バツイチの彼女
「松本さん、少し面倒な作業を手伝ってもらいたいんだ。春日さんをお借りできますか?」

 秘書課のないこの会社では、役員のサポート業務は総務が行っていた。

「常務ーまた春日さんご指名ですか?たまには私がお手伝いしますけどー?」

 松本さんがからかうような視線を渋谷君に向けるが、彼が動じる様子はまるでない。

「書庫から資料を運ぶので妊娠中の松本さんではなく春日さんでお願いします」

「あら残念。じゃー春日さんお願いしまーす」

「これ今終わるんでちょっと待って下さい!すぐ行きます!」

 確かに私が渋谷君の手伝いに駆り出される機会は意外と多いかもしれない。松本さんが私と渋谷君の仲を疑ったのは、多分これのせいだと思われる。

 といっても実際仕事の手伝いをしてるだけだし、末端社員の私が常務の依頼を断る理由はほぼないに等しい。上から指示されればそれに従うのみだ。

「とりあえず過去5年分の帳簿から必要な数字を抜き出す作業をお願いしたいんだ。で、それをデータベースに入力するとこまでやってもらえたらありがたいんだけど‥‥まあそれは本来の業務との兼ね合いで余裕がある時にやってもらえればいいから」

 帳簿の山を前にして渋谷君が事も無げに説明を加えてきたが、抜き出し作業だけでもまあまあな量じゃないか?これ、集中してやっても数日では終わらない気がするぞ‥‥?

 予想通りこの日からしばらくの間、時間が許す限り役員室に通いながらの作業が続いた。

「春日さんは休みの日とか何してる?」

 時間を惜しむあまり最近恒例と化してきた役員室でのランチ中、渋谷君に話題を振られた。

「この前沙和ちゃんとランチしましたけど、それ以外は何もしてないですね。私、特に趣味もないから時間があってもやることないんです」

「前から思ってたんだけど、春日さんは俺と話すのになんで敬語なの?」

「え?常務だから‥‥ですかね?」

「なるほど‥‥でもここには俺達しかいないし、なんなら今は休憩中だし、敬語じゃなくても良くない?」

「いや、ここは会社ですし、そんなわけにはいきませんよー」

「せっかく高校の時より親しくなれたのに余計に距離が開いたみたいで寂しいな‥‥これじゃ春日さんをうちに誘った意味がない」

 ん?誘った意味?人員の補充じゃないの?

「そうだ。明日の休み、予定がないならちょっと付き合って欲しいんだけど大丈夫かな?」

 話が飛び飛びでよくわからないけど、明日は確かに予定が入ってない。

「‥‥大丈夫、ですけど」

「じゃあ決まりだね。後で待ち合わせの場所と時間を知らせる」

 場所と時間‥‥仕事ではないのか?
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