忘れな草の令嬢と、次期侯爵の甘い罠
「あなたは僕を憶えてないの?」

グラスを口から離して、リランが問うてくる。

それはテスのほうこそ聞きたかったことだ。
幼い日の思い出をどう伝えるべきか、懸命に言葉を探す。

「憶えて、いるわ」
ようやくそれだけ口にした。
彼がヒースクレストに滞在した時のことや、こうして舞踏会に主賓として来た理由なり、話したいことは山ほどあった。

あの、と言いかけて口をつぐむ。
せっかくリランと話ができそうな時間が訪れたのに、中断せざるをえなかった。

決然たる足取りでこちらに向かってくるフェント父娘の姿が視界に入ったのだ。
反射的に体が緊張してしまう。

ここはゼドーの邸で、この舞踏会は彼が主催しているのだ。
彼がそう命じれば、自分はここから去らねばならない。

テスの動揺を察したかのように、リランがさりげなく腰に手を添えてくれる。

大股でこちらに近づいてくるゼドーの表情には、面目を取り戻そうとする意地がのぞき、隣のマリベルはといえば口を大きくへの字に曲げている。
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