【更新】雇われ妻ですが冷徹騎士団長から無自覚に溺愛されています

危機

 資料室を飛び出したリーゼは、足早に通路を抜け、人気のない裏庭に生えた大木の根元にしゃがみ込んだ。
 立てた膝に顔を埋めると、涙が止めどなく溢れてくる。

 悲しかった。苦しかった。
 まるで物言わぬ人形でも相手にするように 乱暴に扱われて、心を土足で踏み躙られたような気分だった。

 リーゼがランドルフをあからさまに避けていたのは事実だ。それが彼の不興を招いてしまったのも理解できる。
 だが、それはあんな風に無体を働かれるほど罪深い行為だったんだろうか。
 
 妻は常に夫の機嫌を損なわないように振る舞い、隷属するのが当然?
 そんな化石じみた古臭い考えを持つ貴族はいるにはいるけれど、ランドルフは、リーゼ自身の意思を無碍に扱うような人ではないと思っていた。
 その信頼が裏切られ、失望する。

 「ランドルフ様なんてっ……」

 嫌い――そう続けようとしたのに、声には出せなかった。

 命に替えても守ると告げてくれた、力強い眼差し。
 ひっしと強く抱きしめてくれる逞しい腕。
 リーゼの名前を呼ぶ、穏やかな低い声。
 まるで慈しむように頬を撫でる優しい手つき。

 全身に残るランドルフの記憶が、彼への愛を叫んでいた。あんなに手酷く乱されたというのに、嫌いになんてなれなかった。
 
 だからこそ、余計に苦しい。
 涙は止まらず、リーゼの頬を濡らし続けた。
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