すずらんを添えて 幸せを
「蘭、マンションまで送ってくよ」

居残りレッスンを終えて楽器を片付けると、奏也先輩が荷物を手に私を振り返った。

「いえ、一人で帰れますから」

「でももう日も暮れたしな。ほら、行くぞ」

そう言うと先輩は、先にタタッと階段を下り始めた。

私もリュックを背負ってあとを追う。

校門を出ると、夏だというのに辺りは暗かった。

「すっかり遅くなったな。腹減ったー」

「ほんと。楽器吹くのってお腹空きますよね」

「ああ。お前よく腹の虫とデュエットしてるもんな」

「あはは!確かに。だいぶ不協和音ですけどね」

すると先輩は、通りかかった商店街でコロッケを2つ買い、私に1つ差し出した。

「ほらよ」

「え、いいんですか?」

「ああ。居残りレッスンがんばったご褒美にな」

「ありがとうございます!」

自動販売機でペットボトルを買い、私達は脇道の小さなベンチに座った。

「はー、美味しい!」

「お前、ほんとにうまそうに食べるな」

「だって美味しいんですもん」

「それは何より。しっかし今日の居残りレッスン、先生かなり本気だったよな」

「はい。先生って、今までクールな印象だったんですけど。やっぱりあんな先生は珍しいですか?」

「ああ。あそこまで熱血なレッスンは俺も初めてだ。先生を本気にさせたのは…」

途中で言葉を止めた先輩に、私は、ん?と首をかしげる。

「なぁ、蘭。お願いがあるんだけど」

「はい、何ですか?」

「おととい俺、蘭につき合ってくれって言っだろ?」

ひぐっ?!と、思わず妙な声が出る。
すっかり忘れていた。

「あれ、返事はいらない。その代わり、コンクールが終わるまでフリしてて」

「フリ?って、何の?」

「恋人同士のフリ」

カッチーンと私の全身は固まる。

恋人同士のフリとは?
デートに行ったり、手を繋いだり、とか?

「蘭、聞いてる?」

「き、聞いてます。けど、理解不能です」

「そうか?別に難しくないぞ。今日みたいなのでいいんだけど」

「今日?私、今日何かしましたか?」

「俺の演奏に応えてくれた」

…は?と、私はまたしても固まる。
暑いのに固まってばっかりだ。

「今日の俺のソロ、蘭に届くようにたくさんの想いを込めて演奏した。そしたら蘭も、まるで返事をするように綺麗な音を響かせてくれた。蘭の音は俺の心を震わせて、更に深い感情を呼び起こしてくれる。吹いてて、めちゃくちゃ気持ち良くて、感動した。あんな感覚、初めてだった」

そう言うと先輩は、私を見て優しく笑う。

「コンクールが終わるまででいい。俺の音に、蘭も応えてくれないか?俺達二人で、ホール中を美しい音楽で満たしたい」

「ホール中を、美しい音楽で…」

「ああ」

デートに行ったり手を繋いだり、と、下世話な想像をしていた自分が恥ずかしくなる。

先輩は、最後のコンクールに全力を注いでいるんだ。

「分かりました。私も心を込めて先輩の演奏に応えます」

「ありがとう!蘭」

先輩は、パッと顔を輝かせた。

(そうよ。3年生の先輩達が、悔いなくやり遂げられるように、私もこのコンクールに全力を注ぎ込む!)

テレビで見る女優さんも、ドラマの撮影中は本気で相手役の男性を好きになり、撮影が終わるとケロッと忘れると聞いたことがある。

(それと同じよ。私もコンクール中は先輩と愛を語り合ってみせる!)

私は改めて気持ちを引き締めた。
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