RAVEN CODE
知らない男だった。
だけど、なぜかその姿に既視感があった。
きっといま、混乱で脳が変になっているからだ。そうに違いない。
精一杯の力で、首を横に振る。
「……殺しは、しないで、ください」
「殺してやるわけないだろ。ただの仕置きだ」
男は、ゆっくりと瞬きをした後、気絶している男の顔面めがけて、結局、踵を勢いよく落とした。
それから、血で汚れた革靴の裏を床に擦りつけて、またゆっくりとわたしに近づいてくる。
“仕置き”とまるで、使用人に対して用いるような言葉を使ったけれど、山城組の若頭ではないし、容赦なく足を顔面めがけて振り落としていたことからして、男たちの味方では絶対にないだろう。
ここが、彼の“所有地”なのだとしたら、今からわたしも同罪で痛めつけられるのかもしれない。
頭ではしっかりと冷静に物事を分析できているはずなのに、身体の震えは止まらず、身体を起こすこともできないでいる。
スーツの男が、わたしの目の前で立ち止まる。
あの男たちと同じ処遇を覚悟してぎゅっと唇を噛む。
だけど、男はゆっくりとその場にしゃがみこみ、「いつまで横になってるつもりだ」と一言、放っただけだった。
目を、しっかりと、合わせる。
月光が、彼の輪郭をくっきりと示している。
その瞳は、氷のように冷たかったけれど、そこに殺意は感じられなかった。
お腹の力を振り絞って、時間をかけて上体を起こす。
それから、再び目を合わせた。
「なんだ、本当にお楽しみの最中だったか?」
「……ちがい、ます」
「冗談だ」
見つめ合うでも、にらみ合うでも、なかった。
今までに味わったことのない瞳の合わせ方をされる。
わたしは、わたしだけを、瞳に映して、そのままでいた「男」を知らない。
そのことに動揺、してしまう。
いや、動揺した理由は、それだけではなかった。
彼が、怯んでしまうほどに美しく整った顔をしていたからだ。夜光を含んだ短い黒髪までが、洗練されたもののように感じる。
わたしの脳は、やはりまだ正常には働いていないみたい。
吸い込まれてしまいそうになったところで、あんまりに恐ろしくなり、彼から目を逸らす。
いま、恐怖はあらゆるベクトルに存在していた。