桜吹雪が綺麗です。
 言いかけて、柿崎はふと黙り込む。
 厳しい横顔をしていた。
 何を考えたかは、千花にもなんとなくわかる。

 社員同士のいざこざだ。明るみにした暁に、会社がきちんと内容を把握して対応してくれるなら良いが、握りつぶされるだけかもしれない。

(この先、顔を合わせるのもしんどい。二人きりになったらどうしようとか、今から心配。部署替えくらいはして欲しい)

 会社側がどう受け止めるかはわからないが、ボイスレコーダーの記録があるのは、すごくありがたい。やはり、一度相談してみるべきだろう、と気持ちを固める。
 とはいえ、それは千花がどうにかすべき問題だ。
 ぐずぐずと柿崎に泣きついて、巻き込んではいけない、と何度も心の中で繰り返した。

 甘えてはいけない。
 親切なひとを見つけてこれ幸いと寄りかかるなんて、搾取みたいなものだ。
 だから、柿崎の気がかりそうな表情にも気付かなかったふりをして、笑みを浮かべてみせた。

「これ、今度会ったときに返すね。連絡先……」

 そこまで口にしたのに、いざとなると躊躇ってしまう。

(聞いてもいい? 私に聞かれても嫌じゃない?)

 言葉につまった千花に対し、柿崎は「名刺に携帯番号も入ってます。先生は携帯変わってなければ……」と言いながら、不意に苦笑した。

「私の携帯は大学生のときから、番号変わってない」

 その苦笑は何かな、と思いつつ千花が言うと、柿崎は少しだけ気まずそうに口をつぐんでから、息を吐きだした。

「変わっていないなら、覚えています。合格の連絡くらいしてもいいかなって、ずっと番号書いたメモを睨んで悩んでいたから」

 続けて数字をそらで読み上げる。
 間違いなく千花の番号だった。
 柿崎は申し訳なさそうに微笑んだまま、一息に続けた。

「ストーカーになるつもりはありません。先生が無事に部屋に入ったら、帰りますから。すみません、心配するふりして家を割り出そうとしたみたいで、怖がらせてしまった気がします。本当に、悪いことはしません」

 そうだ。
 ここでさよならと言って、分かれなければ。

 頭ではわかっていた。わかっているのに、なかなかその一言が出ない。

 もっと一緒にいたい。
 今日だけでいい。多くを望まない。

(……それは「一回だけ」と言って迫ってきた三木沢くんと、どう違うんだろう)

 彼氏でもないのに、柿崎に寄りかかるのがあまりにも心地よくて、側にいてほしいと願ってしまうなんて。
 沈黙は不自然な長さになって、柿崎が不意に滲むような笑みを浮かべた。

「先生、悩んでますよね。当ててあげます。引き留めたいんじゃないかな、俺のこと」

 見透かされている。
 はいともいいえとも言えず、情けないほどに固まってしまった千花に、柿崎は穏やかに言った。

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