バツイチの彼女

抜擢

 松本さんが産休に入る少し前、渋谷君の弟龍二さんの奥様が妊娠したという噂が出回った。

 女性社員の中には否定的な感想を持つ人もいたようだが、多くの人が祝福ムードに包まれたおめでたい話である。

 一見私にはなんの関係もないように思えたこの噂が私の環境を大きく変えることになるなんて、一体誰が想像できただろう。

 他社で働いていた龍二さんがこの会社に入ったのは2年前。それ以来工場にある商品開発部で研究をメインに仕事をしていたが、平行して製造関連の業務も行っていたらしい。

 元々優秀な龍二さんは製造に関わる業務を既にひと通り把握しており、今回奥様の妊娠を機に後継として昇進の話が持ち上がったそうだ。

 製造だけでなく会社全体の業務を学ばせることを目的として龍二さんを常務に昇進させ、同時に渋谷君は専務に昇進。今後は経営に携わる仕事を任されることになる。

 愛妻家の龍二さんが昇進は奥様の出産を待って少し落ち着いてからにして欲しいと希望したため、実際の異動はまだ先の話になるだろう。

 だがその前段階として何故か私の異動が行われたのだ。所属は総務のまま今後は役員補佐がメインになる。渋谷君の元で常務の業務をざっくりと学び、異動後の龍二さんをサポートするのが私の役割なのだという。

「いや、そんな大層な仕事、私には無理です」

 異動の打診をされ、光のはやさで拒絶する。

「そんなことないよ。入社以来俺の仕事を色々手伝ってもらってたけど、どれも問題なくこなせてたよね?多分女性社員の中では春日さんが断トツで優秀だと思うよ?」

「だったら男性の方では駄目なんですか?」

「もちろん構わないんだけど、優秀な人は既にそれなりのポストにいるから、そう簡単には異動させられないんだよ」

 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。自分が特別優秀だとは思ってないが、総務にいる松本さん以外の女性社員がお世辞でも仕事ができると言い難いのは確かだった。

 でも、できることなら断りたい。社内で絶大な人気を誇る渋谷兄弟の補佐役だなんて、絶対にやりたくない。トラブル臭がプンプンする。

「君が春日さん?龍一から優秀だって聞いてるよー。役員補佐ってことは私の補佐でもあるんだよね?いやー楽しみだね!期待してるよ!」

 突然現れた社長が私にとどめを刺して嵐のように去っていった。ああ、これは打診という名の通告なのか。私の異動はどうやら決定事項らしい。
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