ヨルの殺人庭園

七日目:この世界の真実

 クラスの片隅で本を読んでいるのが好きだった。誰にも邪魔されない、最高の時間だと思った。退屈で仕方が無い世界に一角、本の中だけでは、刺激的な生活が待っているから。人が死んだり、いがみ合ったり、殴り合ったり、蹴落とし合ったり。その醜い姿こそがエンターテインメントだと思っていた。
 でも、それって誰にも言えることじゃない?
 過激なドッキリ、辛いものを食べて苦しむ俳優、人を殺すゲーム、どろどろの恋愛模様。全部全部、娯楽として最高じゃないか。かつてのフランスでは、ギロチンを使って殺されていく人たちが娯楽として見られていたじゃないか。
 そんな私を受け入れてくれたのが、ミカン先輩だった。

──マキさんの物語、最高だよ。後味悪くて、胸糞悪くて、最高!

 日常に潜む醜い人間像を描いた物語を、「優等生」が書くべきものでないものを、心から歓迎してくれた。
 だから、私はそういう物語を全力で、のびのびと書けるようになったのだ。そんな文芸部が、私は大好きだった。
 ミカン先輩のもとにやってきた、もう一人の面白い奴。それがハヤトだった。
 小説を書いたのは初めてだ、と言って差し出してきた小説は、とても初めてとは思えないような出来だった。どうやら、ミカン先輩の小説が気に入ってそれを参考に書いたのだそうだ。

──二人とも最高。アタシ感動しちゃった。ようやく同じ温度感の人に出会えたって!

 ミカン先輩はそう言って満面の笑みを浮かべた。白いカーテンがふわりと膨らんで、白く爽やかな光が差し込んで、彼女を照らしていた。
 それから私は文芸部に所属し、今度は私が人々に刺激を与える側に回った、ミカン先輩が一人でそうしていたように。ミカン先輩とハヤトと私、三人は、小説ができるたびに持ち寄って、その出来を褒めちぎって高め合っていた。
 そんなある日だった、ミカン先輩が紫色のキューブを持ってきたのは。

──これさ、仮想世界を作れるんだって。ちょっと楽しそうじゃない?

 「ハコニワ」と名付けられたそのキューブは、名前が覚えにくい横文字のベンチャー企業が発表したものだ。手のひらサイズで、仮想世界を作れるらしい。その仕組みは私たちにはよく分からない。スマートフォンのようなもので、解体してコードを読んでようやく理解できるようなオーバーテクノロジーだった。
 私はといえば、登場した当時はさほど興味が無かった。どうやらそこの空間では現実で行えないような実験が行えるということで科学者たちに売れたのだという。それから十年ほど経った今、安価で簡単に扱えるキューブが売られるようになって、人口に膾炙した。それからだ、私が興味を持つようになったのは。
 創作者たちの間で、自分の思うような箱庭が作れるようになったと話題になったのだ。自分たちがその世界に入るようなメタバースではない代わりに、その中では何をさせても犯罪にならなかった──殺人、暴行、強盗、強姦、何もかもが許されていた。まだ法が追いついていなかったのだ。残虐な行いをする創作者たちを罰することはできなかったのだ。いわば、グレーゾーンな代物だったのだ。
 もちろん、倫理的に良くないということで声も上がっていた。ハコニワの扱いを法で定めろとも言われていた。きっとこの先法律が定まって、この行いは罰せられるようになるだろう。でも、これはまだ、そんな法律の追いついていない話。

──どこで手に入れたんですか、それ。
──噂の街でね。安く売ってたよ、やっぱり。

 噂の街。いろんな電化製品が破格で売っていると言われる某都市のことだ。なんでも、外国人が集ってハコニワを買い漁っているらしい。ミカン先輩が言うに、そこに観光に行った際、自分の物と私たち用の二つを買ってきたらしい。
 私たちは最初訝しんだけれど、ミカン先輩は自分のキューブを手に取って私たちに見せてくれた。
 そこは大きな図書館のようになっていて、たくさんのキャラクターたちが過ごしていた。ミカン先輩が創作で書いているキャラクターたちだ。彼らはまるで、そこが一つの現実であるかのように信じ込んでいた。
 彼らは知らない、自分たちがハコニワで生きる人形も同然なのだということを。
 手に取れば、紫色のキューブがくるくると私の手のひらの上で回る。やっぱり、どういう原理なのか私たちには分からない。
 けれども、もしも自分たちで世界を作れるとしたら? 箱庭を作れるのだとしたら、どんな箱庭にしたい? 私たちは相談した結果、一つの結論に辿り着いた。

──リアルデスゲームなんて、刺激的で面白そうじゃない?

 その台詞を言ったのは私だった。ハヤトは苦笑しながら、マキらしいね、と言っていた気がする。
 二人で取扱説明書を見ながら、小さな箱庭に「私たち」を模したキャラクターを置いていく。そこは私たちの現実と同じ場所。ただ一つ違うのは、殺し合いが行われること。そのゲームを、私とハヤトが同じ名前で作った「ヨル」というアバターを作って運営してもらうことにしたのだった。
 まるで門限を破って外に出るような、校則を破って遊びに行くような、私はそんなふうに、「してはいけないこと」をしているかのようにわくわくしていた。カリギュラ効果というものがあって、やってはいけないことに人間は惹かれるものなのだ。
 私たちの瞳に、紫のキューブが映って白い四角の光が入ってくる。そして今も、見つめている。
 キューブの向こう側に確かに観衆がいる。そこには私たちを作った神的存在がいる。私たちを見ている。私たちの行く末を、興奮しながら見ているのだ。



「……はは……マジか……」

 私はそんな言葉を呟いていた。モニターの表示は変わり、元のキューブを映す画面に戻った。
 ヨルがにこりと笑い、どうだった、と尋ねてくる。目の奥は渦を巻き、口は裂けんばかりに笑んでいる。

「どう? 絶望した? マキが生きてきたのは、ぜーんぶ嘘! 嘘、嘘なんだよ!? 皆だって偽物だったんだ!」
「……いや、それがさ……絶望なんかしてないんだよね」

 私の言葉に、ヨルはきょとんとした顔をする。私は大きな溜め息を吐くと、近くにあったテーブルに座った。

「ゲームを止めてほしいと思ってここに来たんだよ、私」
「へー。マキなりの正義感だったんだ」
「でもさ、私を作った人──私自身はゲームを続けてほしいと思ってる。だったら私にできることなんて一つじゃない?」
「……それもそっか。オレにできることはある?」
「ううん。『死者は死者らしく引っ込んでて』……って言うと強すぎるかな?」

 ハヤトが私の言葉に腹を抱えて笑う。そんなに面白いことを言ったつもりは無いけれど、ハヤトはいつだってオーバーリアクションだ。
 ヨルは肘掛けに肘をつき、私のほうを見て妖艶に微笑んだ。

「じゃあ、マキに期待して良いってこと?」
「まぁ、私は一般人だから? それなりに死にたくないし、それなりに生き延びようと思うよ? だから……そんなに面白いことにならないかもしれないけど、やるだけやってみるよ」

 そう、絶望するどころか、私の心中は凪いでいた。やるべきことが明確になって、それに集中すれば良い。今まで抱えていた不安が吹き飛んで、肩が軽くなった気がする。
 だって、これはゲームなんだから。人が簡単に死ぬように、人が簡単に生き返るのだから。たとえ私が生き抜いても、孤独になることは無いのだから。ヨルに頼めば、ちゃんと日常が帰ってくる。私はただ、ゲームに勝利するために生き足掻けば良い。
 ハヤトはヨルの隣に立つ。こうして見ると、ハヤトはヨルの執事のようだ。

「じゃあ、マキ、また後で」
「うん。ヨルをよろしく」

 ヨルに手を振れば、ヨルは人の良い笑顔で手を振り返した。私はドアノブを握り締め、捻った。外には、私が元来た廊下があった。
 廊下を出て、スマートフォンを確認する。時間はかかっていないようだ。私は軽い足取りで教室へと戻った。
 教室にはリリカがいた。ぼーっとしていて、何かを考えているようだ。私がその隣に座りに行けば、リリカはこちらを見るなり目を逸らした。
 昨日の一件で合わせる顔も無いのだろうか。私は気にせず優しい声で、おはよう、と言った。

「お、おはよう……」
「そういえば、今日は生徒会があったんだっけ。ヒイラギ君、何か言ってた?」
「え、いや……何も無かったよ」

 ヒイラギ君もリリカも同じ生徒会に所属している。だから話す機会もあっただろう。だが、この反応は芳しくない。私に何かを隠しているようだ。
 無理に聞き出すことも無いし、そちらのほうが不自然だ。今は普通に学校生活のターンなのだから。
 リリカは、そうだ、と言ってから話を付け足した。

「その、生徒会で呼ばれてるから、昼間はいないから」
「そっか、分かった」

 リリカは、ありがとう、と消え入りそうな声で言ってから、当たり障りのない会話を試みてきた。彼女自身、今日がサイゴの日になることを意識しているのだろうか。ともすれば、昼食の時間は最後の晩餐になるということか。そんな大切な時間を、一人で過ごすことになる。それも悪くないだろう。
 授業の予鈴が鳴る。私は元の席に戻り、元の退屈な授業を受けることにした。刺激の無い、つまらない、面白みにかける、そんな日常があってこそ、非日常というものは存在するのだ。
 先生が入ってくる。日誌を置いた途端、一瞬だけ教壇がブレ、零と一が見えたような気がした。
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