あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない
函館出張、二日目も満喫。
「旧函館区公会堂に行けなかったのは残念ですね。ドレスを着て館内散策できるんですよ。大広間で夜会ごっこしたかった」
次に来るときはあれもしたい、これも食べたい、行きそびれたあの場所にもと言い合いながら午後の便に乗って東京に戻り、猫宮の運転で都心にある屋敷へと帰り着く。
自由に出入り権限の与えられている犬島が今日も来ていたようで、玄関まで出迎えに来て、二人が持ち込んだ土産品の数々に苦笑していた。
「ずいぶんな収穫ですけど、おじいさまのお屋敷の件はあまり進展なかったみたいですね」
ぐさりと胸に一撃を受け、龍子は心臓を手で押さえて「すみません」と即座に謝罪する。
その横で、猫宮が悪びれない様子で答えた。
「少なくとも、買った人間が普通の理由で買っていないだろうことはわかった。そちらも詳しく調べた方が良いだろう。近いうちにまた行くことになる。古河さんのご家族にも挨拶しそびれた」
「あ~、すみません……」
犬島に続き、猫宮にまで平身低頭謝り、龍子は聞けない問いを胸に抱え込んで少しだけ居心地の悪い思いをする。
(家族に挨拶って、どういう意味合いの……。社長はふつう平社員の家族にわざわざ挨拶しに行かないと思うんですけど。同居の件かな?)
気にはなるが、確認するのが少し怖い。今はまだ。
ホテルで迎えた朝、人間同士で「ただのキス」をした。その意味や理由を言葉で確認することができなかったため、龍子にとっては謎のままになっている。
猫宮から荷物を受け取りながら、犬島が流れるように続けた。
「颯司さん。榛原社長の件でご報告があります。来週、茜お嬢さんの誕生日パーティーがあるそうで、ぜひ出席をとのことです」
「ん~、そう来るか。社長はお嬢さんの件さえなければ、仕事ぶりも人柄も言うことないんだけどな。わかった。逃げ切れる気もしない。出席で」
直感的に。その会話だけで、龍子はそれが何の件かわかってしまった。
(「茜お嬢さん」って、社長の婚約者候補だ……! 会うんだ。お誕生日に。それはやっぱり、相手の方も期待するはず。社長はそういう気のもたせ方、どう考えているんだろう)
ちらっと見た拍子に目が合う。
猫宮は落ち着いた様子で龍子を見下ろして、やわらかな口調で行った。
「土産品、冷蔵庫に入れるものは入れておく。今日は早く休んだ方が良い。疲れただろ」
「はい、お言葉に甘えて。それでは二日間ありがとうございました。犬島さんの手配にも感謝しています。おやすみなさい」
龍子は二人に対して頭を下げて、自分の荷物を持って階段を足早に駆け上がり、部屋へと向かう。胸がいっぱいで、うまく口をきくことができなかった。
函館観光、あやかし屋敷と化していた祖父の家。
会えなかった両親。
二人で過ごした夜と迎えた朝。
たった二日で、溢れるほどの思い出を抱えてしまった。
――忘れないように
(忘れられないけど、忘れられなくて良いんでしょうか。私は社長にとって何なのでしょう……。あのキスの意味は)
龍子が立ち去った後、犬島はくすり、と人の悪そうな笑みをもらした。
それを耳にして、猫宮は顔をしかめる。
「わざわざ古河さんの前で、茜お嬢さんの話を出さなくても」
「すみません。実は今日出先で、茜お嬢さんにばったり会ってしまって。なんか言いたそうだなって思って聞いたらパーティーの話が。やぶ蛇でした」
「柚希のせいか。目に浮かぶよ、どうせ面白がって追い詰めたんだろ。もう、お嬢さんの相手は俺より柚希で良いんじゃないか」
「お嬢さんと社長が納得するなら、俺は別にそれで構いませんよ」
どこまでが本音なのか。
つかみにくい受け答えに、猫宮は横を向いて息を吐き出した。犬島はふと笑みをおさめて「それと、調べていた件ですが」と固い声音で告げる。
「古河さんのご先祖さま、たどれるだけたどりましたけど、『秋津』さんはいなかったですよ」
「そうなのか? 似ていたぞ。血縁に見えた」
「まあ、調べたと言っても今はまだ戸籍をたどっただけなので……。どなたかの通り名とか、蝦夷地に渡ったときに名前を変えたとか。何かしらの理由はあるのかもしれませんが」
あやかし屋敷にいまも住み着いている、異界の住人。
猫宮家の先祖、紗和子が執着を見せている相手。子孫である颯司を動かしてまで、会って思いを遂げようとしていた。その思いは危ういほどに重く、颯司の力をしても、抑えきれずに暴走の兆しを見せた。
話しながら歩き出し、二人でキッチンへと向かう。
土産品のつまった常温のショッピングバッグをのぞきこみ、犬島が顔をほころばせた。
「いいですね、じゃがポックル」
「好きだと思った。夜食にしよう。今晩も少し調べ物を」
「休めばいいのに。昨日一睡もできなかったんじゃないですか、青少年。ホテルの部屋取り直したでしょう。請求書確認するまでもない、わかっていますから」
「柚希」
とがめるように名を呼ばれ、犬島は声を上げて笑い出した。
「旧函館区公会堂に行けなかったのは残念ですね。ドレスを着て館内散策できるんですよ。大広間で夜会ごっこしたかった」
次に来るときはあれもしたい、これも食べたい、行きそびれたあの場所にもと言い合いながら午後の便に乗って東京に戻り、猫宮の運転で都心にある屋敷へと帰り着く。
自由に出入り権限の与えられている犬島が今日も来ていたようで、玄関まで出迎えに来て、二人が持ち込んだ土産品の数々に苦笑していた。
「ずいぶんな収穫ですけど、おじいさまのお屋敷の件はあまり進展なかったみたいですね」
ぐさりと胸に一撃を受け、龍子は心臓を手で押さえて「すみません」と即座に謝罪する。
その横で、猫宮が悪びれない様子で答えた。
「少なくとも、買った人間が普通の理由で買っていないだろうことはわかった。そちらも詳しく調べた方が良いだろう。近いうちにまた行くことになる。古河さんのご家族にも挨拶しそびれた」
「あ~、すみません……」
犬島に続き、猫宮にまで平身低頭謝り、龍子は聞けない問いを胸に抱え込んで少しだけ居心地の悪い思いをする。
(家族に挨拶って、どういう意味合いの……。社長はふつう平社員の家族にわざわざ挨拶しに行かないと思うんですけど。同居の件かな?)
気にはなるが、確認するのが少し怖い。今はまだ。
ホテルで迎えた朝、人間同士で「ただのキス」をした。その意味や理由を言葉で確認することができなかったため、龍子にとっては謎のままになっている。
猫宮から荷物を受け取りながら、犬島が流れるように続けた。
「颯司さん。榛原社長の件でご報告があります。来週、茜お嬢さんの誕生日パーティーがあるそうで、ぜひ出席をとのことです」
「ん~、そう来るか。社長はお嬢さんの件さえなければ、仕事ぶりも人柄も言うことないんだけどな。わかった。逃げ切れる気もしない。出席で」
直感的に。その会話だけで、龍子はそれが何の件かわかってしまった。
(「茜お嬢さん」って、社長の婚約者候補だ……! 会うんだ。お誕生日に。それはやっぱり、相手の方も期待するはず。社長はそういう気のもたせ方、どう考えているんだろう)
ちらっと見た拍子に目が合う。
猫宮は落ち着いた様子で龍子を見下ろして、やわらかな口調で行った。
「土産品、冷蔵庫に入れるものは入れておく。今日は早く休んだ方が良い。疲れただろ」
「はい、お言葉に甘えて。それでは二日間ありがとうございました。犬島さんの手配にも感謝しています。おやすみなさい」
龍子は二人に対して頭を下げて、自分の荷物を持って階段を足早に駆け上がり、部屋へと向かう。胸がいっぱいで、うまく口をきくことができなかった。
函館観光、あやかし屋敷と化していた祖父の家。
会えなかった両親。
二人で過ごした夜と迎えた朝。
たった二日で、溢れるほどの思い出を抱えてしまった。
――忘れないように
(忘れられないけど、忘れられなくて良いんでしょうか。私は社長にとって何なのでしょう……。あのキスの意味は)
龍子が立ち去った後、犬島はくすり、と人の悪そうな笑みをもらした。
それを耳にして、猫宮は顔をしかめる。
「わざわざ古河さんの前で、茜お嬢さんの話を出さなくても」
「すみません。実は今日出先で、茜お嬢さんにばったり会ってしまって。なんか言いたそうだなって思って聞いたらパーティーの話が。やぶ蛇でした」
「柚希のせいか。目に浮かぶよ、どうせ面白がって追い詰めたんだろ。もう、お嬢さんの相手は俺より柚希で良いんじゃないか」
「お嬢さんと社長が納得するなら、俺は別にそれで構いませんよ」
どこまでが本音なのか。
つかみにくい受け答えに、猫宮は横を向いて息を吐き出した。犬島はふと笑みをおさめて「それと、調べていた件ですが」と固い声音で告げる。
「古河さんのご先祖さま、たどれるだけたどりましたけど、『秋津』さんはいなかったですよ」
「そうなのか? 似ていたぞ。血縁に見えた」
「まあ、調べたと言っても今はまだ戸籍をたどっただけなので……。どなたかの通り名とか、蝦夷地に渡ったときに名前を変えたとか。何かしらの理由はあるのかもしれませんが」
あやかし屋敷にいまも住み着いている、異界の住人。
猫宮家の先祖、紗和子が執着を見せている相手。子孫である颯司を動かしてまで、会って思いを遂げようとしていた。その思いは危ういほどに重く、颯司の力をしても、抑えきれずに暴走の兆しを見せた。
話しながら歩き出し、二人でキッチンへと向かう。
土産品のつまった常温のショッピングバッグをのぞきこみ、犬島が顔をほころばせた。
「いいですね、じゃがポックル」
「好きだと思った。夜食にしよう。今晩も少し調べ物を」
「休めばいいのに。昨日一睡もできなかったんじゃないですか、青少年。ホテルの部屋取り直したでしょう。請求書確認するまでもない、わかっていますから」
「柚希」
とがめるように名を呼ばれ、犬島は声を上げて笑い出した。