愛し愛され、狂い焦がれる。

「………」



…そこで、ふと思い出した。


さっきの人。
まだ居る。


…いけない。
助けて貰ったお礼を言わなきゃ。



急いで顔を上げて、そこで初めてその人の顔を見る。



「………え」



……驚いた。

立っているその人は、私の知っている人だった。



「…あ、あ…嘘。……中井先生…?」
「久しぶりだな、安永…」


高校時代の恩師…と言う訳では無い。


商業系と工業系の学科が併設された商工高校でビジネスを学んでいた私。

所属していた商業研究を行う部活動の一環で、建築科とコラボして地域の魅力を広めようというプロジェクトに参加していた。

そのプロジェクトの時に建築科の担当として居たのが、この中井(なかい)誠司(せいじ)先生。


部活動以外で関わることは全く無かったが、気軽に雑談をするくらいには中井先生と仲良くなっていた。



「お前…本当に変わっていない。すぐに分かった」
「せ、先生こそ、昔のままですね…」


差し伸べられた中井先生の手。
その手を握り、ゆっくりと立ち上がった。


「僕、今年から進路担当になったんだ。今日は引率でここに来ているんだけど。…さっきのは、見なかったことにした方が良いか?」
「………すみません、本当。何も見なかったことにして下さい。あの、今年も御校には求人票を出させて頂きたく思いますので、あの…この度は本当に…お見苦しものをお見せしてしまいまして…」

採用担当者として。
中井先生に深く頭を下げ詫びる。

悪いのは仁なのに。
そんな感情を捩じ伏せながら、ただひたすら頭を下げた。

「…安永」

先生はそんな私の肩を2回叩いた。

…昔から、変わっていない。
会話をしている生徒の肩を、2回ほど叩く中井先生の癖…。

久しぶりの感覚に、懐かしさを感じる。

「最初の方から見ていた。悪いのはあの男の方だから、頭を上げろ…」

先生は鞄から自分の名刺とボールペンを取り出し、ササッと何かを記入した。

「僕もお前も同じ市まで帰るのに、こっちはバスだから一緒に連れては帰れない。…置いて行かれたお前を見捨てる様で心苦しいけれど…無事帰れたら、必ず僕に連絡を頂戴」

差し出された中井先生の名刺。
その裏に、携帯の電話番号がボールペンで書かれていた。

「…わ、分かりました…」
「…お前…感情表現が苦手なところ、昔から変わって無さそうだから」
「…え?」
「昔のままで、安心したような。心配なような。…置いて行かれたこと、相手に怒っていいんだからな」
「…」

なんだが心の内を覗かれているような。
そんな感じがした。

昔の…まだ子供だった頃の私を知っている人。

不思議な感覚。


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