あなたを抱きしめる、唯一の

 私は笑った。

 これで準備は整った。


「だから、笹山さんも……笹栗さんも縛られなくていいんですよ」


 隣りに顔を向ける。困惑した表情が目に映った。


 私はためらいなくその唇に自分の唇を押しつけた。


 押しつけるだけの稚拙なそれを終えて、徐に離れて彼の顔を観察する。


「ドキドキしましたか? それとも何にも感じなかった?」

「さっきから、何を──」

「お父さんの無念を晴らしたいだけなら、お断りします」

「棚島さん、俺は」

「違うなら……そうですね、全部捨てられますか?」


 意地の悪いことを言っている自覚はある。

 でもこんな条件を飲む人ではないだろう。


「地位も肩書きも、何もかも」

「棚島さん……」

「できないなら、動かないで、少しだけ静かにしていて」


 零すように呟くと同時に、彼の肩に頭を預けた。額からじんわりと温かさが伝わってくる。


「さよなら」
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