魔王を倒した聖女ですが、二度目の召喚を受けました~聖女は魔王に堕とされる~
聖女は魔王に堕とされる
サキは、再び王城の召喚の間に呼び出されていた。最初と違うのは、最初は呆然としていたのに、次は、顔中涙に濡れていたことである。
サキはのろのろと見慣れた国王陛下の前に向かう。その途中、あんまりだと思ったのか、召喚にかかわったと思われるシスターに顔中を拭われた。
「かつて仇敵ルシファーを打倒せし聖女サキよ! 再びよみがえった彼の者を倒してくるのだ!」
前回と違う、国王陛下らしき衣装を纏った男性が、なんの説明もなく一方的に命じてくる。
「あの……」
「なんだ」
サキから尋ねると、国王は急に興が削がれたような顔をする。これから難敵を倒しに行かせるというのに、なんて態度だろう、とサキは心の中で思う。
「あれから、どのくらい経っているのでしょうか」
サキとしては、家に帰って、家中を探し回って。そして一年ほど過ごした。帰還してすぐ呼び戻されたも同然だ。だというのに、こちらでは国王が変っているのだ。
それとも、違う国に呼び戻されたのだろうか? とも思うが、国の紋章が同じなのと、呼び出された場所が同じなので、同じ国なのだろうとサキは推測していた。
「以前聖女様が帰還なさってからちょうど百年のときが経っています」
国王の代わりに、枢機卿と思われる、司祭たちの中でもっとも飾りの多い重そうな衣装を着た男が答えた。
私は一年しか経っていないというのに、こちらでは百年……と思うと、サキは絶句した。
「聖女サキ様におかれましては、お変わりないようで、安心しました」
──また行けといいたいからでしょう。そして、前と同じように、倒してくると思って安心できるからでしょう。
サキは、すれた心でそう思う。
「……ルシファーが、復活したのね」
「ああ、さすが聖女様です! おわかりになるのですね!」
──復活するって言っていたからね。
「では、聖女様。聖杖を──」
「その必要はない」
空から、声が降ってきた。そして、同時に赤い羽根が空からハラハラと降ってくるのだ。
「何者だ!」
誰かどこかの男が叫ぶけれど、その声が誰のものなのか、サキにはすぐに分かってしまった。
「不吉だ! 不吉だ!」
そう。それは不吉ではなく、今まさに害された天使達の血濡れた羽だった。そして、サキにはそれをしたのが誰なのか分かってしまった。
「サキ」
サキの前にルシファーが降り立つ。
国の聖域のもっとも高位な場所に、漆黒の闇のような濡れ羽色の六枚の羽を持った男が現れたのだ。
「ル、ルシファーだ!」
「なぜだ! どうしてだ! 主の加護は……!」
主の加護、という言葉を聞いて、ルシファーは一瞬鼻白んだような表情を見せる。
国王と名乗った男はこの場にもういない。さっさと逃げたのだろう。一部の聖職者が、生真面目にその場に残っていた。
天から降ってきた大量の赤い羽根は、よく見れば血濡れた白い羽で、もとは天使達の羽だということが分かってくる。
発狂するような声をあげる他の人間たちの中で、サキだけが一人冷静だった。前回、魔王の配下たちを全て倒すという修羅場をくぐり抜け、一時とはいえ、魔王ルシファーを倒したのだから。
そんなことで、叫び声を上げるような神経は持ち得ていなかった。
「ルシファー。起きたのね」
「おや、サキちゃん。随分落ち着いちゃったね。見た目は全然変らないのに」
確かにそうだろう。高校の制服でなく、私服ではあるにせよ、一年程しか経っていないのだから。
「……迎えに来るって言っていたけど。……これはなに?」
すると、するりとサキにとって覚えのある手つきで腰に手を回される。その手は血に濡れていて、サキの白い服にその色が染みこんでいく。
「君へのお土産。もう、聖女が出来ないようにしてあげたんだ」
「……聖女が出来ない? それはどういう……」
そういうと、サキを抱く反対の手で、なにかを持ち上げてみせる。
その持ち上げたものというのが──……。
「「ぎゃあああ! 不敬な!」」
聖職者たちが叫ぶ。そして、わなわなと震えてその場にしゃがみ込み出した。
「……まさか……そんな……」
サキは叫びこそすれ、驚きで目を見張った。
「あれ? 叫ばないの? そんなに怖くない?」
あのとき、この世界で百年前に魔王ルシファーを倒したアークエンジェルの首だったからだ。
「またこの世界にやってきてくれたサキへのプレゼント。こいつ、アークエンジェルの中でも一番強いヤツだから。君が喚べる天使はアークエンジェルまででしょ? だから、もう君は帰れない」
そう言って、にっこり笑う。その横にはアークエンジェルの首があった。
「……悪趣味じゃない?」
「それは良い褒め言葉だね。ついでにあれこれ天使達殺しておいたから。いくら聖女の能力を高めようとも、もう私を倒すことは叶わない」
そういってルシファーはアークエンジェルの首を用済みとばかりに放り投げると、天から降り注ぎ続ける赤い羽根に満足そうに両手を掲げてから、両手でサキの腰を抱きすくめた。
「さあ、サキ。私は約束どおり迎えに来た……だから、君は私のところへおいで」
「そんな約束はしていないわ。……私を元の世界へ帰してちょうだい」
あのときした口づけを思い出させたいのか、違うのか、ルシファーは片手をサキの唇に沿わせていく。血塗れのルシファーの指になぞられたサキの唇は、赤く染まっていく。
「覚えている?」
「……なにを」
「この唇と、この唇を重ねたこと」
そう言って、再び両手で腰を拘束して、顔を寄せてくる。
「……墜ちたサキはきっと綺麗だ。赤く染まって、絶望の底に墜ちて、それでも、きっと愛を求めて……ね?」
くすっと笑ってルシファーが言う。
「我らが聖女に不埒なことをするな!」
「そうだ! そうだ!」
まだこの状況に耐えられていた聖職者たちが、気を取り戻して、サキにルシファーが触れるのを阻止しようと抗議する。
「ここ、うるさいな。あれも血濡れにしていいかな、サキ」
「……ダメ」
「じゃあ、魔王城に行くしかないね。良いかい? サキ」
尋ねて選択を与えているようでいるようでありながら、サキには選択の余地はない。なぜなら、サキが魔王城に行くことを拒めば、この場にいるものみなが、あの天使達と同じ目にあうのは言わずと知れたことだったからだ。
「……」
サキは答えない。自分から魔王城へ行けとなど言いたくもなく、かといって、みすみす生きている者たちを見殺しにしたくもないからだった。
「サキちゃん可愛くないなあ。じゃあ、一人目から殺しちゃおうか……」
「ダメ! やめて! 魔王城に行くから、お願い!」
サキがやっと覇気のある大きな声を出して答え、そして、ルシファーにしがみついた。ルシファーはそれに気を良くし、上機嫌になって、サキの脇と膝裏に腕を回してサキを抱きかかえる。そして、かつて神にもっとも愛されし天使のその代名詞である六枚の羽を背に生やした。
それは、天の光を受けて小さな光の粒をを放って煌めき、サキが思わす目を見張るほど美しかった。
そして、彼女の許可も取らずに純白の六枚の羽で飛び、サキが飛び降りようとしても無理な高さにまで飛び上がった。羽は他の堕天使と違って黒くないのか、とは思ったが、そういうものらしかった。
「なっ。なぜ急に……」
「だって、魔王城に行かなきゃいけないだろう?」
「高くて……怖い」
そう言って、否応なくルシファーの首にすがりついた。
彼女の温もりを感じて全身に感じて、ルシファーは嬉しそうに笑う。
「ああ、可愛い。怖いんだ、サキちゃんは」
「当たり前でしょう! 私にはあなたみたいに飛ぶ手段はないんだから!」
怒った様子のサキにもそれはそれでルシファーは嬉しそうにする。サキが、無気力だった状態から、だんだん感情を露わにするのが嬉しかったのだ。
ルシファーの羽で飛ぶのは早かった。あれだけ必死に魔王城にまでたどり着いたというのに、その字の通り「ひとっ飛び」だった。
「……あれ。誰も、いない?」
私が眠っていたからね。散り散りになったんだろう。
魔王城に降り立っても、その主を出迎えるものもなく、降り立ったルシファーとサキ二人きりだった。
「まあでも、やっと二人きりになれたね、サキちゃん」
「……別に望んでませんけど」
上機嫌のルシファーとは裏腹に、サキは淡々としていた。
「……で、私を連れてきて、どうしたいの」
サキが単刀直入に尋ねる。確かに以前の召喚時に迎えに来ると言った。そして迎えに来た。けれど、それで私をどうしようというのだろう。帰さないといっていた。だから、例の天使のように、前回の私に対する復讐をするつもりだろうか、そう思ったからだ。
「返さないと言ったじゃないか。……あっちの様子はどうだったかな? 楽しかった?」
にっこりと笑ってルシファーが問う。
──ああ、こいつ、私の思考が読めるんだった。
サキはそれを思い出す。
「わざわざ聞かなくても、あなたには分かるんでしょう?」
「でも、サキちゃんの口から聞きたいからね」
「……悪趣味」
サキがそう言うと、ルシファーはサキの片手を取って、魔王城の奥へ、奥へとつれて行く。そして、がらんとした玉座がぽつんと置かれた部屋までつれて行った。
そして、自らは玉座に座り、サキの軽い身体を難なく持ち上げると、その膝の上に座らせた。
「……悪趣味なのは嫌いかい?」
そう言って、つっ、と、天使の血で赤く色づいたサキの唇をなぞった。
「……嫌いかどうか、分からない」
「そう。で、あっちはどうだった? また、帰りたい?」
「……それは……いや」
サキは、ゆるゆると、力なく首を横に振った。
「どうして?」
「……ひとりは嫌だもの。あっちだと、私はひとり。誰も私を必要としない」
そういうと、サキは自分のスカートをぎゅっと握りしめて瞳に涙を滲ませる。
机の上の残された手紙と五万円。
情け容赦ない文面のメール。
それらがサキの脳裏をよぎって、それが彼女の涙になる。
「ここなら、私がいる」
「そう言って、誰だっていつか私の元からいなくなるんだわ。あなたも一緒」
「私はいなくならない。サキ」
ルシファーはそう名を呼んで、サキに自分の方を向かせる。そして、天使の赤い唇に口づけた。
サキは、あまりの想像の外の出来事に、目を見張った。そして、ぱちぱちと瞬かせる。
「私は君のために再び大罪を犯した。それに懸けて誓おう。サキ、君を愛してる」
「それはおかしいわ。私のために、だなんて」
サキはゆるゆると首を振った。
「だが、誰か他に君を必要としてくれる人はいるのかい?」
それを言われると、サキは酷く悲しく思えて。つっと涙が零れ落ちた。
「ああ、そんな、泣かないで」
ルシファーが、零れ落ちた涙のしずくが顎に伝い着くと、それを指先ですくい取って、舌で舐め取った。
じっとその一連の仕草を見ていたサキは、赤いルシファーの舌が、唇が、扇情的に感じた。
「ルシファー……」
もうこの人しかいないのだと、心の内ではわかりきっていたサキは、ルシファーの首に腕を絡めた。
「……積極的だね。良いのかい? このままじゃ、口づけするよ? 前のじゃすまないかも……」
最後とばかりに警告を口にするルシファー。その彼の、吸い込まれるような黒曜石の瞳を見据えて、サキはこくりと首を縦に振った。
「サキ……。嬉しいよ、サキ……。堕ちてきてくれてありがとう、サキ」
かくて聖女であり、ルシファーを追い詰めた聖女サキを、ルシファーは堕とした。血で染まった赤い唇を舐め、そして、重ねて、角度を変えて、次第に深く求めていく。
「は……っ。キスって……こんな……んっ」
「こんな……?」
「こんな……ことまで……する……っ」
キスに、舌を絡めることがあることなど知らない清廉なサキは、困惑しながらも、必死に彼にしがみつきながら受け入れる。
そんな初心な仕草を嬉しそうに目を細めながらルシファーはさらに深く求めていく。
「ああ、可愛いサキ……嬉しいよ、サキ……」
そうしている間にも、ルシファーは、白いスカートの上から太ももを撫でていく。やがてそれも靴を脱がせ、靴下を脱がせ、足の指先を丁寧に撫でさすってから、サキの白いスカートをたくし上げて太ももの付け根までを優しくそっと撫で上げていく。
その次に、サキの着ている白いシャツの上から、下から撫で上げるように彼女の身体の線をなぞるように手の平を滑らせていった。
そうして夜は更けてゆき、互いを求め合った結果、聖女サキは、乙女を散らしたのだった。
けれど、それは深い契りの約束で、互いしかいないふたりを深く深く繋げたのだった。
「ねえ、ルシファー」
「どうした? サキ」
ルシファーの寝台に移って、互いに並んで寝そべりながら、ふたりは足を絡め合っている。
「私を聖女から引きずり下ろして……楽しかった?」
「どうしてそんなことを言うかなあ」
ルシファーは眉を下げると、頬にかかったサキの黒髪を耳にかけてやる。
「そりゃあ最初はまた人間が聖女を送りつけてきたって煩わしく思ってきたけど……サキを見ていて驚いたからなぁ」
「驚いたって?」
「サキは、誰か自分を必要としてくれる人が欲しかっただろう? それもあって、聖女の役目を受けた君は、必要以上のヒロイズムをもってこの城までやってきた、そうじゃないかい?」
「そうなのかしら……。でも、確かに私には誰も愛してくれる人はいなかったわね」
サキは目をつむる。脳裏に家族の思い出が浮かぶけれど、もう心が揺り動かされることはなかった。
「ルシファー。キスして」
サキは、先ほど浮かんだ家族の残像を消してしまおうと、サキはルシファーに向かって両腕を伸ばす。そして、腕を絡めて彼に抱き縋る。
「ん……」
ルシファーは、そんな甘えてくるサキに、どうして甘えてくるか分かっていて、甘い甘い口づけを繰り返す。
そうして、忘れさせる。
あちらの世界に家族がいたことを。
元々は聖女であり、ルシファーを倒すべき存在だったことを。
そうして、なかったことにする。
配下の魔物たちの配置を考え、あちらの世界で一年以上かかるようにしたことを。
あのアークエンジェルなど、最初から倒せたのに、わざと倒され眠りについた。そして、一度帰還させて彼女を絶望させたことを。
そうして、もう一度召喚された彼女に、彼女が召喚できる一番強いアークエンジェルをこれ見よがしに殺して見せつけておいて、もう帰れないことを認識させたことを──。
サキの不運は、ルシファーに見初められてしまったこと。
サキの幸運は、ルシファーに見初められてしまったこと。
ルシファーの愛は本物。
けれど、悪魔の愛。
彼は愛するだろう。彼女がその命を散らすその一瞬まで。
貪りつくし、愛し尽くすのだ──。
サキはのろのろと見慣れた国王陛下の前に向かう。その途中、あんまりだと思ったのか、召喚にかかわったと思われるシスターに顔中を拭われた。
「かつて仇敵ルシファーを打倒せし聖女サキよ! 再びよみがえった彼の者を倒してくるのだ!」
前回と違う、国王陛下らしき衣装を纏った男性が、なんの説明もなく一方的に命じてくる。
「あの……」
「なんだ」
サキから尋ねると、国王は急に興が削がれたような顔をする。これから難敵を倒しに行かせるというのに、なんて態度だろう、とサキは心の中で思う。
「あれから、どのくらい経っているのでしょうか」
サキとしては、家に帰って、家中を探し回って。そして一年ほど過ごした。帰還してすぐ呼び戻されたも同然だ。だというのに、こちらでは国王が変っているのだ。
それとも、違う国に呼び戻されたのだろうか? とも思うが、国の紋章が同じなのと、呼び出された場所が同じなので、同じ国なのだろうとサキは推測していた。
「以前聖女様が帰還なさってからちょうど百年のときが経っています」
国王の代わりに、枢機卿と思われる、司祭たちの中でもっとも飾りの多い重そうな衣装を着た男が答えた。
私は一年しか経っていないというのに、こちらでは百年……と思うと、サキは絶句した。
「聖女サキ様におかれましては、お変わりないようで、安心しました」
──また行けといいたいからでしょう。そして、前と同じように、倒してくると思って安心できるからでしょう。
サキは、すれた心でそう思う。
「……ルシファーが、復活したのね」
「ああ、さすが聖女様です! おわかりになるのですね!」
──復活するって言っていたからね。
「では、聖女様。聖杖を──」
「その必要はない」
空から、声が降ってきた。そして、同時に赤い羽根が空からハラハラと降ってくるのだ。
「何者だ!」
誰かどこかの男が叫ぶけれど、その声が誰のものなのか、サキにはすぐに分かってしまった。
「不吉だ! 不吉だ!」
そう。それは不吉ではなく、今まさに害された天使達の血濡れた羽だった。そして、サキにはそれをしたのが誰なのか分かってしまった。
「サキ」
サキの前にルシファーが降り立つ。
国の聖域のもっとも高位な場所に、漆黒の闇のような濡れ羽色の六枚の羽を持った男が現れたのだ。
「ル、ルシファーだ!」
「なぜだ! どうしてだ! 主の加護は……!」
主の加護、という言葉を聞いて、ルシファーは一瞬鼻白んだような表情を見せる。
国王と名乗った男はこの場にもういない。さっさと逃げたのだろう。一部の聖職者が、生真面目にその場に残っていた。
天から降ってきた大量の赤い羽根は、よく見れば血濡れた白い羽で、もとは天使達の羽だということが分かってくる。
発狂するような声をあげる他の人間たちの中で、サキだけが一人冷静だった。前回、魔王の配下たちを全て倒すという修羅場をくぐり抜け、一時とはいえ、魔王ルシファーを倒したのだから。
そんなことで、叫び声を上げるような神経は持ち得ていなかった。
「ルシファー。起きたのね」
「おや、サキちゃん。随分落ち着いちゃったね。見た目は全然変らないのに」
確かにそうだろう。高校の制服でなく、私服ではあるにせよ、一年程しか経っていないのだから。
「……迎えに来るって言っていたけど。……これはなに?」
すると、するりとサキにとって覚えのある手つきで腰に手を回される。その手は血に濡れていて、サキの白い服にその色が染みこんでいく。
「君へのお土産。もう、聖女が出来ないようにしてあげたんだ」
「……聖女が出来ない? それはどういう……」
そういうと、サキを抱く反対の手で、なにかを持ち上げてみせる。
その持ち上げたものというのが──……。
「「ぎゃあああ! 不敬な!」」
聖職者たちが叫ぶ。そして、わなわなと震えてその場にしゃがみ込み出した。
「……まさか……そんな……」
サキは叫びこそすれ、驚きで目を見張った。
「あれ? 叫ばないの? そんなに怖くない?」
あのとき、この世界で百年前に魔王ルシファーを倒したアークエンジェルの首だったからだ。
「またこの世界にやってきてくれたサキへのプレゼント。こいつ、アークエンジェルの中でも一番強いヤツだから。君が喚べる天使はアークエンジェルまででしょ? だから、もう君は帰れない」
そう言って、にっこり笑う。その横にはアークエンジェルの首があった。
「……悪趣味じゃない?」
「それは良い褒め言葉だね。ついでにあれこれ天使達殺しておいたから。いくら聖女の能力を高めようとも、もう私を倒すことは叶わない」
そういってルシファーはアークエンジェルの首を用済みとばかりに放り投げると、天から降り注ぎ続ける赤い羽根に満足そうに両手を掲げてから、両手でサキの腰を抱きすくめた。
「さあ、サキ。私は約束どおり迎えに来た……だから、君は私のところへおいで」
「そんな約束はしていないわ。……私を元の世界へ帰してちょうだい」
あのときした口づけを思い出させたいのか、違うのか、ルシファーは片手をサキの唇に沿わせていく。血塗れのルシファーの指になぞられたサキの唇は、赤く染まっていく。
「覚えている?」
「……なにを」
「この唇と、この唇を重ねたこと」
そう言って、再び両手で腰を拘束して、顔を寄せてくる。
「……墜ちたサキはきっと綺麗だ。赤く染まって、絶望の底に墜ちて、それでも、きっと愛を求めて……ね?」
くすっと笑ってルシファーが言う。
「我らが聖女に不埒なことをするな!」
「そうだ! そうだ!」
まだこの状況に耐えられていた聖職者たちが、気を取り戻して、サキにルシファーが触れるのを阻止しようと抗議する。
「ここ、うるさいな。あれも血濡れにしていいかな、サキ」
「……ダメ」
「じゃあ、魔王城に行くしかないね。良いかい? サキ」
尋ねて選択を与えているようでいるようでありながら、サキには選択の余地はない。なぜなら、サキが魔王城に行くことを拒めば、この場にいるものみなが、あの天使達と同じ目にあうのは言わずと知れたことだったからだ。
「……」
サキは答えない。自分から魔王城へ行けとなど言いたくもなく、かといって、みすみす生きている者たちを見殺しにしたくもないからだった。
「サキちゃん可愛くないなあ。じゃあ、一人目から殺しちゃおうか……」
「ダメ! やめて! 魔王城に行くから、お願い!」
サキがやっと覇気のある大きな声を出して答え、そして、ルシファーにしがみついた。ルシファーはそれに気を良くし、上機嫌になって、サキの脇と膝裏に腕を回してサキを抱きかかえる。そして、かつて神にもっとも愛されし天使のその代名詞である六枚の羽を背に生やした。
それは、天の光を受けて小さな光の粒をを放って煌めき、サキが思わす目を見張るほど美しかった。
そして、彼女の許可も取らずに純白の六枚の羽で飛び、サキが飛び降りようとしても無理な高さにまで飛び上がった。羽は他の堕天使と違って黒くないのか、とは思ったが、そういうものらしかった。
「なっ。なぜ急に……」
「だって、魔王城に行かなきゃいけないだろう?」
「高くて……怖い」
そう言って、否応なくルシファーの首にすがりついた。
彼女の温もりを感じて全身に感じて、ルシファーは嬉しそうに笑う。
「ああ、可愛い。怖いんだ、サキちゃんは」
「当たり前でしょう! 私にはあなたみたいに飛ぶ手段はないんだから!」
怒った様子のサキにもそれはそれでルシファーは嬉しそうにする。サキが、無気力だった状態から、だんだん感情を露わにするのが嬉しかったのだ。
ルシファーの羽で飛ぶのは早かった。あれだけ必死に魔王城にまでたどり着いたというのに、その字の通り「ひとっ飛び」だった。
「……あれ。誰も、いない?」
私が眠っていたからね。散り散りになったんだろう。
魔王城に降り立っても、その主を出迎えるものもなく、降り立ったルシファーとサキ二人きりだった。
「まあでも、やっと二人きりになれたね、サキちゃん」
「……別に望んでませんけど」
上機嫌のルシファーとは裏腹に、サキは淡々としていた。
「……で、私を連れてきて、どうしたいの」
サキが単刀直入に尋ねる。確かに以前の召喚時に迎えに来ると言った。そして迎えに来た。けれど、それで私をどうしようというのだろう。帰さないといっていた。だから、例の天使のように、前回の私に対する復讐をするつもりだろうか、そう思ったからだ。
「返さないと言ったじゃないか。……あっちの様子はどうだったかな? 楽しかった?」
にっこりと笑ってルシファーが問う。
──ああ、こいつ、私の思考が読めるんだった。
サキはそれを思い出す。
「わざわざ聞かなくても、あなたには分かるんでしょう?」
「でも、サキちゃんの口から聞きたいからね」
「……悪趣味」
サキがそう言うと、ルシファーはサキの片手を取って、魔王城の奥へ、奥へとつれて行く。そして、がらんとした玉座がぽつんと置かれた部屋までつれて行った。
そして、自らは玉座に座り、サキの軽い身体を難なく持ち上げると、その膝の上に座らせた。
「……悪趣味なのは嫌いかい?」
そう言って、つっ、と、天使の血で赤く色づいたサキの唇をなぞった。
「……嫌いかどうか、分からない」
「そう。で、あっちはどうだった? また、帰りたい?」
「……それは……いや」
サキは、ゆるゆると、力なく首を横に振った。
「どうして?」
「……ひとりは嫌だもの。あっちだと、私はひとり。誰も私を必要としない」
そういうと、サキは自分のスカートをぎゅっと握りしめて瞳に涙を滲ませる。
机の上の残された手紙と五万円。
情け容赦ない文面のメール。
それらがサキの脳裏をよぎって、それが彼女の涙になる。
「ここなら、私がいる」
「そう言って、誰だっていつか私の元からいなくなるんだわ。あなたも一緒」
「私はいなくならない。サキ」
ルシファーはそう名を呼んで、サキに自分の方を向かせる。そして、天使の赤い唇に口づけた。
サキは、あまりの想像の外の出来事に、目を見張った。そして、ぱちぱちと瞬かせる。
「私は君のために再び大罪を犯した。それに懸けて誓おう。サキ、君を愛してる」
「それはおかしいわ。私のために、だなんて」
サキはゆるゆると首を振った。
「だが、誰か他に君を必要としてくれる人はいるのかい?」
それを言われると、サキは酷く悲しく思えて。つっと涙が零れ落ちた。
「ああ、そんな、泣かないで」
ルシファーが、零れ落ちた涙のしずくが顎に伝い着くと、それを指先ですくい取って、舌で舐め取った。
じっとその一連の仕草を見ていたサキは、赤いルシファーの舌が、唇が、扇情的に感じた。
「ルシファー……」
もうこの人しかいないのだと、心の内ではわかりきっていたサキは、ルシファーの首に腕を絡めた。
「……積極的だね。良いのかい? このままじゃ、口づけするよ? 前のじゃすまないかも……」
最後とばかりに警告を口にするルシファー。その彼の、吸い込まれるような黒曜石の瞳を見据えて、サキはこくりと首を縦に振った。
「サキ……。嬉しいよ、サキ……。堕ちてきてくれてありがとう、サキ」
かくて聖女であり、ルシファーを追い詰めた聖女サキを、ルシファーは堕とした。血で染まった赤い唇を舐め、そして、重ねて、角度を変えて、次第に深く求めていく。
「は……っ。キスって……こんな……んっ」
「こんな……?」
「こんな……ことまで……する……っ」
キスに、舌を絡めることがあることなど知らない清廉なサキは、困惑しながらも、必死に彼にしがみつきながら受け入れる。
そんな初心な仕草を嬉しそうに目を細めながらルシファーはさらに深く求めていく。
「ああ、可愛いサキ……嬉しいよ、サキ……」
そうしている間にも、ルシファーは、白いスカートの上から太ももを撫でていく。やがてそれも靴を脱がせ、靴下を脱がせ、足の指先を丁寧に撫でさすってから、サキの白いスカートをたくし上げて太ももの付け根までを優しくそっと撫で上げていく。
その次に、サキの着ている白いシャツの上から、下から撫で上げるように彼女の身体の線をなぞるように手の平を滑らせていった。
そうして夜は更けてゆき、互いを求め合った結果、聖女サキは、乙女を散らしたのだった。
けれど、それは深い契りの約束で、互いしかいないふたりを深く深く繋げたのだった。
「ねえ、ルシファー」
「どうした? サキ」
ルシファーの寝台に移って、互いに並んで寝そべりながら、ふたりは足を絡め合っている。
「私を聖女から引きずり下ろして……楽しかった?」
「どうしてそんなことを言うかなあ」
ルシファーは眉を下げると、頬にかかったサキの黒髪を耳にかけてやる。
「そりゃあ最初はまた人間が聖女を送りつけてきたって煩わしく思ってきたけど……サキを見ていて驚いたからなぁ」
「驚いたって?」
「サキは、誰か自分を必要としてくれる人が欲しかっただろう? それもあって、聖女の役目を受けた君は、必要以上のヒロイズムをもってこの城までやってきた、そうじゃないかい?」
「そうなのかしら……。でも、確かに私には誰も愛してくれる人はいなかったわね」
サキは目をつむる。脳裏に家族の思い出が浮かぶけれど、もう心が揺り動かされることはなかった。
「ルシファー。キスして」
サキは、先ほど浮かんだ家族の残像を消してしまおうと、サキはルシファーに向かって両腕を伸ばす。そして、腕を絡めて彼に抱き縋る。
「ん……」
ルシファーは、そんな甘えてくるサキに、どうして甘えてくるか分かっていて、甘い甘い口づけを繰り返す。
そうして、忘れさせる。
あちらの世界に家族がいたことを。
元々は聖女であり、ルシファーを倒すべき存在だったことを。
そうして、なかったことにする。
配下の魔物たちの配置を考え、あちらの世界で一年以上かかるようにしたことを。
あのアークエンジェルなど、最初から倒せたのに、わざと倒され眠りについた。そして、一度帰還させて彼女を絶望させたことを。
そうして、もう一度召喚された彼女に、彼女が召喚できる一番強いアークエンジェルをこれ見よがしに殺して見せつけておいて、もう帰れないことを認識させたことを──。
サキの不運は、ルシファーに見初められてしまったこと。
サキの幸運は、ルシファーに見初められてしまったこと。
ルシファーの愛は本物。
けれど、悪魔の愛。
彼は愛するだろう。彼女がその命を散らすその一瞬まで。
貪りつくし、愛し尽くすのだ──。