桜吹雪が綺麗です。

一番素直な日

 もしあの場に柿崎が現れなかったら、結局自分で切り抜けたと思う。
 その後、落ち込まないようにメンタルをコントロールしたはずだ。

 自分の機嫌は自分でとる。
 怒りだけじゃなくて、悲しみ絶望やりきれなさ、そういったすべて。

(ずっとそうしてきたから、出来ないわけじゃない。だけど、誰かに話したり、少し寄りかからせてもらうだけで、こんなに楽になるんだ……)

 内容が内容だけに、誰に話すのも慎重になったはず。
 会社の、そういう対応をする部署にも言えたかどうか。

 相手を「社会的に殺す」ことに躊躇いがあるし、自分が傷物と思われるのも嫌だ。「二十九歳でその程度で傷物だなんて大袈裟だ」と笑われるのも嫌だ。
 傷ついたことを傷ついたと言いたいだけなのに、誰にどうやって話しても後悔しそうで、結局誰にも言えなかったかもしれない。

「会社に対して、断固として言うべきですよ。俺も証言します」

 さほど物がないせいで、片付いているように見える部屋の中。
 ローテーブルに置いたコーヒーのマグカップを持ちあげて、柿崎は真面目な調子で言った。
 その後ろにベッドがあるが、あぐらをかいて背筋はすっと伸ばし、寄りかかることはない。

 向かい合いながら、パソコンデスクの椅子に座った千花は、ようやく溜息をついた。

「今日の。つくづく嫌だった。なんで私はあれを許さないといけないんだろう」
「許す必要ないですよ」
「怒るのも、嫌なんだよね。疲れる。嫌な相手に感情を使いたくない」
「わかります。好きでもない相手のことで頭がいっぱいになると、囚われているみたいで悔しい」

 声は優しく、距離感が心地よい。
 彼が今ここにいてくれて良かった。

(引き留めて良かった)

 通常の判断なら、あり得ない選択。
 だけど、もし人生で一度、一番素直になる日があるとすれば、今日にしようと決めたから。

「先生、外ではずっとその話題避けていたから、気になってました。消化できてないんだろうなって」

 視線が絡む。
 心配されているのを痛いほどに感じながら、すぐに目を逸らした。

「そうだね。時間にするとほんの数分もない出来事に、こんなに傷つくんだって自分でもびっくりしてる。信頼とかいろんなものが、崩れちゃった」
「少なくとも先生の責任はゼロです。何も悪くないですよ」
「だといいんだけど……」

 嫌味っぽくなりたくないのに、上手い言い回しも出てこない。

(さっきまで、結構笑えていたはずなのに。やっぱりこの件は自分の中では長引きそう……)

 思い知りながらも、せめて柿崎にはこれ以上負担はかけたくないと笑ってみせる。

「柿崎くんがいて良かった」

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