双子の熱 私の微熱
コウヤの熱
「38.5度……」
寝ている間も律義にマスクをつけてるサキトくんは、今は仰向けで首元まで布団に埋もれている。不快そうに眉根を寄せて、枕元で自分たち用のマスクと体温計を持ってきて、測定結果をのぞき込む私とコウヤくんを見ていた。
「もうちょと早かったら、病院やってたんだけど……」
土曜日だから午前中は診察やっているところが多いけど、今はもう受付終了している時間だった。どうしようと私はため息をつきながら、体温計のスイッチを切ってケースに仕舞う。
「ちゃんと人間なんだねぇ」
なんだか嬉しそうにコウヤくんが言って、サキトくんに睨まれていた。
こういう意味の分からない軽口を言ったりして、この兄弟は仲がいいんだか悪いんだか。
「とりあえず、買い置きの薬あるからそれ飲んで様子見るしかないかな」
こういう時のために、総合風邪薬を買い置きしていたはずだった。戸棚のなかに仕舞っているはずの薬箱を思い出しながら、腰を浮かす。
「兄さんの看病なんてしなくていいからね! キミまでお熱になっちゃったら大変!」
コウヤくんが私を止めようとするけど、同じ屋根の下で病人が出たんだから自分ひとり知らんぷりをするわけにもいかない。
「コウヤくんは、お昼ご飯作ってくれてるんだから、薬の用意ぐらいするよ」
「もう、優しいんだから! じゃあ、用意だけね。持っていくのは僕がするから、立ち入り禁止! 感染予防!」
「はいはい」
コウヤくんに背中をぐいぐい押されて、二人そろってその場を立ち去ろうとする。
「サキトくん、ゆっくり休んでね」
「お大事に!」
私がサキトくんに声を掛けると、コウヤくんもサキトくんに声をかける。本当に、仲がいいのか悪いのかわからない。
返事の代わりに、サキトくんはマスクの下でゴホゴホ咳をした。
「よかった、あった!」
あまり使わないから戸棚の奥に入り込んでしまっていた薬箱を見つけ出して、私は目的の風邪薬をようやく取り出すことに成功した。未開封の薬箱を確認すると、使用期限も切れてない。
ほっと一安心しながら思いのほか時間がかかってしまったことに焦りながらコウヤくんがいるキッチンに向かうと、いい匂いがしていた。
もしかしてもう昼食が完成したのかと驚きながらカウンターの向こうを見ると、コウヤくんが片手鍋の前に立っている。
「もう出来たの?」
カウンターの内側に回ってコンロ前のコウヤくんの顔を見て――私は足が止まった。
「コウヤ、くん……?」
頬や耳が赤くなり、瞳がうるんだようにとろけている。私と目が合うと締まりのない笑みを浮かべて、なんだか惚けているようだった。
「もしかして、熱!?」
慌てて駆け寄り背伸びをして額に手を当てる。熱い、けど……同時にある匂いが漂ってきた。
「何飲んだの!?」
「んー、卵酒っていうの? 日本だと、風邪ひいたら飲むんでしょ? 兄さんにって思ったけど、作りすぎたから味見ー」
コウヤくんから漂ってきたのは、アルコール臭だった。
「なにそれ、知らない!」
「えー、でも、ネットで検索したら出てきたよ~」
四分の三は日本人だけど、海外暮らしの方が長くて日本語とか文化には疎いって前に言っていたことが蘇る。
「卵酒の酒って、お酒でしょ!? アルコールだよ、わかる?」
ギリシャだと高校生からお酒が飲めるんだろうか……でも、ここは日本だし、校則的にも絶対NG! さすがにアルコールは伝わるよね、ギリシャ語でアルコールってなんていうの!? 高校で一緒に英語の授業受けてるんだから分かって当たり前じゃんとか、頭の中がぐるぐるする。
「わかってるよ~。だから、ちゃーんとお鍋でアルコール飛ばしたよ」
「絶対、飛んでないから! とにかく水飲んで、水!」
食器棚のグラスを引っつかむと、浄水器の水を入れてコウヤくんの手に握らせる。
「んー、そう言うなら飲むけど……ねえ、どうせだったら口移しで飲ませてよ」
とんでもないことを、さらりと耳元でささやかれる。
私の耳に唇を寄せる、コウヤくんの白い首が間近に見えて、その肌をくすぐるやわらかい毛がなんだか色っぽくて、私の体温まで上がりそうだった。
「日本じゃ挨拶なんかじゃないんだよ」
海外だと挨拶代わりだったりコウヤくんにとっては何てことないのかもしれないけど、生まれも育ちも日本人の私にはそうはいかない。
「僕がキミにキスするときは、挨拶なんかじゃないって……わかってるくせに」
耳元に向かっていた唇が向きを変えて、私の頬でリップ音を立てた。
思わず頬を押さえようとした私の手首を、コウヤくんが捕らえる。
私の手をつかんだコウヤくんの微笑みはいたずらっ子のようで、なんだか振り払うのがためらわれた。
「兄さんがずっと寝込んでくれてたら、こうやってずっと二人っきりで過ごせるのにね」
朗らかな笑顔の向こうで、たまに見える黒さ。
「僕と仲良くしよっか」
「きゃあっ!」
それを隠すように努めて明るく言った次の瞬間、私はコウヤくんにお姫様抱っこをされていた。
バランスを崩しそうになってとっさにコウヤくんの首に腕を回してしがみつく。至近距離で目を合わせることになった私に、コウヤくんはにっこり微笑む。
間近で見ると長いまつ毛の一本一本まではっきり見えて、毛穴はどこだろうっていうぐらいなめらかな肌に、赤面してしまう。
こんなに綺麗な男の人が私のことを好きだなんて、本当になにかの詐欺じゃないだろうか。
歩き出したコウヤくんに私は落とされないようしがみつくしかなくて、アルコールの匂いがするコウヤくんは鼻歌まじりで満足そうだった。
「ねえ」
そのままソファーに降ろされて、隣にコウヤくんが座る。
「さわってもいい?」
「えっ」
今の今まで私の意思を無視してお姫様抱っこしていたのに、今更なにを言っているんだろう。いつも突然手をつないできたり、こんな風に改めて聞かれることなんてなかった。
こんな風に改めて聞かれると、なんだか恥ずかしくて、口をつぐむことしか出来なかった。
「赤くなって、かわいー」
「コウヤくんも、赤いよ」
お酒のせいか、コウヤくんの頬は赤い。赤い頬がいつもよりコウヤくんを幼く見せているようで、でも、熱っぽい目が酷く大人びていて居心地が悪い。
「僕にさわられるの、嫌?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
こういう聞き方は卑怯だと思う。コウヤくんはわかってて言ってるのか、それとも天然なのかわからない。
「じゃあ、さわってもイイ?」
見つめられて見つめ返せなくて、目を逸らすしかできない私の手をコウヤくんが捕らえる。
指を絡めて、指の付け根をくすぐられて、背中がぞわぞわした。
「ずっと、こうして……さわりたかった」
コウヤくんが私の額にキスをした。こめかみに、頬に、耳に、首筋に――
心も体もくすぐったいような気がして逃げるように体を逸らしていたら、いつの間にかソファーに押し倒される姿勢になっていた。
やわらかいソファーの座面に背中を預けて、覆いかぶさるコウヤくんを見上げる。
「Ἀγαπῶ σε.」
熱い吐息と共に、聞きなれない言葉が降ってきた。
英語とも違う、きっとギリシャ語。なんて言われたのか、私はギリシャ語なんてわからない。
――でも、きっと愛の言葉なんだろう。
首筋をたどる彼の唇の感触に震えながら、私は思った。
寝ている間も律義にマスクをつけてるサキトくんは、今は仰向けで首元まで布団に埋もれている。不快そうに眉根を寄せて、枕元で自分たち用のマスクと体温計を持ってきて、測定結果をのぞき込む私とコウヤくんを見ていた。
「もうちょと早かったら、病院やってたんだけど……」
土曜日だから午前中は診察やっているところが多いけど、今はもう受付終了している時間だった。どうしようと私はため息をつきながら、体温計のスイッチを切ってケースに仕舞う。
「ちゃんと人間なんだねぇ」
なんだか嬉しそうにコウヤくんが言って、サキトくんに睨まれていた。
こういう意味の分からない軽口を言ったりして、この兄弟は仲がいいんだか悪いんだか。
「とりあえず、買い置きの薬あるからそれ飲んで様子見るしかないかな」
こういう時のために、総合風邪薬を買い置きしていたはずだった。戸棚のなかに仕舞っているはずの薬箱を思い出しながら、腰を浮かす。
「兄さんの看病なんてしなくていいからね! キミまでお熱になっちゃったら大変!」
コウヤくんが私を止めようとするけど、同じ屋根の下で病人が出たんだから自分ひとり知らんぷりをするわけにもいかない。
「コウヤくんは、お昼ご飯作ってくれてるんだから、薬の用意ぐらいするよ」
「もう、優しいんだから! じゃあ、用意だけね。持っていくのは僕がするから、立ち入り禁止! 感染予防!」
「はいはい」
コウヤくんに背中をぐいぐい押されて、二人そろってその場を立ち去ろうとする。
「サキトくん、ゆっくり休んでね」
「お大事に!」
私がサキトくんに声を掛けると、コウヤくんもサキトくんに声をかける。本当に、仲がいいのか悪いのかわからない。
返事の代わりに、サキトくんはマスクの下でゴホゴホ咳をした。
「よかった、あった!」
あまり使わないから戸棚の奥に入り込んでしまっていた薬箱を見つけ出して、私は目的の風邪薬をようやく取り出すことに成功した。未開封の薬箱を確認すると、使用期限も切れてない。
ほっと一安心しながら思いのほか時間がかかってしまったことに焦りながらコウヤくんがいるキッチンに向かうと、いい匂いがしていた。
もしかしてもう昼食が完成したのかと驚きながらカウンターの向こうを見ると、コウヤくんが片手鍋の前に立っている。
「もう出来たの?」
カウンターの内側に回ってコンロ前のコウヤくんの顔を見て――私は足が止まった。
「コウヤ、くん……?」
頬や耳が赤くなり、瞳がうるんだようにとろけている。私と目が合うと締まりのない笑みを浮かべて、なんだか惚けているようだった。
「もしかして、熱!?」
慌てて駆け寄り背伸びをして額に手を当てる。熱い、けど……同時にある匂いが漂ってきた。
「何飲んだの!?」
「んー、卵酒っていうの? 日本だと、風邪ひいたら飲むんでしょ? 兄さんにって思ったけど、作りすぎたから味見ー」
コウヤくんから漂ってきたのは、アルコール臭だった。
「なにそれ、知らない!」
「えー、でも、ネットで検索したら出てきたよ~」
四分の三は日本人だけど、海外暮らしの方が長くて日本語とか文化には疎いって前に言っていたことが蘇る。
「卵酒の酒って、お酒でしょ!? アルコールだよ、わかる?」
ギリシャだと高校生からお酒が飲めるんだろうか……でも、ここは日本だし、校則的にも絶対NG! さすがにアルコールは伝わるよね、ギリシャ語でアルコールってなんていうの!? 高校で一緒に英語の授業受けてるんだから分かって当たり前じゃんとか、頭の中がぐるぐるする。
「わかってるよ~。だから、ちゃーんとお鍋でアルコール飛ばしたよ」
「絶対、飛んでないから! とにかく水飲んで、水!」
食器棚のグラスを引っつかむと、浄水器の水を入れてコウヤくんの手に握らせる。
「んー、そう言うなら飲むけど……ねえ、どうせだったら口移しで飲ませてよ」
とんでもないことを、さらりと耳元でささやかれる。
私の耳に唇を寄せる、コウヤくんの白い首が間近に見えて、その肌をくすぐるやわらかい毛がなんだか色っぽくて、私の体温まで上がりそうだった。
「日本じゃ挨拶なんかじゃないんだよ」
海外だと挨拶代わりだったりコウヤくんにとっては何てことないのかもしれないけど、生まれも育ちも日本人の私にはそうはいかない。
「僕がキミにキスするときは、挨拶なんかじゃないって……わかってるくせに」
耳元に向かっていた唇が向きを変えて、私の頬でリップ音を立てた。
思わず頬を押さえようとした私の手首を、コウヤくんが捕らえる。
私の手をつかんだコウヤくんの微笑みはいたずらっ子のようで、なんだか振り払うのがためらわれた。
「兄さんがずっと寝込んでくれてたら、こうやってずっと二人っきりで過ごせるのにね」
朗らかな笑顔の向こうで、たまに見える黒さ。
「僕と仲良くしよっか」
「きゃあっ!」
それを隠すように努めて明るく言った次の瞬間、私はコウヤくんにお姫様抱っこをされていた。
バランスを崩しそうになってとっさにコウヤくんの首に腕を回してしがみつく。至近距離で目を合わせることになった私に、コウヤくんはにっこり微笑む。
間近で見ると長いまつ毛の一本一本まではっきり見えて、毛穴はどこだろうっていうぐらいなめらかな肌に、赤面してしまう。
こんなに綺麗な男の人が私のことを好きだなんて、本当になにかの詐欺じゃないだろうか。
歩き出したコウヤくんに私は落とされないようしがみつくしかなくて、アルコールの匂いがするコウヤくんは鼻歌まじりで満足そうだった。
「ねえ」
そのままソファーに降ろされて、隣にコウヤくんが座る。
「さわってもいい?」
「えっ」
今の今まで私の意思を無視してお姫様抱っこしていたのに、今更なにを言っているんだろう。いつも突然手をつないできたり、こんな風に改めて聞かれることなんてなかった。
こんな風に改めて聞かれると、なんだか恥ずかしくて、口をつぐむことしか出来なかった。
「赤くなって、かわいー」
「コウヤくんも、赤いよ」
お酒のせいか、コウヤくんの頬は赤い。赤い頬がいつもよりコウヤくんを幼く見せているようで、でも、熱っぽい目が酷く大人びていて居心地が悪い。
「僕にさわられるの、嫌?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
こういう聞き方は卑怯だと思う。コウヤくんはわかってて言ってるのか、それとも天然なのかわからない。
「じゃあ、さわってもイイ?」
見つめられて見つめ返せなくて、目を逸らすしかできない私の手をコウヤくんが捕らえる。
指を絡めて、指の付け根をくすぐられて、背中がぞわぞわした。
「ずっと、こうして……さわりたかった」
コウヤくんが私の額にキスをした。こめかみに、頬に、耳に、首筋に――
心も体もくすぐったいような気がして逃げるように体を逸らしていたら、いつの間にかソファーに押し倒される姿勢になっていた。
やわらかいソファーの座面に背中を預けて、覆いかぶさるコウヤくんを見上げる。
「Ἀγαπῶ σε.」
熱い吐息と共に、聞きなれない言葉が降ってきた。
英語とも違う、きっとギリシャ語。なんて言われたのか、私はギリシャ語なんてわからない。
――でも、きっと愛の言葉なんだろう。
首筋をたどる彼の唇の感触に震えながら、私は思った。