな「ツインのはずがダブル事件」とか、社長だけにスイートルームで、広いからみんないっしょに宿泊とかじゃなくて助かった……)
それでなくとも、湯の川温泉あたりの旅館であれば、一人ひと部屋など考えにくい。しかし函館に来たら、湯の川は外せないとも言える。覚悟していた。
その緊張がいっぺんに消えて、脱力した。
そもそも龍子は朝、飛行場に向かうときまで犬島も来るものだと信じ込んでいたのだ。であればそちらは男同士で二人部屋ないし個々に部屋を取り、龍子は一人部屋。いざとなったら実家に帰らせてもらっても良いかも、と軽く考えていた。
蓋を明けてみれば犬島の同行はなく、実家は不在。逃げ場はない状況の中、すべて経費で連れてきてもらっている手前、ぐずぐずも言えないしと悩んでいたのは杞憂に終わった。
「若干強行軍になったけど、明るいうちに五稜郭まで行けて良かった。この後日が沈んだらやっぱり函館山の夜景よね。ちょっと寒そうだけどそこは気合で」
立ち上がり、声に出したところで。
龍子は、とんでもないことに気付いてしまった。
まさか。
いやでも、もしかして。
(うちのおじいちゃんの屋敷の様子を見てきたからといって、猫化問題が根本的に解決したわけでは、ない……!? え、社長!?)
思い立ってすぐ、部屋を飛び出す。隣の部屋のドアを「社長、社長」と言いながらノック。
待つほどの間もなく、中からドアが開いた。
ジャケットを脱いだ猫宮が、目を瞬いて見下ろしてくる。
「何かあったか」
「猫になったらどうするおつもりです?」
そこで、龍子は「失礼」と断って部屋に入れてもらい、後ろ手でドアを閉める。ひとけがないとはいえ、誰が通るとも知れない廊下でして良い話ではなかった。
猫化していなかった猫宮にひとまずほっと胸をなでおろしてから、改めて問いかける。
「社長、いまは人間なのでドアを開けられましたけど、猫になったら開けられないですよね? スマホも使えないですし。どうやって助けを呼ぶつもりですか」
「……ああ」
「まさか考えていなかったんですか? いつものお屋敷とは違うんですよ。ドアを軽く開けておくこともできないでしょうし、鍵がしっかりかかってしまうので、いざというときに私は外から開けることができません。スマホも使えないからいざという時もわかりませんし……、スタッフの方にお願いして開けてもらおうものなら、本人がいなくて猫がいることの説明が必要になってしまいます。だから」
話す前からうっすらわかっていたが、答えは出てしまっていた。
龍子は物悲しい顔をしている猫宮を見上げ、最後通牒をつきつけるが如くその結論部分を口にする。
「私たち、別々の部屋というわけには、いかないですよね」
「それはそうなんだが」
「部屋を変えてもらいましょう。どうせ社長は夜になれば猫チャンですしツインであれば支障なく過ごせると思いますので」
ひといきに、言い切った。
(部屋を変えると、請求内容で犬島さんにはいろいろわかってしまいそうだけど。勘ぐるような野暮なことはしないと信じたい……。猫なんです、すべては猫なので)
猫宮は額に手を当て、ばつが悪そうに頷いた。
「たしかに、絶対大丈夫と言える根拠は何もない。最近、夜に猫になってもコタツで寝ると人間に戻っていたので油断していたが、ホテルの部屋にはコタツがないからな……。申し訳ないが、世話になる」
コタツではない。
(断じてそこは、コタツではないのです。猫から人間に戻しているのは私、私ですよ~! なんだっけ、こういう、助けているのに言えない童話何かなかったっけ……)
言葉を失って気持ちが伝えられない『人魚姫』?
機織りをして反物を作っているけど、見られてはいけない『鶴の恩返し』?
ガラスの靴を落としてきてしまったが、なかなか名乗り出て行けない『シンデレラ』。?
(ええと、ええと、なんだろう微妙に違う……。これは)
思い出せそうで思い出せない何かを追いかけて。
「どうした?」
不思議そうに聞いてきた猫宮の顔を見て、龍子は思わず頭の中をよぎった文言を口にした。
「『ごん、お前だったのか』」
「なんでまた、ごんぎつね?」
「そういう気分だったんです」
ごまかす気力もなく答えると、猫宮は神妙な顔で「わかった」と言った。毒づくこともできずに、龍子は胸の内だけで呟く。
(嘘つき。私の気持ちなんか、絶対にわかっていないくせに)
* * *
市電を使って五稜郭エリアに向かい、ひとしきり市内を巡ってきてから戻ってチェックインを済ませてみれば、押さえてあったのは隣合わせのシングル二部屋。
夜の街に繰り出す前に、荷物を置いてからロビーに集合ということで、廊下で一度解散。
ドアを閉めたところで、龍子は背中を戸板に押し付けて、ずぶずぶと床に沈み込むように腰を落とした。
(ああ~、ありがちな「ツインのはずがダブル事件」とか、社長だけにスイートルームで、広いからみんないっしょに宿泊とかじゃなくて助かった……)
それでなくとも、湯の川温泉あたりの旅館であれば、一人ひと部屋など考えにくい。しかし函館に来たら、湯の川は外せないとも言える。覚悟していた。
その緊張がいっぺんに消えて、脱力した。
そもそも龍子は朝、飛行場に向かうときまで犬島も来るものだと信じ込んでいたのだ。であればそちらは男同士で二人部屋ないし個々に部屋を取り、龍子は一人部屋。いざとなったら実家に帰らせてもらっても良いかも、と軽く考えていた。
蓋を明けてみれば犬島の同行はなく、実家は不在。逃げ場はない状況の中、すべて経費で連れてきてもらっている手前、ぐずぐずも言えないしと悩んでいたのは杞憂に終わった。
「若干強行軍になったけど、明るいうちに五稜郭まで行けて良かった。この後日が沈んだらやっぱり函館山の夜景よね。ちょっと寒そうだけどそこは気合で」
立ち上がり、声に出したところで。
龍子は、とんでもないことに気付いてしまった。
まさか。
いやでも、もしかして。
(うちのおじいちゃんの屋敷の様子を見てきたからといって、猫化問題が根本的に解決したわけでは、ない……!? え、社長!?)
思い立ってすぐ、部屋を飛び出す。隣の部屋のドアを「社長、社長」と言いながらノック。
待つほどの間もなく、中からドアが開いた。
ジャケットを脱いだ猫宮が、目を瞬いて見下ろしてくる。
「何かあったか」
「猫になったらどうするおつもりです?」
そこで、龍子は「失礼」と断って部屋に入れてもらい、後ろ手でドアを閉める。ひとけがないとはいえ、誰が通るとも知れない廊下でして良い話ではなかった。
猫化していなかった猫宮にひとまずほっと胸をなでおろしてから、改めて問いかける。
「社長、いまは人間なのでドアを開けられましたけど、猫になったら開けられないですよね? スマホも使えないですし。どうやって助けを呼ぶつもりですか」
「……ああ」
「まさか考えていなかったんですか? いつものお屋敷とは違うんですよ。ドアを軽く開けておくこともできないでしょうし、鍵がしっかりかかってしまうので、いざというときに私は外から開けることができません。スマホも使えないからいざという時もわかりませんし……、スタッフの方にお願いして開けてもらおうものなら、本人がいなくて猫がいることの説明が必要になってしまいます。だから」
話す前からうっすらわかっていたが、答えは出てしまっていた。
龍子は物悲しい顔をしている猫宮を見上げ、最後通牒をつきつけるが如くその結論部分を口にする。
「私たち、別々の部屋というわけには、いかないですよね」
「それはそうなんだが」
「部屋を変えてもらいましょう。どうせ社長は夜になれば猫チャンですしツインであれば支障なく過ごせると思いますので」
ひといきに、言い切った。
(部屋を変えると、請求内容で犬島さんにはいろいろわかってしまいそうだけど。勘ぐるような野暮なことはしないと信じたい……。猫なんです、すべては猫なので)
猫宮は額に手を当て、ばつが悪そうに頷いた。
「たしかに、絶対大丈夫と言える根拠は何もない。最近、夜に猫になってもコタツで寝ると人間に戻っていたので油断していたが、ホテルの部屋にはコタツがないからな……。申し訳ないが、世話になる」
コタツではない。
(断じてそこは、コタツではないのです。猫から人間に戻しているのは私、私ですよ~! なんだっけ、こういう、助けているのに言えない童話何かなかったっけ……)
言葉を失って気持ちが伝えられない『人魚姫』?
機織りをして反物を作っているけど、見られてはいけない『鶴の恩返し』?
ガラスの靴を落としてきてしまったが、なかなか名乗り出て行けない『シンデレラ』。?
(ええと、ええと、なんだろう微妙に違う……。これは)
思い出せそうで思い出せない何かを追いかけて。
「どうした?」
不思議そうに聞いてきた猫宮の顔を見て、龍子は思わず頭の中をよぎった文言を口にした。
「『ごん、お前だったのか』」
「なんでまた、ごんぎつね?」
「そういう気分だったんです」
ごまかす気力もなく答えると、猫宮は神妙な顔で「わかった」と言った。毒づくこともできずに、龍子は胸の内だけで呟く。
(嘘つき。私の気持ちなんか、絶対にわかっていないくせに)
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