あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
【7】

降り積もる思いを胸に

 折り重なって、絡み合う手足。
 背中に感じるぬくもり。
 効果範囲、面積。体の上に腕がまわされていて、状況としては抱きしめられている。そういったすべてが、龍子の背後にいるのは「猫ではない」との判断を促してくる。であればそれはつまり。

(心臓が……、バックバク鳴ってんですけど……! だってこれ社長、となりに寝ているよね……!? いつ人間に戻っ……)

 もう無理。心臓の音が聞こえてしまう。
 現実から逃げ出すために、目を瞑って寝直そうとした。そのとき、ふっと体の上から腕の重みは消えた。
 衣擦れの音ともに、冷えた空気が背に触れる。後ろにいた猫宮が、起き上がっていた。

「古河さん、起きてる?」
「はいっ、起きてます!」

 突然のご指名、龍子は四の五の言う前に跳ね起きた。
 距離が近くて。
 顎に頭突きしそうになった。回避できたのは、猫宮の反射神経のたまもの。危なかった、と言わんばかりに目を見開いた猫宮と視線がぶつかる。
 光に透ける茶色の髪。なぜか少し気難しげな表情。目元が渋い。

「社長?」
「昨日、俺は古河さんにキスをした」
「あっ、ええと、はい。昼間の……」
「夜も。そのときに、猫から人間に戻った。寝ているときに勝手に悪かった」

 心臓が、ぎゅうっと痛む。
 同時に、全身から力が抜けていった。

(わかっていたんだ。そうだよね。最初から、勘づいているっぽい雰囲気はあった。話題にしなかっただけで、全部気付いている。私が毎晩、猫の社長にキスしていたこと……。コタツ効果ではなかったこと)

 前夜がたまたま猫宮からのキスだったとして、そこに罪悪感を抱くことがあるのなら、それは龍子だって同じだった。これまでに何度も、繰り返してきたことなのだから。
 そのことを詫びようとした龍子に対し、猫宮はさらに低い声で続けた。

「人間に戻ってからも、キスをした。古河さんが意識のないときに」
「えっ……それってつまり、人間の社長と、人間の古河さんがキスをしたって意味ですか。あ、つまり私が」

 確認しつつ、呆然と猫宮を見上げる。

(古河さんってなにー!? 古河さんって、古河さんって。動揺して一人称が三人称になってしまった)

 龍子の問いかけに対して猫宮ははっきりと頷き、小首を傾げて龍子の顔をのぞきこんできた。

「古河さん、人間とのキスは」
「いやあの、恥ずかしいので聞かないでください。初めてなので。あ、ああ~、初めてって言っちゃった。余計恥ずかしい……」

 頬に血が上ってくるのがわかる。両手で顔を覆って、龍子は俯いた。穴があったら入りたいとはこのこと。それなのに、猫宮はさらに追い打ちをかけてくる。

「意識がないときはノー・カウントとして。意識があるときにもしておきたい、と考えているんだが。どうだろう」
「それって、いまこの状態でってことですか?」

 聞き間違いかと、顔を上げて尋ねる。猫宮「そう」と首肯した。

「猫から人間に戻るとか、そういう理由何もないのに?」
「ファーストキスのやり直し。やり直しというのは違うか、取り戻すため? ただのキスをいま、俺と古河さんでする。どう? イエスかノーで」
「……………………はい」

 幾分不明瞭な返事。自分でも聞き取りづらかったそれは、「はい?」と聞き返したつもりだったかもしれない。それで「本気にした?」なんて言われたら、「いえいえ」と笑ってごまかして。
 そこで終わり。それでも良かったのに。

 猫宮の骨ばって長い指が龍子の顎を軽く上向ける。さらりと間近な位置で茶色の髪が揺れて、伏せられた睫毛の長さに、綺麗な目元だなと思いながら目を閉じた。
 唇と唇が触れた。
 想定より長い時間が過ぎて、やがて猫宮の気配が離れて行く。
 夢から醒めるように目を開ければ、猫宮のガラスのように透き通った瞳が龍子を見ていた。

「いまのを、古河さんのファーストキスにカウントするということで。相手は俺だ。忘れないように」

 忘れられるはずのないことを、一言一言区切るように、告げてきた。


 * * *


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